電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

「女王の教室」を見た!

2005-07-31 21:57:20 | 子ども・教育
 息子がどうしても見たいドラマがあるというので一緒に見たのが、「女王の教室」だった。一応、聞いたところでは、毎週見ているらしい。そのために、土曜日だけ10時までテレビを見ることになる。どうも、子供達の間ではやっているらしい。先週につづいて、私は、今回が2度目だ。昨日は、プロ野球の「巨人×中日」戦が延びたために、ドラマは9時半からになった。悪魔のような女王教師「阿久津真矢」(天海祐希)に翻弄される6年3組の子供達の世界だ。
 毎回物語が始まる前に、「この物語は、悪魔のような鬼教師に小学6年生のこどもたちが戦いを挑んだ1年間の記録」というナレーションが流れる。そして、HPには「目覚めなさい、迷える子羊たち。」という挑戦的なセリフが書かれている。私は、天海祐希というのは「てんかいゆき」と読むのだと思っていたが、「あまみゆうき」と読むのだと初めて知った。過去のストーリーを見ると、映像と言葉をうまくアレンジしして、独特な雰囲気をうまく伝えている。ただ、過去のストーリーとしては、多少わかりにくい。

 私は、この物語の展開をわくわくどきどきしながら見ているようだ。そして、どこかでとても不安な気持ちも抱いている。この不安はどこから来るかと考えてみると、どうも話の展開が、あまりに現実的な気がして不安になるらしい。つまり、どこでもありそうなことが、そこには集中して描かれているのだ。どうも、人間関係の核のようなものがこの物語の幾つかの場面で痛烈に批判されているようで、それがどうも私を不安にさせるらしい。

 普段私たちは、心の中で思っていても、そのことを口には出さない思いというものを持っている。それを言ったらおしまいだということなのかも知れない。そうしたことが、これでもかと真矢先生や子どもたちの口から出てくる。そのことが、私を不安にさせるらしい。その意味では、それを見て、もうドラマを止めて欲しいという人たちの気持ちがわからないではない。先生と先生の関係、子どもと子どもの関係、家庭での親子の関係がとても不安定な状況になっている。今という現実を象徴させようとしているからかも知れない。今にも崩壊しそうなところで話が進んでいき、現実の危うさのようなものをそのまま表現していて、そのことが観るものを不安にさせているのだと思う。

 昨日は我が息子といとこが泊まりに来ていて、隣で、普通のドラマのように見ている。「ハリー・ポッター」を見ている子どもたちにとって、子どもをまるでいじめているような教師や、人種差別をしているような友だちを知っている。そして、おそらくは、学校でもそれに類したことを多少はやっているはずだ。また、教師は、多分この真矢先生のような不気味な存在であるに違いない。少なくとも私の子どもの頃は、教師はそんな神秘さと恐ろしさを持っていたように思う。子どもたちもそのような気持ちで見ているらしい。

 このドラマが今後どのような展開をするのか私にはわからない。今のところは、もう一人の主人公と思われる、神田和美が多少盛り返してきたので、これからが楽しみと言うところかもしれない。HPの掲示板の意見では、神田和美が最後にクラスの団結を取り戻し、それが真矢先生のねらいだったというようなうがった結末を予想している人たちがかなりいるが、そうかも知れないし、そうでないかも知れない。ここに登場する、6年3組の24人の子どもたちのその時々の心理的な変容は、それなりに興味深いものがある。我が家の子どもたちの見解によれば、それらはあり得ることのようだ。

 これほど、賛否両論が激しいドラマも珍しいが、それだけ面白のかも知れない。HPの掲示板が日本テレビの方で多少校閲されているので、それぞれの意見のぶつかり合いがとぎれていて、わかりにくいのが残念だ。1年間のドラマだということだが、現在7月で、丁度夏休みになったところなので、ほぼ3分の1ほどが過ぎたことになる。演技はとても誇張されたところがあるが、よくよく見ていると、彼らはとても演技が上手いと思った。時々は、子どもと話しながら、今後の展開を見守りたいと思う。

