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■河野龍太郎著『日本経済の死角』を読んで

2025-04-30 21:21:40 | 政治・経済・社会
 河野龍太郎によれば、日本は、1998年と比較すると、生産性は30%上昇しているにもかかわらず、賃金は横ばいか下がっているという。アメリカは、50%以上生産性が上がり、賃金は実質で25%以上上昇し、ドイツやフランスは日本より生産性の上昇率が低いにもかかわらず、賃金は20%以上も上昇しているという。ここから、彼は、次のように言う。

<日本の問題は、生産性が低いから実質賃金を引き上げることができない、ということではないのです。生産性が上がっても、実質賃金が全く引き上げられていない、というのが真実です。それゆえ、筆者は、生産性をあげることの重要性は否定しないものの、喫緊の課題は所得再分配であると長く訴えてきました。家計が収奪されているから、日本経済は長期停滞が続いているのではないでしょうか。>(『日本経済の死角』p29)


 そして、ダロン・アセモグルとジェイムス・A・ロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか──権力・繁栄・貧困の起源』で次のように言っていると紹介しています。

<衰退する国家の制度は、収奪的(Extractive)であり、一部の社会エリートが富を独占します。繁栄する国家の制度は包摂的(Inclusive)であり、幅広い人々が政治プロセスに参加し、権力が分散されて、自由競争と技術革新が奨励され、豊かさを分かち合うといいます。>(『日本経済の死角』p30)


 日本企業は、戦後包摂的で高度経済成長を遂げてきていたのに、いつの間にか収奪的な社会に向かっているという。野口悠紀雄と河野龍太郎の違いは、結果的には同じ(イノベーションへの投資が必要だという点)になるのかもしれないが、河野が『成長の臨界』で明らかにした「日本の長期停滞の元凶が、儲かってもため込んで、賃上げにも人的資本投資にも消極的な日本企業、特に大企業ということでした」といっているところだ。日本の企業の利益剰余金は1990年代末に130兆円だったが、2023年度は600兆円の大台に乗っていると言われている。

 野口悠紀雄よれば、金融緩和と円安によって、自動車産業を中心とした日本の主たる輸出産業(過去の栄光である輸出大国日本の特質)は、何もしなくても、利益が上昇し、いずれも過去最高益を更新してきた。そして、技術革新への挑戦や新規企業の創出が余り起きなかった。それが、日本経済の停滞をつくりだしたという。

 日銀が、金融緩和を続け、2%のインフレを目指したのかについては、野口悠紀雄の説明より、河野龍太郎の説明のほうが分かりやすい。河野は、日銀には「安価な労働力の大量出現」と「残業規制にインパクト」の二つの誤算があったという。つまり、日銀の政策は、金融緩和とインフレによって、企業の投資活動が活発になるという想定の下の行われたわけだが、実際は、そうはならなかった。むしろ、企業は、コストカットのために、安価な主婦や高齢者の再雇用などの非正規雇用を増加して、賃金そのものはむしろ下がってしまった。その上、日本の若者の人口減のなか、残業規制により、正社員の残業が減ることにより、さらに人で不足が増加し、それが外国人や非正規雇用者の採用増になってしまったという。

<つまり、団塊世代が2012~2014年に65歳に達すれば、その退職によって、日本国中で深刻な労働力の不足が始まり、賃金上昇が進むため、異次元緩和による高圧経済戦略を取れば、2%インフレの早期達成につながると、日銀幹部は目論んでいたはずです。高圧経済(High Pressure Economy)とは、経済学者アーサー・オークンが1960年代に唱えた理論で、経済を強い需要にさらすことで資源の活用を促進し失業率を低下させる経済政策です。日本銀行はこれを、インフレを高めるために採用したのです。
 勝手な想像ですが、金融緩和による円安だけでは無理でも、人手不足に突入するから、2%のインフレの到達は思いのほか早く訪れるはずですと、就任直後の黒田総裁に日銀幹部が耳打ちする姿が見に浮かびます。
 しかし、結局、それが強く現れ始めるのは、10年後の2023年春以降であり、10年の先送りとなったのは、ここまでお話ししたように、労働市場に大きな構造変化が生じ、高齢者と女性(や外国人)という安価な労働力のプールが新たに出現したためでした。筆者は、2010年代半ば当時、日本銀行は高圧経済で風船を膨らませているつもりが、穴が開いて空気が抜け出している状態ではないかと、批判的に捉えていました。>(「同上」p138)


