電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

原発の行方(3.11から4ヶ月)

2011-07-10 22:44:42 | 政治・経済・社会

 私は、原発推進派でもなければ、反原発派でもない。強いて、言えば、脱原発に近いかもしれない。しかし、原子力発電そのものについては、私は反対ではない。フランスが取り組んでいるような新しい原子炉については、可能性としてはあり得ると思っている。私たちは、福島第一原子力発電所の事故から、何を学ぶべきなのだろうか。取り敢えず、はっきりしていることは、国と経済産業省と東京電力で取り組んで来た原子力発電の政策は、効率的であったかもしれないが、安全対策としては間違っていたということであり、その安全対策の誤りから、日本の電気エネルギー政策の問題点が、浮かび上がってきたということだ。国や東京電力やそれらを理論的に支えていると思われる原子力委員会や原子力安全保安院などからの情報や指針があまりに不十分で、曖昧で、お粗末だったということでもある。

 石炭や石油などと違って、原子力による発電は、核エネルギーを使うということで、技術的には高度なものであり、その分危険をはらんでいる。私たちは、科学技術の発達によって、新しい電気エネルギーを原子力を使って生み出すことができるようになった。石炭や石油を使う火力発電も危険性を持っているが、原子力発電はいろいろな放射性物質を副産物として伴うことによって、はるかに危険なものになっている。そして、その危険物の処理のために、世界中で今、より安全性を高めるように努力している。私たちは、原子力の封印を解いた時から、より安全に原子力を取り扱うべき課題を背負わされてきたというべきかもしれない。原子力発電や核兵器を持つ、持たないに関係なく、私たちは核エネルギーに関わらざるを得なくなっているということでもある。

 福島第一原子力発電所の事故以来、大体、大きくは次の3つの方向があり得る選択肢として浮かび上がり、その点で人々は、迷い、恐れている。特に、高度情報化社会というにはあまりにもお粗末な情報開示により、混乱は増しているように見えるが、方向性としては、次の3点に整理できると思われる。

①原子力発電はとても危険なものであり人間はコントロール不可能なので、ほかの再生可能なエネルギーによるべきだ。
②石炭や石油などによる火力発電には限界があり、中国やインドなどの経済発展を考えると、原子力発電に変わる効率的な電気エネルギーの供給方法はないので、できるだけ安全性に配慮しながら、これからも原子力発電は前向きに考えるべきだ。
③原子力発電を続けていくか、廃止していくかは、じっくり検討していくべきだが、取り敢えず、日本の電気エネルギーの供給が低下しているので、現在使用している原発は当面は活用せざるを得ない。

 ①だけを強調しているのがいわゆる反原発であり、②だけを強調しているのが原発推進派だということになるかもしれない。そして、国や経済産業省は、もともと②だったが、③に変わりつつある。あるいは、はっきりしていないが、管総理は、①になろうとしているのかもしれない。しかし、私たちが直面している本当に困難な問題は、3つの選択肢のどれを選んだらよいか難しいと言うことではないと思う。この3つの選択肢は、もし国民がどれかを選択したとすれば、その方に進んで行くだけの話だ。そして、そのどの方向に進んでも、私は日本という国は、多分そこそこ上手く切り抜けていくのではないかと思う。

 今私たちが直面している問題の困難さは、それ以前の段階というか、その選択肢の前提になることにあるように思われる。まず、①これだけ情報化社会になっているにも関わらず、原子力発電については、基本的な情報が曖昧なままであること、そして、②この電気エネルギー危機が日本の危機的な経済にどんな影響を与えるのかよく分からないこと、また、③原発の事故は、何故起きたのかが未だに曖昧であり、収束の行方さえ不安定であるということ、その上、④立法府はねじれ、行政府は先行きの見通しもなく思いつきで政策を立案しているという状況になっていることである。少なくとも、肝心要の内閣府の原子力委員会や安全委員会、また、経済産業省の原子力安全・保安院が、どんな役に立っているのかさえよく分からない。

 元原子力委員会及び安全委員会委員の武田邦彦さんの『原発大崩壊!』(ベスト新書/20011.5.24)と京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんの『原発のウソ』(扶桑社新書/2011.6.1)を読むと、2人とも、元々原子力発電の専門家らしい見解が述べられている。しかも、いわゆる原子力村とは離れたところがから、発言がなされていて興味深い。2人とも、原子力発電については、本当は反対ではないと思う。しかし、武田さんは、原子力村による、原子力発電の推進の仕方に根本的な問題があり、そこが改革されたら原子力発電にも希望があるという見解だ。一方、小出さんは、原子力は危険であり、その危険なものを日本のような地震大国に造ることが間違っていると述べている。武田さんは、多分、原発はコントロール可能だと思っているし、小出さんは少なくとも日本人には無理だといっているが、2人とも原子力を発電を止めても電気は大丈夫だと言っていることだけは共通しているように思われる。

 私は、反原発という立場でもなければ、原発推進すべきという立場でもないし、どちらかの立場を取ることが今大事なことだとは思わない。原子力発電ということについては、徹底的に科学的でありたいし、原子力発電を進めるならば、徹底的に安全性を重視したいと思う。そして、例え安全であっても、最悪の場合を想定した対策を取っておくべきだと思う。もし、それが経済的に困難だと思われたなら、原子力発電はすっぱりと止めるべきことであって、安全性を犠牲にすべきではないのだ。私は、福島第一原子力発電所の事故の最大の問題は、事故が起こったときの対策が、「原子力は絶対安全である」ということから何も講じられていなかったことだと思う。

 交通事故だって、事故が起きたらどうすべきかは、決まっているのだ。まず、第一に人命救助でなければならないのだ。これは、運転手は必ず守らなければならない責務である。況んや、もっと被害の大きな原子力発電の場合は、東京電力の補償が免責になるかどうかなどという問題ではなく、事故が発生したとき、東京電力だけでなく、国や地方自治体が何をすべきかの対策を講じていなければならないと思う。私は、東北の復興も、福島第一原子力発電所の事故収束も、みんなの努力で必ず実現できると信じているが、私が今いちばんの不安に思っているのは、政治とマスコミが、それらを無に帰してしまうのではないかということだ。いま、ネットの世界も含めて、いろいろなところで、脱原発と原発再開をめぐって対話が始まっている。こうした対話が真摯に進められれば、日本の進路が必ず見えてくると思われる。もう少し、かもしれない。

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