電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

Steve Jobs(1955-2011)

2011-10-12 22:29:25 | デジタル・インターネット

 スティーブ・ジョブスが逝った。晩年の風貌は、まるでガンジーのようだった。そして、ガンジーは、ジョブスが尊敬する人だった。AppleのHPにある写真は、もう少しジョブスが元気だった頃の写真だ。しかし、風格ある写真ではある。私は、Appleの製品は、ほとんど使ったことがない。MacもiPhoneもiPodもiPadも持っていない。勿論、会社にはそれらが置いてあるので、使ったことはある。だからといって、私は、Windows派だったわけではない。Windowsを使いながら、Linuxで遊んでいた。もっとも、今はもう、忙しくて、Linuxも使っていない。だから、私はスティーブ・ジョブスやビル・ゲイツより、リーナス・トーバルズの方が、好きだった。

 いつの間にか、ビル・ゲイツはマイクロソフトから去り、そしてスティーブ・ジョブスもいなくなってしまった。元々、地味なリーナス・トーバルズも今何をしているか、私はよく知らない。そう、いつの間にか、OSがどうだとかいう時代は終わっていた。そういう意味では、なくなったジョブズが最も最先端を行っていたのかもしれない。GoogleやFacebookなどの若い企業に対抗して、インターネットを利用した新しい世界を創造してきたのは、スティーブ・ジョブスだった。彼は、戦いの半ばで逝ったという印象を受ける。今日のNHKのクローズアップ現代で、孫正義が、ジョブスが最後にやりたかったのは、iRobotではないかと言っていたが、ひょっとしたら、そうかもしれない。

 テレビや新聞、インターネットで、スティーブ・ジョブスの死について、様々な追悼の言葉が流されていた。でも、何となく私にはしっくり来なかった。彼は、一体何をしたのだろうか。そんなとき、朝日新聞の次の記事を読んだ。

 製品にも質があるが、体験にも質がある。日本のメーカーがとことん製品の質を迫求して、世界最軽量・世界最薄などを謳う高品質の製品を開発しているときに、アメリカではひとつの企業が、ユーザーに質の高い「体験」を提供しつづけることを迫い求めて、他の追随を許さない世界を築き上げた。それが、スティーブ・ジョブスが率いたアップルである。(中略)
 大衆の期待を直感的に読み取って、それを即座に表現できるのがスターだとすれば、ジョブズはスターである。彼はマウスを発明したわけではない。パーソナルコンビューターを最初に売り出したわけでもない。スマートフォンの生みの親というわけでもない。
 ただ彼はマッキントッシュを大々的に売り出して、マウスで直感的に操作し、絵を描いたりデザインできるコンピューターを個人が所有する大きな潮流を作り出した。コンピューターを電子計算機から創造のエンジンに変えてしまった。iPodを売り出して音楽の聴き方を変え、iPhoneで誰もがスマートフォンを使う時代にしてしまった。ジョプズか設立したピクサー社は、それまで冷たい印象だったフルCGアニメを子どもでも親しみやすい世界に変えていった。彼は、私たちの体験を変えてしまったのである。(藤崎圭一郎・東京芸大准教授/「朝日新聞」2011.10.10朝刊)

 私には、すぐに納得できた。NHKの番組の中で、新潟の企業がAppleのiPodの裏の基盤を作るときの製品の質のこだわりについて語っていたが、ジョブズの完璧主義は、素晴らしい体験を提供するために必要だったのだ。私たちは、Appleの製品を解体したとき、多分、ジョブズのこだわりに驚くに違いない。そして、誰もが、解体された個々の部品は、Appleの創造したものではないことに気が付く。けれども、そこにあるのは、紛れもなく、Appleが発注して作らせた部品であることにも気が付くはずだ。そうした部品を組み立てて、Appleは、全体として、まったく新しい体験を提供しようとしたのだ。これは、一日本企業の問題ではなく、世界のすべての企業ができなかったことである。そして、おそらく、スティーブ・ジョブスという天才経営者がいたからこそできたことだと思う。

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10月の「槻の会」植物観察会

2011-10-09 22:39:15 | 自然・風物・科学
 今日は、秋の第2回植物観察会。日高市の武蔵台公民館駐車場に午前9時に集合し、天覧山北湿地を経由して多峯主山山頂まで行って、また武蔵台公民館まで帰ってくるというルートだった。公民館に戻ったのは、ほぼ午後3時頃だった。参加者は、三連休の真ん中ということで、いつもより少なく、10名ほどだった。武蔵台公民館駐車場から多峯主山までの往復はかなりのアップダウンがあったが、思ったより楽だった。途中に木の杖がおいてあり、それを借りたせいか、歩きやすかった。寒いかと思い、ダウンのベストを着ていたが、歩いていると暑いくらいだった。空気も澄み、気持ちよい植物観察会だった。
 「槻の会」世話人の秋葉さんの説明を受けた植物を中心にして、今日見た植物名をあげておく。武蔵台公民館周辺では、シロナタマメ、ケヤキ、ゲンノショウコ、コブナグサ、イヌコウジュ、ヤマハギ、コウゾ、ミズヒキ、ヤブマオ、アキノエノコログサ、ドクダミ、ヤマノイモ、オバナなどを見た。公民館から山道に入る前、武蔵台団地の住宅街では、庭や塀に鮮やかな草花が植えられており、その中に山野草を庭一杯に種を蒔いて育てている家があった。家の主人と奥さんが、親切に草花の名前や、育て方を教えてくれた。夫婦二人ともが、草花が好きだという様子て、幸せそうだった。また、門や塀にテイカカズラを一杯にからませている家があり、眺めていて飽きない。