 ところで、私は、この本で、「メンバーシップ型雇用」と「ジョブ型雇用」という言葉があることを知った。

<念のため説明しておくと、日本の大企業の正社員を中心とする雇用制をメンバーシップ型と呼びます。日本の中小企業や非正社員、あるいは諸外国で企業規模や雇用形態を問わず広く採用されている雇用制をジョブ型と呼びます。海外の雇用制はジョブ型です。
 日本以外の国では、幹部層を除くと、会社に入る場合、決まった職種(ジョブ)に就きますが、日本の場合、大半の正社員の職種は決まっておらず、ローテーションの中で、さまざまな職種に就きます。ジョブ型では文字通り、就「職」なのですが、メンバーシップ型の場合は、就「社」となります。>(「同上」p200)


 この点については、河野は、メンバーシップ型からジョブ型に変えとは言っていない。それぞれによい点と問題点があり、それは、よく検討する必要があるという提案をしている。

 そうしたいろいろな問題を持った日本の企業の中で、イノベーションをどう起こせばよいかというのが、最終的な問題になるが、「収奪的」なイノベーションと「包摂的」なイノベーションがあるということは鋭い指摘だと思った。

<イノベーションの本質を考えるには、1万2000年前の農耕牧畜革命を振り返るのが良いかもしれません。農耕牧畜革命が始まった際、一人当たりの栄養摂取量で見ると、狩猟採集生活に比べて改善したわけではありません。むしろ悪化しました。
 それ以前の狩猟採取生活の下で、人類は1日数時間の労働を行い、比較的自由かつ平等な社会生活を営んでいました。数時間働いた後は、食べて飲んで、歌って踊って暮らしていたようです。
 農耕牧畜革命後、平均産出量も限界生産性も上昇しました。多くの人々は長時間、働かされることになりましたが、恩恵のほとんどは支配層が収奪し、栄養摂取量はむしろ低下して、生存ギリギリの状況が続きました。そうした状況は、近世が訪れるまで、ほとんどかわりませんでした。
 つまり、農耕牧畜革命という人類最初の画期的なイノベーションが起こった際も、結局、恩恵を享受したのは一部の支配層だけであって、多くの人は収奪され、むしろ貧しくなっていたのです。農耕牧畜生活は安定しているのだと集団の指導者に説得され、多少の安定性にからめとられて農耕生活を続けていると、抜け出せなくなり、気が付いてみれば、身分制度の底辺の組み込まれていたということでしょうか。
 もちろん、農耕牧畜革命後の支配層の誕生は、国家の誕生につながり、産出量を管理するために、文字が生まれ、度量衡の制度も生まれ、文明が発達しました。このようにテクノロジーと経済格差は、常に裏腹の関係にあるのです。>(「同上」p261・262)

 私たちは、現在AIの出現という新時代に突入している。この点については、河野は、次のように述べている。

<少子高齢化で人手不足が深刻化している日本では、AIやロボティクスがもたらす自動化や、事実上の低スキル移民を喜んで社会が受け入れています。しかし、移民を含めそれらのイノベーションは、これまで見てきたように、再び実質賃金を抑える要因になりかねません。目の前の利益と、目の前の人手不足にばかり関心を奪われて、そのままの形で無批判に受け入れると、とりわけ長期雇用制の枠外にいる人々を苦しめ、日本社会はますます貧しくなるばかりです。気が付けば、社会の分断が広がり、政治の液状化を進んでいた、ということになりかねません。
 まずは、生産性が上がらないから実質賃金を上げられないと繰り返すのを止めましょう。それは真実ではありません。また、イノベーションは本来、野性的で、収奪的でありますが、それを否定するのではなく、社会が飼いならすための包摂的な制度作りが必要です。>(「同上」p270・271)


 本当に、「飼いならす」ことができるのかどうか、現状を見ていると不安になる。しかし、問題提起としては、そのとおりだと思った。いずれにしても、いま、日本経済は、大きな曲がり角に差し掛かっていることだけは確かだ。

■テクノ封建制とは(ヤニス・バルファキス著『テクノ封建制』を読んで)

