電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

『ゆる言語学ラジオ』の三上章エールに共感

2024-05-26 12:22:32 | 日記・エッセイ・コラム
 2021年1月にスタートした人気ポットキャスト『ゆる言語学ラジオ』を初めて知ったのは、今井むつみと秋田喜美との共著である『言語の本質』を読み、その後YouTube動画を検索したら、そこに今井むつみが登場していたのを視聴したことがきっかけだ。この動画サイトは、その名の通り、ゆるく楽しく言語の話が楽しめる番組である。

  その後、この番組の評判にあやかって、『ゆるコンピュータ科学ラジオ』というのも始まっている。『ゆる言語学ラジオ』のほうは、ホスト・聞き役を務めるのは堀元見で、そして言語学の知識を駆使して見事に解説するのが水野太貴であるのに対して、『ゆるコンピュータ科学ラジオ』の方は主客逆転して、水野太貴がホスト・聴き役で、コンピュータ科学についての知識を駆使して解説しているのが堀元見である。(本人たちが、完全に栁の下の2匹目のドジョウを探して始めたと言っているところが面白い)

 水野太貴(みずのだいき)は1995年生まれ。愛知県出身。名古屋大学文学部卒で、言語学を専攻し、卒業後 出版社で編集者として勤務するかたわら、『ゆる言語学ラジオ』で話し手を務めている。また堀元見(ほりもと・けん)は1992年生まれ。北海道出身。慶應義塾大学理工学部卒で、専攻は情報工学で、言語学素人の堀元見と言語オタクの水野太貴が「言語」にまつわる話をするところが面白い。(ちなみに、『ゆるコンピュータ科学ラジオ』では、勿論立場が逆になっている)。

 私は、堀元見については、ほとんど知らなかったが、著書に『教養(インテリ)悪口本』(光文社)、『ビジネス書ベストセラーを100冊読んで分かった成功の黄金律』(徳間書店)、水野太貴との共著に『言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ言語沼』(バリューブックス・パブリッシング)などがあることを知って、彼のボケ風な会話の背後にある知的教養について納得した。

 勿論最近の話題も面白いのだが、初回から視聴していて、10回目と11回目で語られた三上章の「『像は鼻が長い』の謎」と「主語を抹殺せよ」についての回はとても興味深かった。水野が三上章の文法論について知ったのは、金谷武洋著『日本語には主語はいらない』(講談社選書メチエ/2002.1.10)を読んだからだそうだ。日本の文法学界からはほとんど無視された三上章ではあったが、日本語教育に関わる金谷武洋から熱いエールを送られていて、水野もそれに賛同していた。(三上の説は、「は」は、主語を表すわけではなく、副助詞で主題を提示する言葉だと言っている)

 私も、金谷武洋著『日本語には主語はいらない』が出た時これを読んで、三上章の本も再読した。その後、月本洋著『日本人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ/2008.4.10)や『日本語は論理的である』(同シリーズ/2009.7.10)を読んで、とても納得したことを覚えている。日本の学校教育の中では、いまでも橋本進吉のいわゆる橋本文法が主流だが、これを変えるためには日本の教科書そのものを大改革しなければならず、難しいのも事実である。勿論、多少は変わってきているが、古典文法では、ほとんど橋本文法が中心であるといってもよい。確かに、その方が説明しやすいというところはある。

 金谷武洋は言語学者だが、月本洋は工学博士で人工知能の研究者であり、三上章も東京大学工学部建築学科の卒業で、数学教師であった。それらが言語学界から無視された要因になっているのかもしれない。そういう意味でも、『ゆる言語学ラジオ』での三上章エールは嬉しかった。いずれにしても現在では、365回まで(1回につき30分からものによっては1時間以上の番組もある)続いているが、私は暇ができると過去の番組を聞いている。
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腰部脊柱管狭窄症の手術をした

2024-05-11 14:04:25 | 日記
 2024年3月22日、埼玉県日高市にあるM病院に入院した。その1週間前ほどから、腰部の痺れが増加し、体を伸ばすと痛くなって戻せなくなったり、ペットとの散歩の時に、屈むと立ち上がれなくなったりしていた。
 
