河野龍太郎によれば、日本は、1998年と比較すると、生産性は30%上昇しているにもかかわらず、賃金は横ばいか下がっているという。アメリカは、50%以上生産性が上がり、賃金は実質で25%以上上昇し、ドイツやフランスは日本より生産性の上昇率が低いにもかかわらず、賃金は20%以上も上昇しているという。ここから、彼は、次のように言う。
そして、ダロン・アセモグルとジェイムス・A・ロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか──権力・繁栄・貧困の起源』で次のように言っていると紹介しています。
日本企業は、戦後包摂的で高度経済成長を遂げてきていたのに、いつの間にか収奪的な社会に向かっているという。野口悠紀雄と河野龍太郎の違いは、結果的には同じ(イノベーションへの投資が必要だという点)になるのかもしれないが、河野が『成長の臨界』で明らかにした「日本の長期停滞の元凶が、儲かってもため込んで、賃上げにも人的資本投資にも消極的な日本企業、特に大企業ということでした」といっているところだ。日本の企業の利益剰余金は1990年代末に130兆円だったが、2023年度は600兆円の大台に乗っていると言われている。
野口悠紀雄よれば、金融緩和と円安によって、自動車産業を中心とした日本の主たる輸出産業(過去の栄光である輸出大国日本の特質)は、何もしなくても、利益が上昇し、いずれも過去最高益を更新してきた。そして、技術革新への挑戦や新規企業の創出が余り起きなかった。それが、日本経済の停滞をつくりだしたという。
日銀が、金融緩和を続け、2%のインフレを目指したのかについては、野口悠紀雄の説明より、河野龍太郎の説明のほうが分かりやすい。河野は、日銀には「安価な労働力の大量出現」と「残業規制にインパクト」の二つの誤算があったという。つまり、日銀の政策は、金融緩和とインフレによって、企業の投資活動が活発になるという想定の下の行われたわけだが、実際は、そうはならなかった。むしろ、企業は、コストカットのために、安価な主婦や高齢者の再雇用などの非正規雇用を増加して、賃金そのものはむしろ下がってしまった。その上、日本の若者の人口減のなか、残業規制により、正社員の残業が減ることにより、さらに人で不足が増加し、それが外国人や非正規雇用者の採用増になってしまったという。
ところで、私は、この本で、「メンバーシップ型雇用」と「ジョブ型雇用」という言葉があることを知った。
この点については、河野は、メンバーシップ型からジョブ型に変えとは言っていない。それぞれによい点と問題点があり、それは、よく検討する必要があるという提案をしている。
そうしたいろいろな問題を持った日本の企業の中で、イノベーションをどう起こせばよいかというのが、最終的な問題になるが、「収奪的」なイノベーションと「包摂的」なイノベーションがあるということは鋭い指摘だと思った。
私たちは、現在AIの出現という新時代に突入している。この点については、河野は、次のように述べている。
本当に、「飼いならす」ことができるのかどうか、現状を見ていると不安になる。しかし、問題提起としては、そのとおりだと思った。いずれにしても、いま、日本経済は、大きな曲がり角に差し掛かっていることだけは確かだ。
<日本の問題は、生産性が低いから実質賃金を引き上げることができない、ということではないのです。生産性が上がっても、実質賃金が全く引き上げられていない、というのが真実です。それゆえ、筆者は、生産性をあげることの重要性は否定しないものの、喫緊の課題は所得再分配であると長く訴えてきました。家計が収奪されているから、日本経済は長期停滞が続いているのではないでしょうか。>(『日本経済の死角』p29)
そして、ダロン・アセモグルとジェイムス・A・ロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか──権力・繁栄・貧困の起源』で次のように言っていると紹介しています。
<衰退する国家の制度は、収奪的(Extractive)であり、一部の社会エリートが富を独占します。繁栄する国家の制度は包摂的(Inclusive)であり、幅広い人々が政治プロセスに参加し、権力が分散されて、自由競争と技術革新が奨励され、豊かさを分かち合うといいます。>(『日本経済の死角』p30)