 林の入り口では、ホトトギス、コマツナギ、ミツバアケビ、タマスダレ、ヘクソカズラ、ノガリヤス、サルトリイバラ、ヤクシソウ、クズ、オバナ、ヤマハギ、メドハギ、タヌキマメ、アキカラマツ、ツユクサ、タカトウダイ、イヌタデ、ハナタデ、オオアブラススキ、センニンソウ、アオツヅラフジ、カニクサなどが、沢山あった。歩いていて、自転車で登ってくる親子にであった。最近、山道を歩いていると、時々、自転車で山登りをしている人たちに会う。彼らには、また、多峯主山山頂でも出会った。さすがに、そのときはびっくりした。

 林に入ると、沢山のヒノキやスギが間伐されており、入り際のヒノキやスギの林床には、ルナリアの残骸があったのにはびっくりした。ルナリアは、ヨーロッパ原産の草花で、二〇世紀初頭にフランスから日本に持ち帰った合田清さんの名前にちなんで、ゴウダソウ(合田草)という和名がついている。円形の莢が特徴的だ。その他には、シュウカイドウ、チヂミザサ、ササクサ、カクレミノ、シュウブンソウ、ガンクビソウ、チャ、ヤツデ、カクレミノ、フユイチゴ、ヤブラン、リュウノヒゲ、ウメモドキ、サカキ、ヒサカキ、アラカシ、シラカシ、ネズミモチ、トウネズミモチ、テイカカズラ、ヤノネグサ、ミゾソバ、イヌタデ、ハナタデ、ボントクタデ、キンミズヒキ、ミズタマソウ、セイダカアワダチソウ、ヌカキビ、ヤブマメ、ヌスビトハギなどがあった。

 途中、所々樹木に名札がついていた。その中で、一つ間違いを見付けてしまった。親切に散策者に名前を教えてくれるのはありがたいが、アカシデなのに、イヌシデという名札が付けられていた。みなさん、残念そうなブーイング。その道には、サルトリイバラやゴンズイの実が沢山稔っていた。また、林の中に、大きなカラカサタケがあり、びっくりした。まるで、ディズニーのアニメの中に迷い込んだようだった。このキノコは、食べられるそうで、参加者の中に食べたことがあるという人がいた。たった、一本だけぽつんと生えていたが、だれも採取しないのは、礼儀のせいか、それとも食べられるとは知らないせいか、どちらだろうというのが、皆の疑問。私は、多分毒キノコだと思われたせいだと思った。

 湿地周辺では植物や動物も見ることができた。植物としては、シラヤマギク、オトコヨウゾメ、ヤブマメ、ヤブツルアズキ、ノハラアザミ、ススキ、ヌカキビ、ヨモギ、チカラシバ、アキノウナギツカミ、ママコノシリヌグイ、ヤマノイモ、キンミズヒキ、ワレモコウ、クサボケ、ヨシ、コブナグサ、ツリガネニンジン、アキノタムラソウ、ミゾソバ、アキノノゲシ、キンエノコロ、ユウガギク、ヒルムシロ、ヒメクグ、オオバコ、オニドコロ、ヌスビトハギ、メナモミ、ツルグミ、オオバギボシ、ナンバンギセル、ムカゴニンジン、ノダケ、タカトウダイ、アズマネザサ、キフジ、ガマズミなど。

 この湿地の近くで、ジョロウグモの巣を見かけたが、大きな巣の中央にジョロウグモがいて、周辺に三匹のオスグモがいた。ジョロウグモは、9・10月ごろが成熟期で、今が丁度交尾期になる。大変危険な交尾で、場合によってはオスはメスに食べられてしまうことがあるそうだ。ジョロウグモのオスは、ほんとにみすぼらしい。まあ、彼らは、交尾することだけが生きる目的なので、仕方がないことかもしれない。そういえば、その近くで、大きなお腹をしたカマキリも見た。確か、カマキリもまた、交尾を終えたオスはメスに食べられてしまう。自然というのは、ある意味では、残酷である。

 多峯主山近辺ではアオハダ、ゴンズイ、ナツハゼ、コナラが、それぞれ実を付けていた。私たちは、実を見たり食べたりしてみた。ところで、多峯主山に登ったのは初めてだった。天覧山と多峯主山は飯能市に属していて、私の家から歩いても多分2時間もかからないところにある。多峯主山は、海抜271メートルの小さな山だが、それだけに歩きやすい。今日は、休日でもあり、途中で沢山の人たちに出会った。小さな子ども連れから、お年寄りの女性のグループまで、みな礼儀正しく挨拶しながらすれ違った。ただ、私たちは、ゆったりと、植物を見ながら、歩いていたので、小さな子どもたちからは何となく不審そうに見られたようだ。

 植物は、動物のように動くことができない。だから、私たち人間は動いて見に行かなければならない。そもそも、植物は動く動物の利用して、自分たちの種を遠くまで運んでもらっている。そのために、彼らは、美しく着飾っているのだ。つまり、花は、もともと、動物のために咲いているのだ。そして、動物が見に来てくれることを待っている。勿論すべての植物が動物に頼っているわけではないが、少なくとも美しい花を持っている植物は動物に頼って生きている。人間やあるいは動物がいなくなったら、滅んでいく植物はたくさんある。進化の綾の中で、植物と動物はお互いに関係し合いながら、生きてきたことだけは確かだ。また、動物は、そして人間は、植物の光合成による栄養を摂取することによってしか生きていくことができない存在でもある。私たちは、植物によって生かされているのだ。今日は、そんなことを考えながら、植物を観察した。
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