2025-04-11 15:24:45 | 政治・経済・社会
 ヤニス・バルファキスによれば、アップルやアマゾンなどがやっているのは、インターネット上に封土をつくり、一方でクラウド・プロレタリアートにリアル作業をやらせ(その場合も、AIなど最新のテクノリジーの技術を使い)、他方でそのクラウドにやってくる人々に好きなことをやらせ、そのデータを使って稼いだり、参加料または使用料をレントとして受け取っている。こちらは、一種の農奴であり、こうした全体的なシステムを「テクノ封建制」と呼んでいるようだ。そして、いわゆる資本主義を終わり、新しい時代に入ったと考えた方がよいという。

 この「テクノ封建制」のしくみについては、この本の「附記①テクノ封建制の政治経済学」で詳しく展開されている。この中では、「クラウド資本」とは何かについて次のように定義している。

<クラウド資本とは、ネットワークにつながった機械、ソフトウェア、AIが動かすアルゴリズム、通信ハードウェアの集合体であり、それが地球上に張り巡らされ、広い羽仁にまたがる新旧のさまざまなタスクを行っているものとして定義される。
 ・数十億もの人々(クラウド農奴)を動員し、クラウド資本を再生産させるために(しばしば無自覚のうちに)ただ働きさせる(たとえば、画像や動画をインスタグラムやTikTokに投稿したり、映画、レストラン、書籍のレビューを書き込んだりすること)。
 ・証明を消すのを手伝ってくれる一方で、書籍や映画や休日のおすすめを示す。私たちの興味と関心にぴったりと寄り添うことで私たちを信頼させ、クラウド封土、つまりプラットフォーム(アマゾン・ドットコムなど)で販売されているほかの商品も私たちが受け入れる用操作する。これらはいずれもまったく同じデジタル・ネットワーク上で稼働している。
 ・AIとビッグデータを活用して工場における労働者(クラウド・プロレタリアート)を管理し、同時にエネルギー網、ロボット、トラック、自動生産ライン、3Dプリンターを使って従来の製造過程を回避できるようにする。


 クラウド資本は、テクノストラクチャーが利用した二つの行動誘導業界を自動化し、機械のネットワークに組み入れた。これらの業界を人間主導のサービスではなくしてしまったのだ。テクノストラクチャーのもとで店舗や工場の現場管理者、広告会社、マーケティング会社によって行われていた仕事は、テクノ封建制のもとではクラウド資本に完全に組み込まれ、AIによるアルゴリズムによって行われるようになった。>(ヤニス・バルファキス著『テクノ封建制』より)


 そして、クラウド資本は、従来の資本が持っている二つの性質、①商品生産のために生産された手段(いわゆる生産手段)、②資本の非所有者から収奪する力を資本の所有者に与える社会的関係(いわゆる労働力を商品として売る自由しか持っていない人々の存在)の他に➂として「行動誘因と個別別命令のために生産された手段」を持っているところに特徴があるという。

<クラウド資本の第三の性質は、アルゴリズムによる三種類の行動誘導にまたがっている。ひとつめの行動誘因は、消費者にクラウド資本を再生産させること(つまり消費者をクラウド農奴の変える)。第二には賃金労働者に労働強化を命じること(労働者と雇用不安定層をクラウド・プロレタリアートに変える)。最後に市場をクラウド封土の変えること。ある意味で、クラウド資本の第三の性質は、その所有者(クラウド領主)にこれまでにない強力な力を与え、伝統的な資本主義部門から生み出される剰余価値をクラウド領主が吸い上げることを可能にした。>(同上)

 ここで、バルファキスは、労働を支配するために生産された手段が進化し、「クラウド・プロレタリアート」については、「クラウドベースのデバイスが労働過程(工場、倉庫、オフィス、コールセンターなど)に入り込み、これまで職場の生産性を上げ、剰余価値を引き出してきたテイラー主義的中間管理職に取って代わった。その結果、プロレタリアの立場はより不安定になり、クラウド資本によってさらに迅速化した仕事のペースに合わせなければならなくなる」という。
 また、同じ働きとして、「クラウド農奴」については、「企業に所属していない人々(非従業員)は、自発的にタダで長時間必死に働き、クラウド資本を再生産する。たとえば、画像や動画やレビューを投稿したり、クリック回数を上げたりして、デジタルプラットホームを他者にとってより魅力的なものにしている」という。