日本企業は、戦後包摂的で高度経済成長を遂げてきていたのに、いつの間にか収奪的な社会に向かっているという。野口悠紀雄と河野龍太郎の違いは、結果的には同じ(イノベーションへの投資が必要だという点)になるのかもしれないが、河野が『成長の臨界』で明らかにした「日本の長期停滞の元凶が、儲かってもため込んで、賃上げにも人的資本投資にも消極的な日本企業、特に大企業ということでした」といっているところだ。日本の企業の利益剰余金は1990年代末に130兆円だったが、2023年度は600兆円の大台に乗っていると言われている。
野口悠紀雄よれば、金融緩和と円安によって、自動車産業を中心とした日本の主たる輸出産業(過去の栄光である輸出大国日本の特質)は、何もしなくても、利益が上昇し、いずれも過去最高益を更新してきた。そして、技術革新への挑戦や新規企業の創出が余り起きなかった。それが、日本経済の停滞をつくりだしたという。
日銀が、金融緩和を続け、2%のインフレを目指したのかについては、野口悠紀雄の説明より、河野龍太郎の説明のほうが分かりやすい。河野は、日銀には「安価な労働力の大量出現」と「残業規制にインパクト」の二つの誤算があったという。つまり、日銀の政策は、金融緩和とインフレによって、企業の投資活動が活発になるという想定の下の行われたわけだが、実際は、そうはならなかった。むしろ、企業は、コストカットのために、安価な主婦や高齢者の再雇用などの非正規雇用を増加して、賃金そのものはむしろ下がってしまった。その上、日本の若者の人口減のなか、残業規制により、正社員の残業が減ることにより、さらに人で不足が増加し、それが外国人や非正規雇用者の採用増になってしまったという。
<つまり、団塊世代が2012~2014年に65歳に達すれば、その退職によって、日本国中で深刻な労働力の不足が始まり、賃金上昇が進むため、異次元緩和による高圧経済戦略を取れば、2%インフレの早期達成につながると、日銀幹部は目論んでいたはずです。高圧経済(High Pressure Economy)とは、経済学者アーサー・オークンが1960年代に唱えた理論で、経済を強い需要にさらすことで資源の活用を促進し失業率を低下させる経済政策です。日本銀行はこれを、インフレを高めるために採用したのです。
勝手な想像ですが、金融緩和による円安だけでは無理でも、人手不足に突入するから、2%のインフレの到達は思いのほか早く訪れるはずですと、就任直後の黒田総裁に日銀幹部が耳打ちする姿が見に浮かびます。
しかし、結局、それが強く現れ始めるのは、10年後の2023年春以降であり、10年の先送りとなったのは、ここまでお話ししたように、労働市場に大きな構造変化が生じ、高齢者と女性(や外国人)という安価な労働力のプールが新たに出現したためでした。筆者は、2010年代半ば当時、日本銀行は高圧経済で風船を膨らませているつもりが、穴が開いて空気が抜け出している状態ではないかと、批判的に捉えていました。>(「同上」p138)
勝手な想像ですが、金融緩和による円安だけでは無理でも、人手不足に突入するから、2%のインフレの到達は思いのほか早く訪れるはずですと、就任直後の黒田総裁に日銀幹部が耳打ちする姿が見に浮かびます。
しかし、結局、それが強く現れ始めるのは、10年後の2023年春以降であり、10年の先送りとなったのは、ここまでお話ししたように、労働市場に大きな構造変化が生じ、高齢者と女性(や外国人)という安価な労働力のプールが新たに出現したためでした。筆者は、2010年代半ば当時、日本銀行は高圧経済で風船を膨らませているつもりが、穴が開いて空気が抜け出している状態ではないかと、批判的に捉えていました。>(「同上」p138)
ところで、私は、この本で、「メンバーシップ型雇用」と「ジョブ型雇用」という言葉があることを知った。
<念のため説明しておくと、日本の大企業の正社員を中心とする雇用制をメンバーシップ型と呼びます。日本の中小企業や非正社員、あるいは諸外国で企業規模や雇用形態を問わず広く採用されている雇用制をジョブ型と呼びます。海外の雇用制はジョブ型です。
日本以外の国では、幹部層を除くと、会社に入る場合、決まった職種(ジョブ)に就きますが、日本の場合、大半の正社員の職種は決まっておらず、ローテーションの中で、さまざまな職種に就きます。ジョブ型では文字通り、就「職」なのですが、メンバーシップ型の場合は、就「社」となります。>(「同上」p200)
日本以外の国では、幹部層を除くと、会社に入る場合、決まった職種(ジョブ)に就きますが、日本の場合、大半の正社員の職種は決まっておらず、ローテーションの中で、さまざまな職種に就きます。ジョブ型では文字通り、就「職」なのですが、メンバーシップ型の場合は、就「社」となります。>(「同上」p200)
この点については、河野は、メンバーシップ型からジョブ型に変えとは言っていない。それぞれによい点と問題点があり、それは、よく検討する必要があるという提案をしている。