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スター・ウォーズ「エピソード3」

2005-07-18 19:37:01 | インポート
 日曜日、久々に息子と一緒に映画を見に行った。勿論、映画は、今話題のジョージ・ルーカス監督・脚本のスター・ウォーズ「エピソード3 シスの復讐」である。スター・ウォーズをずっと見て来たものには、一応これで、話の展開が理解できてシリーズは閉じられ、完了したことになる。ルークとレイア姫の双子の兄弟の物語で始まったスター・ウォーズは、父のアナキン・スカイウォーカーがどのよう存在で、なぜダース・ベイダーとなり、双子の子どもたちを残すことになったが解き明かされた。最も、先に公開された「エピソード6」で、ルークを助け死んでいったダース・ベイダーことアナキン・スカイウォーカーがフォースの世界に戻り、精霊となったことを皆知って入るのだが、なぜ、彼がダース・ベイダーになったかは、映画にされていなかった。
 この映画がアメリカで公開されたとき、アメリカのスター・ウォーズオタクたちが、様々な衣装を着て、ライト・セイバーまで持って、会社を休んで映画を見にいったという。私と子どもは勿論、そんな格好はせずに見に行った。いつも行く入間市にある「ユナイテッド・シネマ入間」もついにインターネットで予約をできるようになった。会員でなくても予約ができる。前夜予約を取ったのだが、丁度後ろの方のいい席が2つだけ空いていた。当然、いい席から順に埋まって行く。当日も、そんな早く行く必要はなく、ぎりぎりで十分だった。私たちは、インターネット予約がはじめてだったので、1時間ほど余裕を持って出かけたが、30分以上時間をつぶす必要があるほどだった。

 映画は、面白かった。優秀なジェダイの騎士であるアナキン・スカイウォーカーが、「邪悪なパルパティーン皇帝の弟子である、シスの暗黒卿、ダース・ベイダー」となっていく過程がじっくりと描かれていた。話の展開は、息子には少し高度かも知れないと思った。自分の妻を救うために悪に身を投じていくアナキンの心の葛藤は、多少複雑だ。

 クワイ=ガン・ジンはアナキンを、古の予言で伝えられる、フォースにバランスをもたらす選ばれし者だと信じていた。だがジェダイ評議会は、この子の未来が曇っていること、修行を始めるには年が行き過ぎていることから、修行させることをためらった。
 (中略)
 アナキンに試練の時がきた。幼少の頃からジェダイのやり方を教え込まれていたら、もっと感情をきつく抑えていただろう。だが、その心はパドメと母親への想いで占められてしまった。アナキンはジェダイ騎士団に不可欠な、超然と構える術を会得してはいなかったのだ。

 このアナキン・スカイウォーカーの解説は、誰が書いたか知らないが、才能にあふれ、強力なフォースを持つアナキンが、ついにはダース・ベイダーになっていく過程を予告している。それが、「エピソード1」から「エピソード3」に至るスター・ウォーズのテーマだった。ジョージ・ルーカスのスター・ウォーズの世界の特色を一言で言えば、縦糸に善と悪の関係があり、横糸に愛と憎しみの関係がある交錯した世界を色鮮やかに銀河系という神秘な世界で描いたことかも知れない。愛は、人間を悪にも導き、善にも導く。銀河系の宇宙を様々な宇宙人からなる政体として考えると、私たちはどうしてもローマ帝国をモデルにしてしまうらしい。共和国から帝国への政体の変化は、ローマ帝国を強大にさせたが、ローマが滅びる仕組みも作った。

 映画を見終わって家に帰ったら、知り合いの女性から、トミー製の「スーパーレプリカライトセーバー ルーク・スカイウォーカー」が送られて来ていた。その女性のダーリンが友人から誕生日のプレゼントでもらったものだそうだ。ホコリにまみれていたので、彼に聞いてみたらあげてもいいよというわけで、送ってくれたそうだ。息子は、その贈り物を見て、にたにたしていた。その日は、1日中そのライトセーバーを眺めたり、取り扱い説明書を読んだりしていた。