 2019年の11月にMを訪れ、MRIで確認して腰部脊柱管狭窄症と診断され、その後、薬を飲んでいたが、リハビリを一時提案されたのが、2021年5月だった。この病院に通いははじめて5年、リハビリを受けて3年が過ぎている。
 
 そして、その痛みが最高になり、ついに、21日に通っていたM病院に電話して相談して、22日に入院することになった。そして、入院したとき、K先生に「手術をお願いします」とはっきりとお願いした。あまりの痛みに、逡巡している暇がなかった。手術をするのだから、病院を調べ直した方がいいのではないかとも思ったが、K先生の人柄に感銘して、M病院に任せた。
 
 外科手術は、頭でやるのものではない。それは、一種の料理人の腕のような経験と技術によってできるものだ。もちろん、いい設備の病院であることには越したことはないが。私は、所謂ネットでの病院探しはしなかった。この病院は、リハビリ施設も充実していて術後も、とても安心だと思った。つまり、私は、K先生にかけたのだ。
 
 体は、痛いながらも、背中を伸ばさなければ(年よりが背中を丸めるように)、多少普通のことはできそうだ。K先生と話としてから受け付けで入院の手続きをする。部屋は個室。1泊5、500円。まあ仕方がない。私は、iPad Airtスマートキーボード付き)と普通のiPad、スマホ(Gyarlcy)と、Kindlr PaperWhitteを持参した。入院する時、ひょっとすると5月の中旬ごろの手術になるかもしれないと言われ、準備。しかも、この病院は個室にいるとWiFiが自由に使えた。
 
 入院した時は、5月かもしれないということだったが、その後先生が頑張って調整し、結局4月11日が手術日になる。私は、色々な病院(心臓や眼科など)に通っていて、色々な薬を飲んでいる。ここでは他の病院のことは書かないが、一つだけ狭心症の手術をしていて、血液をサラサラにする薬を飲んでいる。そのため、手術日が決まったら、その前1週間から飲むのを中止し、手術後様子を見てまた飲むようになる。要するに血が出る手術の時は、血液サラサラにする薬はやめないといけないということだ。ある意味では、脳梗塞などの循環器軽の病気になりやすくなるということだ。その意味でも、病院に入院していることは、いいことだと思った。
 
 手術までの間は、だいたい、午前1回、午後1回のリハビリ(筋肉を低下させない運動がメインに)をするだけ。痛みは、我慢できる程度。屈んでいれば大抵のことはできる。風呂は入れずシャワーが、週に2回程度。パンツと靴下以外は、病院で支給。入院中は、動画を見たり、日記を書いたり、ラジオを聴いたり、調べ物をしたりして過ごした。看護師さんは毎日変わりすぐ離れていってしまうので名前を覚えられないが、リハビリの担当者は全て名前を覚えた。残念ながら、顔はマスクをしていたので、完全とはいえないが、背丈やカッコで大体わかる。リハビリはBチームだった。どうやら、3年前に、リハビリを少しやってもらったチームのようだ。
 
 手術は、11日。前日にはしっかりシャワーを浴び、体をきれいにして、夕食だけを食べる。当日は、6時から、水も飲めなくなる。その後、点滴が始まる。水分補給のためだそうだ。9時半に手術用の格好にになる。素っ裸になり、前から着る手術服。手術は、うつ伏せになり背中から切ることになる。妻も当日の朝は、来てくれた。手術室に入り、全身麻酔の点滴が始まり、私の記憶はそこで切れた。
 
 11日の夕方気がつく。時間は覚えていないが5時過ぎ。夕食があるとかないとか話していたが、多分なかった。上向いで寝ているが、傷口が痛いのと腰が痛いので、半分うめきながら寝ていた。しかし、痛かったら看護師を呼んでと言われたが、その日は我慢した。知らないうちにペニスに管が入り、オムツをしていた。
 
 12日になり、食事が出るようになる。それとともに、リハビリも始まった。おむつをして、オシッコは管を入れてそこから出るようになっていたが、すぐにオムツだけになり、トイレに行く時は、看護師さんを呼び出し、車椅子で、トイレに行く。まだ自由に歩けないのだ。もちろん、その他は自分1人で処理。基本的には、点滴もあり、ほとんとベッドだが、それなりにリハアビがある。手術後、便秘になり、看護師さんから浣腸しましょうかと言われる程だったが、便秘対策用の薬を出してもらい、4日かの便秘が治った。
 