<歴史上はじめて、不払い労働によって資本が(再)生産されるようになった。クラウド資本のプラットフォームによって、仕事は簡単に労働市場の外に移動させることができるようになり、ゲームやギャンブルや宝くじに見せかけた経済の中に埋め込まれるようになった。>(同上)


 また、バルファキスによれば、アマゾン・ドットコムやアリババ・ドットコムのようなEコマースのプラットフォームは市場ではないという。それは、クラウド領主のアルゴリズムが、買い手も売り手も孤立させ、それぞれをほかの買い手からも売り手からも切り離すことに成功しているからだという。このため、クラウド領主のアルゴリズムは買い手と売り手をマッチングさせる独占力を持つことになり、分散化という市場が持つ本来の存在意義をなくしてしまうことになる。こうすることにより、クラウド領主は顧客とつながりたい売り手(伝統的な資本家)に莫大なレント(クラウド・レント)を請求できるようなるという。

<要するにクラウド資本の最大の功績は、AIのアルゴリズムが動かすデジタル・ネットワークを使って、クラウド領主に利潤をもたらすように労働者と消費者の行動を誘導して変えただけでなく、市場そのものを変え、そのデジタル・ネットワークに組み入れ、資本家階級全体を封臣にしてしまったことなどだ。>(同上)

<普遍的な搾取──資本家は従業員から搾取するだけだが、クラウド領主はあらゆる人から搾取することができる。すなわち、クラウド農奴はクラウド資本の蓄積を増やすために無償で働き、クラウド資本が増えるおかげで、クラウド領主は伝統的な資本家が従業員から収奪する剰余価値をますます多く横取りすることができる。企業の従業員はすでにクラウド・プロレタリアートになり下がっており、かれらの仕事は増えていくクラウド資本に指示され、仕事のペースを上げられて行く。>(同上)

 そして最終的には、テクノ封建制は「搾取の普遍化」であり「価値基盤の縮小」(全所得におけるクラウド・レントの割合が上がるにつれ、その分だけ価値基盤は縮小する)でもある。それゆえ、テクノ封建制はより大きな恐慌を頻繁に引き起こすことになる。だから、テクノ封建制は、資本主義よりもいっそう不安定で、破滅のループをめぐることを運命付けられているというのが、バルファキスの結論である。

 テクノロジーの進化とGAFAMなどの巨大テック企業によって、現在資本主義がどのように変容しているかについての説明は、とても身につまされるようによく分かる。だから、この本の解説をしている齋藤幸平が言うように、日本が割と技術発展に楽観的であることに、大きな警告にもなっている。そして、今、なぜ米中対立かという大きな問題への切り口にもなる。この本は、とても、興味深く、二度読み直した。

 しかし、クラウドのブラットフォームの巨大企業による独占を「封建制」というように呼ぶことは、おそらく間違っていると思う。それは、あくまでも資本主義の進化の結果であり、それゆえ、資本主義の矛盾も含んでいる。資本主義は、今や、消費市場そのものも資本主義的な生産過程の中に組み込みつつあるかのように見える。そして、それは、新しい帝国主義的な領土の獲得競争のようである。なぜ、格差がより広がり、中流階級が崩壊しつつあるのに、一部の富豪だけがより富を蓄積できるのかを私たちは、よくよく考えて見る必要がある。先進国の中央銀行は、金利を安くし、貨幣を増加させている。そのことによって、株価などは、過去最高値を更新している。封建制は、元来「利潤」など求めていないはずである。この点については、あらためて、考えて見たいと思う。

■トランプの関税と世界の動き

2025-04-07 15:29:36 | 政治・経済・社会
 そろそろ、「テクノ封建制」について書いてみようと思っていたが、そのために、ヤニス・バルファキスの『父が娘に語る経済の話。』を再読したり、最近発売されたヤニス・バルファキス著『テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話。』(集英社/2025.2.26) を必死で読んでいる。私には、資本主義が終焉して、「テクノ封建制」に取って代わられたという話がまだ信じられない。