 少し古い型だと送り主は言っていたようだが、息子の話では、ルーク・スカイウォーカーが持っているライトセーバーは、オビ=ワン・ケノービから、「これはお前の父親が使っていたライトサーベルだ」と言って渡していたものだという。そういえば、「エピソード3」の最後の場面で、オビ=ワン・ケノービは、アナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)を倒したとき、アナキンのライトセーバーを持って帰っていたように思う。私はそんなことはすっかり忘れていた。覚えてもいない。息子は、腰に二つのライトセーバーを付けていたよと言う。子どもの注意力は、大人とは違うようだ。

 いずれにしても、オビ=ワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)が戦う場面は圧巻で、「ロード・オブ・ザ・リング」の戦いの場面と同じようにとても迫力のある場面だった。二つとも、ファンタジーとしてみればほぼ同じような世界である。まあ、イギリスとアメリカの違いがあるのかも知れない。「スター・ウォーズ」はSFであり、科学兵器が主な武器だし、「ロード・オブ・ザ・リング」は弓矢や剣や槍が主な武器だが、どちらも「フォース」という神秘な力や、「魔法」の力が生きている。アフガニスタンやイラクでの戦争とテロの時代が、いまこうしたファンタジーを支えているのかも知れない。現実の戦争の世界は政治が力を握り、ファンタジーの世界では愛が力を握っているらしい。

 地球的に観れば、いまは戦争と平和の時代だが、人間の死を何かの犠牲にし過ぎているのではないか。人は、戦争で死んでいったものたちをひたすら悲しみのまなざしで見つめなければならない。その死に何か意味付与をし始めると、とたんに政治的な何かにとらわれてしまう。愛するものが死ぬということは何かを失うことであり、殺したり殺されたりすることは、大いなる喪失である。その喪失感があまりにも大きいと、人は物語を必要とするらしい。
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碁盤と碁石と碁笥

2005-07-12 22:06:17 | デジタル・インターネット
 囲碁は論語などにも登場し、紀元前700年ごろの中国でたしなまれていたようだ。この辺の歴史については、日本棋院のHPの中の「囲碁の歴史」が参考になる。古来の中国では、「琴棋書画」を君子のたしなみとして、子供の頃からしっかり学ばせていたようだ。三国志演義のよれば、ケガをした関羽が、麻酔の代わりに、囲碁をしながら医者に毒矢の傷の手術をうけたという話があるが、関羽は武力に優れていただけでなく、君子のたしなみももっていたらしい。
 囲碁がいつの頃日本に伝わったかは不明であるが、遅くとも奈良時代にはかなり普及していたようだ。701年に定められた「大宝律令」の中の僧尼令に「スゴロクやバクチは禁止するが、碁琴は禁止しない」ということが決められているが、これによれば僧侶や尼の中にもかなり普及していたことが伺われる。碁琴の碁は、もちろん囲碁のことだが、平安時代になれば、源氏物語絵巻にも貴族の女性達が囲碁に興ずる場面が登場しいている。平安時代の貴族の女性達には囲碁の教養は必修科目であったようだ。

 ところで、囲碁をするためには、碁盤と碁石と碁笥が必要である。碁笥(ごけ)というのは、碁石を入れておく器のことである。碁盤は、桂(かつら)と榧(かや)が多く使われているが、榧の碁盤は最高級品となっている。値段の方も、榧の方が一桁高い。碁石は、古くは本物の白い石、黒い石が使われていたが、1700年頃、白石用に貝殻が使われるようになった。白石には日向産の蛤が最高級品とされているが、現在大部分がメキシコ産の蛤貝を使用している。碁石は、厚みがあり、純白で縞目の多いものほど高級品とされ、蛤のどこの部分からくり抜くかによって雪印・月印・実用品に分類されている。黒石のほうは、三重県熊野産の那智黒が最良とされている。碁笥の方は、いろいろで、桜があったり、栗があったり、かりんがあったりと様々で、木目の美しさを競っている。

