電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

吉本隆明逝く

2012-03-20 19:19:07 | インポート

 吉本隆明が87才で亡くなった。勝手な思い込みかもしれないが、私たちの世代にとっては、彼は「師」だった。何か、思想的ななやみがあるときは、彼の著作に尋ねた。また、彼が書いた物が出版されるとすぐに購入して、読んだ。どんな組織にも属せず、一人で生きていこうと決心した者にとって、その「自立」の思想は、強い支えだった。私たちは、一人でも、思想的に生きていけるのだということを吉本隆明に学んだような気がする。高橋源一郎は、私より3つほど年下だが、そんな吉本隆明について、「思想の『後ろ姿』を見せることのできる人だった」と言っている。

 吉本さんは、「正面」だけではなく、その思想の「後ろ姿」も見せることができた。彼の思想やことぱや行動が、彼の、どんな暮らし、どんな生き方、どんな性格、どんな個人的な来歴や規律からやって来るのか、想像できるような気がした。どんな思想家も、結局は、ぼくたちの背後からけしかけるだけなのに、吉本さんだけは、ぼくたちの前で、ぼくたちに背中を見せ、ぼくたちの楯になろうとしているかのようだった。
(朝日新聞2012/3/19朝刊高橋源一郎「吉本隆明さんを悼む」より)

 私も、学生の頃から、ずっと、吉本隆明と一緒に生きてきたように思う。彼のたくさんの著作や講演を読んだり、聞いたりしてきた。彼が新しい著作を出すとすぐに買い、むさぼるように読み、何となく、自分の生き方を見直し、どちらかというと不如意な生き様を耐えるための糧にしてきたように思う。多分、私たち団塊の世代の中で吉本�・明に魅了されていたものは、すべてそうしていたに違いない。それは、私たちの世代の深部に、大きな影響を与えていたと思われる。私と同年の橋爪大三郎が、『永遠の吉本隆明』(洋泉社新書/2003.11.21)の中で、吉本隆明は団塊世代へどんな影響を与えたのかについて、次のように戯画的に描いている。

 その効果には、二つの側面があります。
 一つは、万能の批判意識が手に入ることです。
 現実に妥協して党派をつくったりする共産党や新左翼のセクトは、権力をその手に握ろうとしていて、純粋ではなく、失敗を約束されている。ですから、個々人はそれに加わらないことで、共産党や新左翼に対する優位を保つことができる。しかも自分は、テキストと祈りの生活を送るわけですから、自分の知的活動自身を肯定できる。そして、吉本さんの本を通じてさまざまな書物を読み、これが唯一正しい生き方であると考えることになる。倫理的にも道徳的にも、政治的にも。つまり、非政治的なことが、政治的に正しいことになるわけです。もちろん、自民党的リアリストよりも、優位に立つことにもなる。それは、彼らが現実の利害に妥協し、権力を手にしているからです。
 もう一つ、同時に、この全能感の裏返しとして、まったくの無能力の状態に陥ります。現実と接点をもてなくなるわけです。文学を続けていくか、あるいは、一杯軟み屋で吉本思想をもとにクダを巻くことはできるけれども。では、現実にどうやって生きていくか、となると、生活者として生きていくということになる。吉本さんのように文筆で食ぺている生活者は、これは立派なことなのだけれども、吉本さん以外の何人に、それが可能だろうか。ふつうの人は、ふつうの世俗の職業につくしかない。それがサラリーマンであり、役人であり、塾の先生であり、その他さまざまなふつうの職業です。
 そうすると、信仰と祈りの生活ではなく、世俗の生活が待っているわけです。はじめは世俗の生活を週六日やって、残りの一日を信仰と祈りの生活にあてているのだけれども、そのうち信仰と祈りがだんだん遠のいて、完全な世俗の生活と区別がつかなくなってしまう。

(ここまで、書いてきて、いい加減止めようかなとも思った。団塊の世代の私としては、なんだか、切なくなって来る。しかし、もう少し続けよう)