 一応、現在は世界経済がインフレ状況であり、企業の業績がそれほどいいわけでもないのに、金利がとても低く、やっと日本では、マイナス金利でなくなったが、株価などは異常に高騰している。金利がこんなに低いということは、資本主義社会が成長していないと言うことの表れでもある。にもかかわらず株価は上昇し、アメリカでは億万長者が増加している。そして、こうした中でアメリカに禁輸資本のビッグ3が登場した。

 アメリカの金融資本の「ビッグ3」とは、米国の資産運用業界で圧倒的な影響力を持つ3つの企業のことで、 ブラックロック(BlackRock)、バンガード(Vanguard)、ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズ(State Street Global Advisors, SSGA)を指す。これらの企業は、インデックスファンドやETF(上場投資信託)を通じて、米国の大企業の株式を大量に保有しており、S&P500企業の90%以上で最大株主となっている。

 これらの企業の影響力は、単なる投資運用にとどまらず、企業の経営方針や市場の動向にも大きな影響を与えている。まさに、アメリカの金融資本を牛耳る存在だが、ヤニス・バルファキスによれば、これらが「クラウド資本」を提供して、「テクノ封建制」を支えていると言っている。そして、もちろん彼らは、利潤を上げているが、利潤を上げるよりも、支配することを主たる目的としているように見える。丁度、現在、その意味を考えているところだが、それらが資本主義をどのように変えているのかがどうも、今ひとつ、よく分からない。自分が、バカになってしまったような気がしているところだ。そんなとき、アメリカのトランプ大統領が、自国の経済を守るために関税を課すと発表し、世界中を驚かした。

 関税とは、国家が輸入品に課す税金のことで、主に以下の3つの目的で導入される。①国内産業の保護──海外からの安価な商品が流入すると、国内企業が競争に負ける可能性があるので、関税を課すことで、国内産業を守ること。②税収の確保──関税を通じて、政府は収入を得ることができる。これにより、公共サービスの充実やインフラ整備の資金源になる。➂貿易政策の調整──関税は外交政策の一環として使用される。他国との貿易交渉や経済的なバランスを調整する手段となる。

 今回のトランプの関税は、この3つを含んでいると思われるが、最大の目的は、➂でありアメリカの膨大な貿易赤字を改善し、アメリカの国内産業の育成を図ることのように思われる。つまり、アメリカは、今まで、赤字になってまで、世界の政治経済のために働いてきたが、今後は自国の経済のために働くというわけだ。

 アメリカはこの貿易不均衡による国内の産業破壊を回復するために、「相互関税」という概念を持ち込んで、今回の完全率を割り出している。「相互関税」とは、貿易相手国がアメリカ製品に課している関税や貿易障壁に応じて、アメリカも同じような関税を課す政策である。これは「レシプロカル・タリフ(Reciprocal Tariff)」とも呼ばれ、貿易の公平性を確保することが目的となっている。

 現在、トランプ政権は2025年4月にこの相互関税を導入し、世界各国からの輸入品に一律10%の関税を課したうえで、国ごとに異なる追加関税を設定した。例えば、日本には合計24%の関税が課されることになり、特に自動車産業への影響が懸念されている。この政策に対して、EUや中国などの貿易相手国は報復関税を検討しており、世界的な貿易摩擦の激化が懸念されているが、それは、アメリカ国内でも消費者物価の上昇や企業の負担増加が問題になってきている。

 こうした、アメリカの「相互関税」のあり方が今後どう動くのか、それが世界経済にどのように影響をあたえるのか、それと「テクノ封建制」とはどうつながるのか、これから時間がかかってもいいのでじっくり考えて行きたい。いま、新しい、経済戦争が起ころうとしていると思われる。日本は、どうしたらいいのか、考えどころだと思う。

●弥生人と古墳時代について

2025-02-21 17:41:57 | 政治・経済・社会
 国立科学博物館長の篠田謙一が『人類の起源』(中公新書/2022.2.25)で次のように述べていた。