 その後、時々のK先生の傷のチェックがあり、その時が一番安心できた。少しずつ、よくなって行くようだ。そして、普通の点滴は終わり、しばらく朝夕の1時間程度の炎症を防ぐ点滴。また、時々熱が出たので、コロナとインフルエンザの検査もあった。こちらは無事、陰性。この間、おむつしているがオムツの中で漏らしたことはない。
 
 19日に久しぶりにシャワーを浴びることができた。ただ、背中の傷があり、簡易ベッドに寝たまま、頭も体も洗ってもらうことになる。介護士さんは子持ちのようで、とても親しみのある人で、昔女子校の教師だった頃の話をして、生徒の要望でちあきなおみの「喝采」を歌ったことを話したら、どんな歌か知らないということで、「いつものように云々」と少しだけ歌ってしまった。しかし、とても気持ち良いおシャワーだった。この時から、オムツを外し、普通の下着になる。
 
 また、その日、妻見舞いに来て、ゴールデンウィークが明けるまで退院しないでくれと言われた。実は、この病院は、義母が何度か入院してしていて、最後もここで看取られたところだ。もちろん、コロナの時だったので、質素な葬式になったが、一応、火葬場まで行けるようになっていた。そのときに色々お世話になったのが、理事長のK先生だが、妻は私が入院していることを少し話したらしい。
 
 その後、日々の生活は、読書、Netflixでドラマ、YouTube動画。手術後。13日より、iPadで日記を書くようになっていた。とりあえず、リハビリの時が一番長い付き合いになる(1回40分)。それで、名前を全て覚えてしまった。これは、ある種のボケ防止。住んでいるところなど、療法士相互の間でも知らない個人情報まで仕入れてしまった。他の療法士のひとが、知らなかったということまで、仕入れていた。
 
 担当の古波蔵先生から、私の手術の方法を聞いた。「腰椎椎弓形成術」という手術らしい。AIによれば、次のような手術だそうだ。
 
<腰部脊柱管狭窄症徐圧式追及形成術(または腰椎椎弓形成術)は、主に黄色靭帯骨化症や骨棘形成などによる脊柱管狭窄症に対する手術です。この手術では、腰椎部分の椎弓の一部を切除して脊柱管を広げ、神経の圧迫を解除します。

具体的な手術の流れは以下の通りです:
皮膚切開: 腰~背中の部分に皮膚切開を行い、腰椎の後面を露出させます。
棘突起の切除: 背骨の飛び出している部分(背中を触ると触れる部分)を切除します。

椎弓の一部切除: 椎弓の一部を切除して脊柱管を広げ、圧迫を解除します。
その他の処置: 黄色靭帯が脊髄を圧迫している場合や椎間板ヘルニアが脊髄を圧迫している場合は、それぞれ切除して圧迫を解除することもあります。

術後経過: 患者さんの状態によって異なりますが、広範囲椎弓切除術の場合は、術後数日の安静が必要となります。部分椎弓切除術の場合は術後2~5日目からの歩行が目安となります。最低でも1ヶ月間はコルセットを装着します。

この手術は、腰部脊柱管狭窄症や腰椎椎間板ヘルニアなどに適応され、治療効果の高い手術の一つです。ただし、手術には合併症のリスクもあるため、慎重に検討されるべきです。>


 色々な対応の手術だと知った。先生の話では、同じ時期に三人のほぼ同じ手術をしたそうだ。その中では、短い方だったのこと。そして、血液をサラサラにする薬を飲んでいる人は多いそうだ。K先生は、この手術のベテランであるようだ。安心した。
 
 退院は、5月7日に予定になった。他の病院に行かなければならないが、薬を1ヶ月分くらい余分にもらうことになった。その間に予約をtって行くようにすることになる。退院後すぐに行っても大丈夫だと言う。
 
 退院までの生活は、だいたい、7時半ごろに朝食を食べ、その後、看護師かんから今日の予定の連絡があり、それに合わせて、2回のリハビリがあり、その合間に、自分で廊下を散歩、2回。1回に3往復歩く。
 
 以上、無事、5月7日に退院した。そして、5月12日から、コルセットなしの生活になった。しばらくは、注意しながら生活しようと思った。
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