 勿論、普及品としては、碁石はガラス製のものとプラスチック製のものがあり、碁笥もプラスチックのものがある。私たちが普通に囲碁をするときは、たいてい桂碁盤の足のない平碁盤で、碁石はガラスで、碁笥はプラスチックというのが多いようだ。現に我が家の囲碁セットもそうである。ガラスやプラスチック製のものは、加工が可能で、最近は目に優しいグリーン碁石というものまである。このグリーン碁石というのは作家の夏樹静子さんが考案したものだということを「カラフルな毎日」というブログを書いているりつさんに教えて頂いた。

 昔は、1日に10数局囲碁を打っても平気だったが、今はとてもそんなに打てない。義理の兄が初段くらいで、私と時々打つが、休みの日に酒を飲みながら打ってもせいぜい3局くらいで終わる。碁盤に向かってじっと集中して考えているのが疲れる原因だと思ったいたのだが、ひょっとしたら、黒石と白石のコントラストが疲れさせるかもしれない。ただ、いい碁盤と碁石があれば、とても目に優しいので、そんなに疲れないとも思われる。むしろ、インターネットの場合は、パソコン上のモニターで見るので、これは確実に疲れるように思われる。

 だいたい、一時間半くらいじっとパソコンのモニターを眺めているのはかなりの目の酷使のような気がする。これも一緒のテレビゲームと同じようなことになるのかもしれない。勿論、画面はただ単に碁盤のシミュレーションであり、そこにどんなバーチャルの世界も存在していないのであり、ただそこに手で打つのではなく、自動的に浮かび上がってくる相手の碁石が誰の意志によってそこにおかれたのがが不明だということだけがこちらを不安にさせるだけだ。

 いま、私は、囲碁のことばかりを書いたが、将棋も同じような問題をもっていると思う。私の将棋の腕前は囲碁よりだいぶ落ちるが、それなりにできることはできる。将棋は、囲碁と違って、日本独自のルールであり、囲碁ほど世界的でない。将棋に対してはチェスが対抗馬だが、こちらはコンピュータが名人と対戦するほど進歩している。将棋の方は、囲碁と同じで、まだまだプロには勝てないようだ。これは、囲碁も将棋も取られたところに打てたり、どこに打ってもよかったり、将棋の場合は取った駒を使えたりと、チェスとはかなり様相を異にしていて計算がとても難しいためである。チェスの場合は、最初の駒の配置からただ一定のルールで動くことにより王様を取るだけなので、その分計算が簡単(それでもIBMの超大型コンピュータで計算するのだが)らしい。

 そういう意味では、私より強い相手がコンピュータであることはあり得ないのであるが、理論的な問題とは別に、私の感性は相手がコンピュータであるかのような錯覚を覚えることになる。もっとも前にも述べたことであるが、それは私にそれだけの力量がないだけの話であり、いつか、私にもそうした高度な世界での人間らしさを感じることができるときがくることを願って、囲碁をもう少し勉強してみようと思うようになった。何となく向上心に目覚めたりしている今日このごろではある。
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ネット碁の相手に人間性を感じるとき

2005-07-09 23:20:46 | デジタル・インターネット
 5月の中旬に「パンダネット」の会員になってから、今日まで49局打ち、対戦成績は31勝25敗になった。最初に会員になったとき、3段の免状を持っていたので3段と自己申告したら、初段格に格付けされた。その後、負け続けて、すぐに一級になってしまった。ネット碁の世界は、普通の囲碁の世界より二子くらい厳しいという話を聞いていたが、その通りだった。その上、打ち方に慣れていないので負けが多く、一級まで下がってしまった。それが、やっとまた初段まで戻ることができた。
 普段は時間がないので、囲碁をするのは土曜日か日曜日の休日になる。制限時間が25手10分でも、細かくなり最後まで打つと、1時間半くらいはかかる。それに、負けるとかなり疲れる。大抵、休みの日は、朝1回、午後1回、夜1回というように、できるだけ続けて打たないようにしている。その間、散歩したり、仕事をしたり、用事を片づけたりと別なことをすることにしている。だいたい、3連勝するか3連敗すると1段階あがったり下がったりする。また、一級の上は、一級★で、一級★の上が初段ということになっている。