<世界史でも日本史でも、私たちが学校で習うのは、文化や政治形態の変遷です。他方で、ヒトの遺伝子がどのように変わって行ったのにかについては考えることはありませんでした。
 ヨーロッパ、特に北方地域では青銅器時代以降に、集団の交代に近い変化がありました。日本でも縄文時代から、彌生・古墳時代ににかけて、大規模な遺伝的変化が起こっています。しかし、文化の編年を見るときには、そのことはあまり意識されることはなく、何となく集団としては連続しているように考えてきました。
 たとえば、「弥生時代になって古代のクニが誕生した」という言い方をします。このような表現をすると、日本列島に居住していた人びとが、弥生時代になった自発的にクニをつくり始めたと考えがちです。けれども、これまでのゲノム研究の結果からは、おそらくその時代に大陸からクニという体制を持った集団が渡来してきたと考えるほうが正確だということがわかっています。古代ゲノム解析は、これまで顧みられることがあまりなかった、文化や政治体制の変遷と集団の遺伝的な移り変わりについて、新たに考える材料を提供してくれているのです。>(同上/P264・265)


 まさしく、2024年4月に放映された「NHKスペシャル 古代史ミステリー」は、この篠田謙一の指摘をある意味では実証してくれた。私は、そのときの番組を見たが、その番組の取材を踏まえてNHK取材班著『新・古代史──グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権』(NHK出版新書/2025.1.10)でより詳しい内容が展開されている。

 鳥取市青谷町にある青谷上寺地遺跡(あおやかみじち)は、弥生時代前期の終わり頃から古墳時代前期に当たる、約2400年前から約1700年前まで栄えたとされている集落の遺跡である。この遺跡には、とてもたくさんの弥生時代の人骨が見つかっており、それは、墳墓からではなく、集落を囲む溝から見つかったものである。そこには、痛めつけられて殺された痕跡が残っている。これらの人骨を古代ゲノム研究の手法で調査した結果驚くべきことがわかった。

 一つは、古代の集落は、人の往来が少ないので、同族の人などの血縁関係がある人が多くなると予想されたが、ほとんどの個体は、母系の血縁が認められなかったことである。つまり、「青谷上寺地遺跡は外部との人的交流が少ない集落ではなく、様々な地域から絶えず人が流入を繰り返す、都市型の拠点であった可能性が高い」と考えられている。

 そして、もう一つは、篠田謙一が言っていたことである。

<驚くべきことに、分析を行った三二個体のうち三一個体が渡来人系で、縄文人系は全体の3パーセントにあたる一個体しかなかった。つまり、青谷上寺地遺跡の弥生人骨は、縄文人と渡来人が徐々に混じり合って弥生人が誕生したという、これまで盛んに唱えられてきた定説とは異なる結果を示したのだ。>(『新・古代史』p95)


<鳥取県内の遺跡では、弥生時代中期までは、土壙墓群や木棺墓群といった死者を単体埋葬した墓域が確認されており、そこに有力者たちも埋葬されていた。ところが、身分の差がよりはっきりしてくる卑弥呼の時代・弥生時代後期になると事情が異なってくる。支配者層の墳丘墓など巨大な墓が相次いで見つかる一方、被支配者の埋葬地は確認しづらくなるのだ。
 棺に入れられることもなく、うちすてられた大量の奴隷の亡骸……。それが青谷上寺地遺跡の出土人骨の正体なのではないかと(青谷上寺地遺跡の発掘調査を担当する鳥取県文化財局の)濱田さんは推測する。もしそうであるならば、各地から連れて来られた奴隷たちは、栄養状態が悪く結核などの病に苦しんだり、争いに巻き込まれたりして亡くなったことになる。決して平穏とは言えない当時の社会状況を、人骨はありありと伝えているのだ。>(同上・p97)


 どうやら弥生人とは、主として、農耕をもたらした渡来人系の人たちが縄文人に置き換わって成立したもののようだ。そして、農耕だけでなく、鉄器なども武器や農具としてもたらし、やがて、古墳のよう大土木事業もできる人たちがやってきた。彼らは国づくりや戦闘さえも弥生人の中にもたらしたとも言える。それが、邪馬台国卑弥呼の時代であるらしい。当時は、朝鮮半島とは、いまよりももっと交流が活発であったと思われるのだ。卑弥呼の話は、主として「魏志倭人伝」によるところが大きいが、魏の国とは、あの「三国志」に出てくる、「魏・蜀・呉」の中の「魏」の国である。

