電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

iPadの可能性

2010-06-13 11:00:37 | デジタル・インターネット

 佐々木尚俊著『電子書籍の衝撃』(ディスカバー携書/2010.4.15)を読んで、私は、ほんの少し違和感を感じた。この違和感はなんだろうと考えていたとき、中国で、「iPadの競合製品発売 中国大手、アップルに対抗」という記事を読んだ。中国の電子書籍端末大手、漢王科技が、iPadに似た新製品「TouchPad(タッチパッド)」を発売したというのだ。佐々木尚俊は、この本では、iPadを電子書籍端末という文脈の中でとらえているが、私はもっと広い意味での通信端末ととらえたほうがよいと思った。むしろ、ある意味では、パーソナルコンピュータの世界の革命だと思ったほうがいいのではないかと思った。

 iPadは、Macで培ったノウハウと最近のiPodやiPhoneでつかんだノウハウを統合したアップの最終的なパーソナルコンピュータなのだと思う。WindowsPCを越えられるかどうかが、今試されようとしている。日本の電子書籍ということについて言えば、遠からずすべての書籍は電子化されて、通信端末で読むか、紙ベースで読むか選択できるようになるに違いない。これは、速くやってくるのか、ゆっくりやってくるのかとい時期の問題だ。iPadの登場は、iPodがミュージックの世界に衝撃を与えたように、その速度を速めるかもしれないが、それがiPad登場の核心的な問題ではないと思う。「iPadの衝撃」は、もっと後になってどんな意味をもっていたがが分かるのだと思われるが、わたしの予想では、パーソナルコンピュータの進化という問題に関わっているのだと思う。

 PCがこれだけ発達したのは、その汎用性にある。そして、iPadがこれからPCとWebの時代で最先端を走り続けるためには、その汎用性をどのように実現するかにある。アップルは、ある意味では、汎用的な商品を作ってこなかった。それは、アップルがハードまで作ってきたからだと思う。今回のこのiPadもアップルが作ったハードである。もし、問題があるとすれば、そこである。ハードもソフトもアップルというやり方をしてしまうと、アップルは、多分、その先に行けなくなるに違いない。それは、Macで経験済みのはずだ。

 もし、iPadに汎用性がなかったら、早晩、ゲーム機として使われることになるか、iPhoneの大型機ということで終わってしまうに違いない。その場合は、むしろ、任天堂のゲーム機がどうなるかということの方が心配だ。まだ、iPadの活用というところがあまり見えないが、私にはiPadの汎用性こそが、iPadの今後のキーになると思われる。iPadは、おそらくWeb端末という点で発展していくし、そこにいちばんの可能性があり、そこに成功の鍵があると思われる。そのためには、Webを通じて、今までのPCの世界と互換性を持たなければならない。そのためにも、汎用性が必要なのだ。

 iPadの革新性のポイントは、キーボートをなくしたことだと思う。つまり、コンピュータのインタフェースをまったく変えたと言うことだ。もちろん、入力をするとき、iPadもキーボードを画面に表示し、そこから入力できる。しかし、物理的なキーボードはない。ソフト的に処理しているのだ。iPhoneでやったことは、ある意味では、同じことだった。携帯電話から入力用のキーを取り外してしまった。そして、その延長上に、iPadがある。これが、iPadの革新性だと思う。これが、新しいPCの世界を切り開いていくことだけは確かだが、それでiPadが最終的に勝利するかどうかは、現在のところ不明だ。

 ニュースで見た限りでは、今のところ、iPadで読書をやろうというのはそれほど強くなさそうだ。むしろ、買った人たちは、なんとかビジネスに使おうと思っているようだ。そのためには、iPadにはいっているソフトに汎用性が必要だと思われる。こちらの方面は、多分、これから拡張されていくに違いない。iPadで、ワードやエクセル、パワーポイントが使えるようになるのかどうかは分からない。しかし、ケータイとパソコンを越えた通信端末としては、それだけのことができるようになるべきである。ある意味では、Webにつながり、Webを通していろいろな仕事が素早くどこでもできるようになるということが問題なのだ。

 「iPadの衝撃」という記事があちこちで踊っているので、iPadについて、私なりの感想を書いてみた。iPadによって、アップルは、WindowsPCを越えようとしているのではないかというのが、私の最初の印象だった。WindowsPCを越えるというのは、とても大変なことである。そして、おそらくiPadは、今のままではWindowsPCは越えられないと思う。しかし、越える可能性があるのではないかという気がしている。iPadがソフトバンクだけの商品になって登場したことがとても残念だ。もし、海外のようにSIMロックがかかっていなかったら、もっと、違った展開が日本で起きたに違いない。そして、日本のガラパゴス化したケータイの世界が、もっと速く変わっていくことができたに違いない。

 一つの薄い画面があり、そこですべてのことがソフト的に処理できるとしたら、それは本当に新しいPCだと思う。入力がキーボードから離れることにより、私たちは、次の新しい可能性を見つけるに違いない。そして、その画面は、世界と繋がった新しい端末なのだ。ケータイでもなくパソコンでもない新しい何かが今生まれようとしている。キーボードがないというのは、ほんの些細なことのように見える。しかし、入力という点では、一つの大きな変化だと思われる。それが、どんなに革命的なことかは、これから少しずつはっきりしてくるに違いない。アップルのiPadは、私にそんなわくわくした可能性を予感させた。

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