 しかしそこには、でもそれでいいんだ、という、最初の自己肯定があるわけです。これが団塊の世代の「ずうずうしい転向」というヤツですね。全共闘でさんざん勝手なことをやっておきながら、のうのうとサラリーマンになり、年功序列で上のほうにあがっていったり、郊外に一戸建ての家を買つたり、たまには海外旅行に行ったりする。なんだあいつら、ちゃっかりいい目を見ながら、酒場でクダ巻いてとか、そんなことを言われているのに気がつかない。そういう鈍感さに結びつくのですね。この世代の人びとは、内面に忠実に、同時代と距離をとり、端的に生きてきたつもりなのですが、その結東、いちじるしい鈍感さを生むわけです。後ろの世代に言わせると、とても目障りだ、もうどうしようもない、口もききたくない、早くあいつら消えて無くなれ、というような感じですね(笑)。企業のなかでの年齢構成の問題や、その他いろいろな要因がからんでいるのでしょうが、給料は高いのに戦力にならず、ブーブー文句を言うばかりで、邪魔にされている。吉本さんの影響力は、こうした事態にも、帰結している。

(もちろん、これは、言われてみれば、そうだなあと思える。大体において、団塊の世代というのは、数が多すぎるのだから、ダメなやつも目立つのだ)

 ですから、こういう社会現象を生み出すに至る大きなきっかけとなったのが、吉本さんだとも言える。社会主義・共産主義思想を、個人の資格から考えて個人化し、権力という概念を問題化し、それを否定的に位置づけ、そして破壊してしまった。革命を現実の課題としなくなった。そういう点が、たいへん面期的なのですね。
 これは仏教のなかで、親鸞にあたるような役割です。吉本さんは親鸞に惹かれ、文学者の中では、宮沢賢治にとくに惹かれています。親鸞は、仏教者であるのに、出家など意味がないと言い、仏教の組織原則を破壊してしまった。宮沢賢治もいっぽうで科学性、合理性と、もういっぼうで個入的願望の世界、つまり日連宗による祈りの世界、自己献身による倫理性のようなものとを、結晶化した人格ですね。そういう意味での共鳴の感覚は、たいへん強いものがあるのではないでしょうか。
(橋爪大三郎著『永遠の吉本隆明』 p50~52)

 私は、これを読んだ時、感嘆したことを覚えている。ある意味で、まさにその通りだったからだ。(橋爪の本の引用が、ここだけだと、なんだか、彼は与太話ばかりしているようだと思われるといけないので、補足する。彼は、まじめに、吉本の政治・経済論だけでなく、言語論や共同幻想論、心的現象論、ハイ・イメージ論など丁寧に読み解き、彼の立場から、そのすぐれた側面を指摘している。そちらの方に興味ある場合は、原著にあたって欲しい)

 ところで、吉本隆明は、どこかで、25時間目という話をしていた。思想としては、24時間普通の生活をしている人が一番えらいと考えるべきだ。しかし、それでは、思想は創れない。だから、思想は、25時間目に創るしかないというような意味だったと思う。そして、そういう思想でないと本当の思想とは言えないというような意味だったと思う。少なくとも、吉本隆明の言う「大衆の原像」ということの意味を私はそう理解していた。橋爪はそのことを、「世俗の生活」と「信仰と祈り」というように言っている。吉本隆明の意図とは、多少違っているが、現実は、おそらくその通りになってしまっている。

 私たちは、間違った地平に来ていると言うべきだろうか。多分、それはそれでいいのだと思う。橋爪大三郎は、おそらく、吉本隆明によって、哲学者としての生き方を見付けたのだし、高橋源一郎もまた、吉本隆明によって作り出された作家でもある。実際、高橋は、小説を書き始めたとき、吉本隆明をたった1人の読者とて想定して書いていたと言う。同じ、団塊の世代の糸井重里も「ずうっと、大多数の『うまいこと言えない』人々を、応援し手伝おうとしてきた」(ほぼ日刊イトイ新聞)のが吉本隆明だったと言う。まるで親鸞に対する唯円の役割ような本、『悪人正機──Only is not Lonely』(朝日出版社/2001.6.5)を彼は吉本と書いている。世俗の生活と信仰と祈りの生活との間で折り合いを付けて来た人が、少なくとも3人はいるわけだ。