 3連勝したり、6連勝したりというのは、よほど力がついていないと難しいが、2勝1敗くらいの成績がつづけば、だいたいすぐに上に行けそうだ。勿論、自分がその間強くなっていないとそれは難しい。色々な人がおり、それぞれが勝とうと挑戦しているのだ。面白いのは、朝、昼、夜と囲碁をすると、朝はアメリカなどが多く、昼と夜は、日本や東南アジアの人が多いようだ。中国や韓国の人たちは強そうだ。おそらく、これからどんどん延びていく若者たちなのだろう。私に負けるとすぐに再戦を申し込んできたりする。

 ところで、インターネットで囲碁をするという場合、相手はインターネットに接続している人間なのだが、時々、なんかものすごい性能のコンピュータを相手にしているのかも知れないと思うときがある。そんな時は、淡々と相手が打ってくれるときだ。お互いに気合いが入り、私が打つと怒ったようにすぐに打ったり、またじっくり考えたりなど相手の息づかいまで感じられるようなときがあるが、そんな時はなるほどインターネットの向こうには確かに人間がいるらしいという感じがする。

 私が相手が人間だと感じるときは、相手が私より弱いか、同じくらいの力量のときだ。そして、私より相手が強いときは、相手がコンピュータかも知れないと感じたりする。石を打つ流れがスムーズで、私を寄せ付けない強さで私を攻めてくる様子は、隙がない。まるで、私が次にねらっていることがあらかじめわかったいたかのように、鋭い手を打ってくる。そんな時、目の前に機械があり、それを相手にしている時、正に自分の相手は人間でないような気がしてくるのだ。

 勿論、パンダネットは、最初練習するためにコンピュータを相手にして打つことができる。しかし、このコンピュータは、とても弱い。そして、当然次に打ってくるだろうところをとばしたりする。何だが、とても弱い人間のような感じがするから不思議だ。つまり、囲碁の場合は、相手がとても強いとまるで機械を相手にしているような感じを持つことになる。これは、不思議な感覚だった。

 しかし、考えてみると、私は時々、相手のミスを期待していたりするのだ。そして、私は相手がミスしそうな手を打つと本当にミスしたりしてくれる。また、時には自分でとんでもないミスをしたにも関わらず、相手がそれをとがめなかったりする。そんな時、相手の人間性を感じたりするのだ。まさしく、コンピュータのように正確に、感情に左右されない強さというのは、インターネットを通して見ると人間的でないような気がするわけだ。

 子どもたちを囲碁ファンにさせた漫画『ヒカルの碁』では、ネット碁を上手く活用していた。世界の頂点をめざしているものたちが、そこで戦っていた。そんな世界には、私はとても参加できそうではないが、そうした力がある人たちはまた、私が同じくらいの力量の人たちに対して人間性を感じるように、相手の人間性を感じ取るに違いない。よくよく考えてみると、私たちが相手に人間性を感じるときは、相手も自分と同じような存在でなければならないということのようだ。
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『いつもいいことさがし』