そうしたいろいろな問題を持った日本の企業の中で、イノベーションをどう起こせばよいかというのが、最終的な問題になるが、「収奪的」なイノベーションと「包摂的」なイノベーションがあるということは鋭い指摘だと思った。
<イノベーションの本質を考えるには、1万2000年前の農耕牧畜革命を振り返るのが良いかもしれません。農耕牧畜革命が始まった際、一人当たりの栄養摂取量で見ると、狩猟採集生活に比べて改善したわけではありません。むしろ悪化しました。
それ以前の狩猟採取生活の下で、人類は1日数時間の労働を行い、比較的自由かつ平等な社会生活を営んでいました。数時間働いた後は、食べて飲んで、歌って踊って暮らしていたようです。
農耕牧畜革命後、平均産出量も限界生産性も上昇しました。多くの人々は長時間、働かされることになりましたが、恩恵のほとんどは支配層が収奪し、栄養摂取量はむしろ低下して、生存ギリギリの状況が続きました。そうした状況は、近世が訪れるまで、ほとんどかわりませんでした。
つまり、農耕牧畜革命という人類最初の画期的なイノベーションが起こった際も、結局、恩恵を享受したのは一部の支配層だけであって、多くの人は収奪され、むしろ貧しくなっていたのです。農耕牧畜生活は安定しているのだと集団の指導者に説得され、多少の安定性にからめとられて農耕生活を続けていると、抜け出せなくなり、気が付いてみれば、身分制度の底辺の組み込まれていたということでしょうか。
もちろん、農耕牧畜革命後の支配層の誕生は、国家の誕生につながり、産出量を管理するために、文字が生まれ、度量衡の制度も生まれ、文明が発達しました。このようにテクノロジーと経済格差は、常に裏腹の関係にあるのです。>(「同上」p261・262)
それ以前の狩猟採取生活の下で、人類は1日数時間の労働を行い、比較的自由かつ平等な社会生活を営んでいました。数時間働いた後は、食べて飲んで、歌って踊って暮らしていたようです。
農耕牧畜革命後、平均産出量も限界生産性も上昇しました。多くの人々は長時間、働かされることになりましたが、恩恵のほとんどは支配層が収奪し、栄養摂取量はむしろ低下して、生存ギリギリの状況が続きました。そうした状況は、近世が訪れるまで、ほとんどかわりませんでした。
つまり、農耕牧畜革命という人類最初の画期的なイノベーションが起こった際も、結局、恩恵を享受したのは一部の支配層だけであって、多くの人は収奪され、むしろ貧しくなっていたのです。農耕牧畜生活は安定しているのだと集団の指導者に説得され、多少の安定性にからめとられて農耕生活を続けていると、抜け出せなくなり、気が付いてみれば、身分制度の底辺の組み込まれていたということでしょうか。
もちろん、農耕牧畜革命後の支配層の誕生は、国家の誕生につながり、産出量を管理するために、文字が生まれ、度量衡の制度も生まれ、文明が発達しました。このようにテクノロジーと経済格差は、常に裏腹の関係にあるのです。>(「同上」p261・262)
私たちは、現在AIの出現という新時代に突入している。この点については、河野は、次のように述べている。
<少子高齢化で人手不足が深刻化している日本では、AIやロボティクスがもたらす自動化や、事実上の低スキル移民を喜んで社会が受け入れています。しかし、移民を含めそれらのイノベーションは、これまで見てきたように、再び実質賃金を抑える要因になりかねません。目の前の利益と、目の前の人手不足にばかり関心を奪われて、そのままの形で無批判に受け入れると、とりわけ長期雇用制の枠外にいる人々を苦しめ、日本社会はますます貧しくなるばかりです。気が付けば、社会の分断が広がり、政治の液状化を進んでいた、ということになりかねません。
まずは、生産性が上がらないから実質賃金を上げられないと繰り返すのを止めましょう。それは真実ではありません。また、イノベーションは本来、野性的で、収奪的でありますが、それを否定するのではなく、社会が飼いならすための包摂的な制度作りが必要です。>(「同上」p270・271)
まずは、生産性が上がらないから実質賃金を上げられないと繰り返すのを止めましょう。それは真実ではありません。また、イノベーションは本来、野性的で、収奪的でありますが、それを否定するのではなく、社会が飼いならすための包摂的な制度作りが必要です。>(「同上」p270・271)
本当に、「飼いならす」ことができるのかどうか、現状を見ていると不安になる。しかし、問題提起としては、そのとおりだと思った。いずれにしても、いま、日本経済は、大きな曲がり角に差し掛かっていることだけは確かだ。