 目が見えなくなるっていうのは相当にキツイことでね。あの、梅倬忠夫さんなんかでも自殺しようかなんて思ったっていうんですね。僕もそれに近いところまではいったかな。こうなってなお、この世は生きるに値するかみたいなことを考えてね、それまでの自分の考えを修正したわけですよ。
 いちぱんの修正結果は「死は自分に属さない」っていうことでしたね。
 たとえぱ臓器提供における本人の意思が云々の話にしても、いくら自分のハンコ押したって、てめえが死ぬのなんかわかんねえんだから、結局は近親の人が判断するしかないんですよ。死を決定できるのは自分でも医者でもない。要するに看護してた家族、奥さんとかですよね。その人が、「もう十分……」と判断した時、もう結構ですからと言われた医者が延命装置を外して、死はやってくるんです。
 つまり、老いたり身体が不自由になったりした次に死が訪れるんだという考え方は、本当は間違いじゃないかって思ったんですよ。
(吉本隆明聞き手糸井重里『悪人正機』p18より)

 この話を読んだときも、私は衝撃を受けた記憶がある。そして、吉本隆明は、逝った。

 吉本さんの、生涯のメッセージは「きみならひとりでもやれる」であり、「おれが前にいる」だったと思う。吉本さんが亡くなり、ぼくたちは、ほんとうにひとりになったのだ。
(高橋源一郎「吉本隆明さんを悼む」同上より)

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定年退職と年金

2006-11-26 22:05:01 | インポート

 22日に出版厚生年金基金主催の「年金ライフプランセミナー」が、神楽坂の出版クラブ会館であった。9時から4時半くらいまで、年金の説明や講演などでスケジュールが一杯だった。出版厚生年金基金は、今年の10月1日で20周年で、記念行事があった。この基金も、しばらく前の運用益は、3年間程マイナスの時があった。しかし、ここ3年は、株価の上昇に伴い、かなりの運用益を上げて、すっかり自信を取り戻している。もちろん、その分をわれわれに即還元というわけではないが、基金のスタッフたちはかなり自信にあふれていたように思う。もちろん、私たちの年金は、3.5%を標準利回りとして考えられていて、渋い計算をしていた。確かに、今年は8月末現在での修正総合利回りはマイナス0.49%である。

 このライフプランセミナーは、取次や出版社に勤務し出版厚生年金基金の加入していて、しかも2年後くらいまでに定年退職をする人を対象としている。だから、セミナーの参加者は、ほぼ私と同じ団塊の世代であった。事前に、個人個人が年金の計算を依頼しており、当日基金から、個人個人に退職後の年金を試算した報告書が配られた。最近は、個人情報保護がかなり厳しく、直接本人からの申請でないと、年金の試算をすることができないことになっている。その報告書で、私は初めて、自分が今後もらえるであろう年金の金額を教えて貰った。私たちの世代から、年金の満額支給は64歳からになる。

 年金は、こうした出版厚生年金基金に加入していると、いわゆる3階建てになる。1階部分は国民に共通の「国民年金」であり、2階部分は民間企業などえ働く人のための「厚生年金保険」で、この二つは国が運営している。「出版厚生年金基金」は、3階部分に当たり、基本年金に対するプラスアルファ部分と、加算部分がある。このうち、公的年金のうち、定額部分(老齢基礎年金)と報酬比例部分(老齢厚生年金)とでは、支給開始日が少しずれている。昭和36年4月2日以降に生まれた男性か、同41年4月2日以降に生まれた女性は、支給開始時期が全て65歳からになるが、それ以前は異なっている。私の場合は、定額部部は64歳からだが、報酬比例部部は60歳から貰えることになっている。

 60歳から全く出ないかと思っていたが、そうではなく、いくらか出ることがわかった。もちろん、出版厚生年金基金の平均では、月々10万少々の金額であり、それだけで生活できるわけではないが、多少は楽になる。私たちの世代の場合、おそらく、64歳からは20万円と少々というのが普通であるようだ。もちろん、夫婦共働きの場合、その倍になるわけで、まあ、何とか生活できるくらいの金額になる。しかし、我が家のように、これから子どもが大きくなり中学・高校・大学へ行くという家庭で、妻は専業主婦という場合は、よほどの資産を持っていないと、退職金やその他の資産を食いつぶすことになり、かなり大変だと思う。つまり、退職金やその他の資産を活用しても、退職後しばらくは夫婦ともに働かないと、大変だと言うことだけは確かなようだ。