2005-07-03 23:16:22 | 子ども・教育
 最近、私も含めて、私の周囲の人間たちが多少いらいらすることが多く、そんなときは大抵、誰かの言動のあら探しをしていたりする。そして、それを暴くことで多少ストレスの解消をしたりしている。しかし、本当は、いつも、どんなときでも、いいことさがしをしていたほうがいいに決まっている。まず、精神的に気持ちがいい。勿論、細谷亮太先生が書く『いつもいいことさがし』(暮らしの手帖社)は、とてもいい話ではあるが、悲しくて辛い話でもある。
 細谷亮太先生は、1948年生まれで、私と同じ団塊の世代に属する小児科医である。1972年に東北大学医学部を卒業後、聖路加国際病院小児科に勤務し、途中1978年から1980年までアメリカのテキサス大学M.D.アンダーソン病院癌研究所に勤務し、その後日本に戻り、聖路加国際病院に復職している。細谷先生の専門は、小児血液・腫瘍学、小児保健などであるが、この本にも何人もの小児がんの子どもたちが登場する。彼らの中に死んでしまった子どもたちもいれば、助かった子どもたちもいる。1970年頃までは、小児がん、特に小児白血病は、直らない病気の代表だったが、今では、8割以上の人たちが助かっている。そんな治療の進歩に陰には、細谷先生たちの努力があることがよくわかる。

 この本のサブタイトルに「小児科医が見た日本の子どもたちと大人たち」とあるが、日本の子どもたちと大人たちの心の様子が変わって来ていることが幾つか取り上げられている。細谷先生は、俳人でもあり、そのせいか文章は的確で、客観的である。

 「いくつまで先生のところにつれてきていいですか」
 外来でよく聞かれます。そんな時、私は「孵化始めたらもうだめ。内科へ行ってもらいます」
 と答えることにしています。老化は、小児科の医者の扱わない領域です。生まれたての赤ちゃんは、お母さんのおなかの中の環境と全く違った大気の中で、生活を始め、体は急激な変化をとげます。その後、乳児は幼児となり、そして小学校から中学校へと進学するうちに、徐々に思春期に入り、やがて成人していきます。結局、小児科から内科へと移行する時期というのは、その子の発達の程度によるといえるでしょう。アメリカの小児科学会は二十五歳ぐらいまでを思春期と考え、小児科の主部範囲としているようです。(『いつもいいことさがし』p8)

 私は、小児科というのは小学生までかと思っていたが、そうでもないらしい。まあ、でも、だいたいはせいぜい小学生ぐらいまでだと思う。勿論、細谷先生の患者さんたちは中学生もいる。その子の発達段階や、何時病気が発病したかにもよるようだ。というわけで、この本には、聖路加国際病院の小児科にやってきた子どもたちの話は、その父母の話が中心になる。とても悲しい話もあり、とても辛い話もある。

 これは、細谷先生が別の本で書いていたことだが、もう回復の可能性もなくなり、自宅でできるだけ楽しい最後の時を過ごしてもらうようにしていたとき、子どもが先生に「先生、どうしても痛くて我慢ができなくなったらどうしたらいいの」と言った。先生は「大丈夫だよ。そのときは、神様がもいいよといってくれるから」という答えたという話がある。私は、愕然とした。しかし、とても悲しくて、とても辛いことをよく理解している言葉だと思った。おそらく、それは、それ以外に言いようがないのだ。残された親にとっても、どうしようもできないことだと思う。

 「物語る」とは、生きること・死ぬことについて、腹におさまるように話をつくることだという。
 たとえば、わが子が障害を背負ってしまったとき、医師がいくら医学的に障害の原因を背つめしても、苦悩する親は腹におさまらないだろう。「なぜわが子に」という問いへの答えにならないからだ。「この子のおかげで弱い人々を見る眼が変わりました。この子は私の生き方を変えてくれた宝物です」と「物語る」ことができるようになったとき、はじめて腑に落ちるというわけだ。(柳田邦男著『読むことは生きること』新潮社の抜き書き・同上p86)

 おそらく、長い時間かけて、残された人々は自分の物語を紡ぐほかないのだろう。そういうことへの行き届いた配慮は、細谷先生らしい。細谷先生は、死んでいく子どもを前にして、その子のご両親と一緒に号泣してしまうという。おそらく、それ以外に方法がない。しかし、この本には、そうした悲しい話ばかりではなく、そんな絶望の中でも、「いつもいいことさがし」をしていれば、楽しいこともまたあるのがよくわかる。そのために、病院中で協力し合う姿がとてもすがすがしいものだと思った。
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