 しかし、このセミナーはかなり役に立った。年金の実態がどうなっているかということや、実際の金額がどのくらいだということが、始めて理解できた。そして、出版厚生年金基金のようなものがとても有意義なものだということを知った。普段は、給料袋からかなりの金額が社会保険料として天引きされていて、理不尽な気持ちだったが、いざ自分たちが定年を迎えることになって、有り難みがわかってくる。これから、社会状況が今のままだと、支給が減少していく可能性があるが、しかし、貰えなくなるわけではないし、特に出版厚生年金基金のようなものは、国の年金とは違って、そんなに減らないと思われる。

 また、退職後の生活の仕方と、健康管理のための講演が二つあったが、退職後の生活の仕方の基本的なスタイルについては、なかなか面白かった。退職後に私たちが取得できる資産がどのくらいあるのかということも大切だが、それ自体は当然格差がある。そうした格差を配慮しながらも、退職後と退職前では、生き方に違いがあるというのは、面白い。もちろん、経営者はそうではないのだろうが、私たちサラリーマンは、定年によってはっきりと人生設計を変えるべきだというのはその通りだと思った。つまり、定年前は、働きながら資産形成もしていたわけだ。しかし、定年後はそうした資産は、年金とともに残りの人生を豊かに過ごすために有意義に使われるべきだということは確かだ。

 私たちは、老後のために働いてきたのであって、退職後は、少ない年金を貰うわけだが、その年金は、貯金をするためにあるわけではなく、今まで造ってきた資産とを合わせて、楽しい生活を設計すべきだというのは、正しい。だが、結婚を初めとして、さまざまな社会的なステイタスが高齢化してきていて、退職後がすなわち老後ではないという時代では、「楽しい生活」を設計すべき総資産として、私たちのサラリーマン生活で作り上げてきた資産では足りないかも知れないということもまた確かである。そして、それが、現在の「老後の不安」という大きな社会問題でもある。しかし、私たちは、まだ働けるのであって、そのつもりで頑張るしかない。そのために、これから準備をしっかりとしておく必要がありそうだ。

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スター・ウォーズ「エピソード3」

2005-07-18 19:37:01 | インポート
 日曜日、久々に息子と一緒に映画を見に行った。勿論、映画は、今話題のジョージ・ルーカス監督・脚本のスター・ウォーズ「エピソード3 シスの復讐」である。スター・ウォーズをずっと見て来たものには、一応これで、話の展開が理解できてシリーズは閉じられ、完了したことになる。ルークとレイア姫の双子の兄弟の物語で始まったスター・ウォーズは、父のアナキン・スカイウォーカーがどのよう存在で、なぜダース・ベイダーとなり、双子の子どもたちを残すことになったが解き明かされた。最も、先に公開された「エピソード6」で、ルークを助け死んでいったダース・ベイダーことアナキン・スカイウォーカーがフォースの世界に戻り、精霊となったことを皆知って入るのだが、なぜ、彼がダース・ベイダーになったかは、映画にされていなかった。
 この映画がアメリカで公開されたとき、アメリカのスター・ウォーズオタクたちが、様々な衣装を着て、ライト・セイバーまで持って、会社を休んで映画を見にいったという。私と子どもは勿論、そんな格好はせずに見に行った。いつも行く入間市にある「ユナイテッド・シネマ入間」もついにインターネットで予約をできるようになった。会員でなくても予約ができる。前夜予約を取ったのだが、丁度後ろの方のいい席が2つだけ空いていた。当然、いい席から順に埋まって行く。当日も、そんな早く行く必要はなく、ぎりぎりで十分だった。私たちは、インターネット予約がはじめてだったので、1時間ほど余裕を持って出かけたが、30分以上時間をつぶす必要があるほどだった。

 映画は、面白かった。優秀なジェダイの騎士であるアナキン・スカイウォーカーが、「邪悪なパルパティーン皇帝の弟子である、シスの暗黒卿、ダース・ベイダー」となっていく過程がじっくりと描かれていた。話の展開は、息子には少し高度かも知れないと思った。自分の妻を救うために悪に身を投じていくアナキンの心の葛藤は、多少複雑だ。

 クワイ=ガン・ジンはアナキンを、古の予言で伝えられる、フォースにバランスをもたらす選ばれし者だと信じていた。だがジェダイ評議会は、この子の未来が曇っていること、修行を始めるには年が行き過ぎていることから、修行させることをためらった。
 (中略)
 アナキンに試練の時がきた。幼少の頃からジェダイのやり方を教え込まれていたら、もっと感情をきつく抑えていただろう。だが、その心はパドメと母親への想いで占められてしまった。アナキンはジェダイ騎士団に不可欠な、超然と構える術を会得してはいなかったのだ。

 このアナキン・スカイウォーカーの解説は、誰が書いたか知らないが、才能にあふれ、強力なフォースを持つアナキンが、ついにはダース・ベイダーになっていく過程を予告している。それが、「エピソード1」から「エピソード3」に至るスター・ウォーズのテーマだった。ジョージ・ルーカスのスター・ウォーズの世界の特色を一言で言えば、縦糸に善と悪の関係があり、横糸に愛と憎しみの関係がある交錯した世界を色鮮やかに銀河系という神秘な世界で描いたことかも知れない。愛は、人間を悪にも導き、善にも導く。銀河系の宇宙を様々な宇宙人からなる政体として考えると、私たちはどうしてもローマ帝国をモデルにしてしまうらしい。共和国から帝国への政体の変化は、ローマ帝国を強大にさせたが、ローマが滅びる仕組みも作った。

 映画を見終わって家に帰ったら、知り合いの女性から、トミー製の「スーパーレプリカライトセーバー ルーク・スカイウォーカー」が送られて来ていた。その女性のダーリンが友人から誕生日のプレゼントでもらったものだそうだ。ホコリにまみれていたので、彼に聞いてみたらあげてもいいよというわけで、送ってくれたそうだ。息子は、その贈り物を見て、にたにたしていた。その日は、1日中そのライトセーバーを眺めたり、取り扱い説明書を読んだりしていた。

 少し古い型だと送り主は言っていたようだが、息子の話では、ルーク・スカイウォーカーが持っているライトセーバーは、オビ=ワン・ケノービから、「これはお前の父親が使っていたライトサーベルだ」と言って渡していたものだという。そういえば、「エピソード3」の最後の場面で、オビ=ワン・ケノービは、アナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)を倒したとき、アナキンのライトセーバーを持って帰っていたように思う。私はそんなことはすっかり忘れていた。覚えてもいない。息子は、腰に二つのライトセーバーを付けていたよと言う。子どもの注意力は、大人とは違うようだ。

 いずれにしても、オビ=ワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)が戦う場面は圧巻で、「ロード・オブ・ザ・リング」の戦いの場面と同じようにとても迫力のある場面だった。二つとも、ファンタジーとしてみればほぼ同じような世界である。まあ、イギリスとアメリカの違いがあるのかも知れない。「スター・ウォーズ」はSFであり、科学兵器が主な武器だし、「ロード・オブ・ザ・リング」は弓矢や剣や槍が主な武器だが、どちらも「フォース」という神秘な力や、「魔法」の力が生きている。アフガニスタンやイラクでの戦争とテロの時代が、いまこうしたファンタジーを支えているのかも知れない。現実の戦争の世界は政治が力を握り、ファンタジーの世界では愛が力を握っているらしい。

 地球的に観れば、いまは戦争と平和の時代だが、人間の死を何かの犠牲にし過ぎているのではないか。人は、戦争で死んでいったものたちをひたすら悲しみのまなざしで見つめなければならない。その死に何か意味付与をし始めると、とたんに政治的な何かにとらわれてしまう。愛するものが死ぬということは何かを失うことであり、殺したり殺されたりすることは、大いなる喪失である。その喪失感があまりにも大きいと、人は物語を必要とするらしい。
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