 そして、五世紀になると、朝鮮半島にも前方後円墳ができるようになった。最初に前方後円墳ができたのは、三世紀の後半の近畿地方であり、つまり、卑弥呼がなくなるころである。朝鮮半島にも前方後円墳があるということは、直接ヤマト政権に所属していたということもあるかも知れないが、それほど、日本と朝鮮半島殿間には、交流があったということである。そうれも当然で、当時の中国、朝鮮は、常に紛争が起きていて、大量の移民が日本にもやってきていたようだし、渡来人の先輩がすでに弥生人になっていたのだ。

 残念なことに、『新・古代史』では、卑弥呼の邪馬台国がどこにあったのか、また、墓はどこにあったのかは、いろいろな説をのせているが(全体として近畿説に近いようだが)、断定はされていない。最大の謎は、『日本書紀』や『古事記』に「邪馬台国」も「卑弥呼」も登場していないということだと思う。『日本書紀』によれば、神武天皇が即位したのは、紀元前660年とされているが、その後、彼の子孫が代々天皇になったことになっている。しかし、卑弥呼がいた時代から始まる古墳時代におそらくヤマト政権の基礎ができて、連合国家のようになっていたのだと思われる。そして、古墳時代が終わるころには、中央集権的な大和政権が確立していたようだ。

 ところで、日本人が馬に出会ったのは、高句麗との戦いによるという説がある。「広開土王碑」にある倭国との戦いでは、高句麗の騎馬軍団が活躍し、それを見た倭人は驚いたに違いない。そして、日本にも馬がやってきた。

<最新の化学分析によって導き出された内容を整理しておこう。朝鮮半島から渡ってきた馬は、五世紀のうちに東日本へと拡散。馬の成育に適した火山灰草原を有する広大な牧で、盛んに出産・飼育が行われた後、ある程度まで成長を遂げた個体は機内に移動した。そこでは個体ごとに管理が行われ、厩舎で大切に世話をされていた。古墳時代、日本列島にまたがる馬の生産体制が築かれようとしていたのである。>(『新・古代史』p249)


 多分、大和王権は、鉄と馬を支配することによって、できあがった王権だったにちがいない。そう考えると戦後すぐに発表された、江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」も必ずしも成り立ち得る説だと思われる。

<騎馬民族征服王朝説(きばみんぞくせいふくおうちょうせつ)とは、東北ユーラシア系の騎馬民族が、南朝鮮を支配し、やがて弁韓(任那)を基地として日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に、大和地方の在来の王朝を支配し、それと合作して征服王朝として大和朝廷を立てたとする学説。単に騎馬民族説(きばみんぞくせつ)ともいう。

東洋史学者の江上波夫が、(1) 古墳文化の変容、(2) 『古事記』『日本書紀』などに見られる神話や伝承の内容、および、(3) 4世紀から5世紀にかけての東アジア史の大勢、この3つを総合的に解釈し、さらに (4) 騎馬民族と農耕民族の一般的性格を考慮に加えて唱えた、日本国家の起源に関する仮説である。

この説は戦後の日本古代史学界に大きな波紋を呼んだ。一般の人々や一部のマスメディアなどでは支持を集めたが、学界からは多くの疑問が出され、その反応は概して批判的であった。ことに考古学の立場からは厳しい批判と反論がよせられた。21世紀にあっては、この説を支持する専門家はごく少数にとどまっている。

なお、この説の批判者である白石太一郎や穴沢咊光は、騎馬民族による征服を考えなくても、騎馬文化の受容や倭国の文明化など社会的な変化は十分に説明可能であると主張している>(「Wikipedia」より)


 私も、「騎馬民族征服王朝説」が正しいと思っているわけではないが、「邪馬台国」や「卑弥呼」が消された『日本書紀』や『古事記』の歴史の背後に、中国、朝鮮半島との交流の結果、縄文人が弥生人に置き換わっていく過程が隠されていることだけは確かだと思う。その意味では、江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」は参考にすべき説だと改めて思った。

●永田和宏著『象徴のうた』(角川新書)を読み終えて

2025-02-17 17:26:36 | 政治・経済・社会
 永田和宏と彼の妻・河野裕子は、2人とも皇居の正殿松の間出行われる歌会始の選者だった。残念ながら、河野裕子は、平成22年に癌でなくなった。永田和宏は、定家にならったわけではないだろうが、それぞれ秀歌100首を集め、『近代秀歌』と『現代秀歌』(ともに岩波新書)つくった。とても、興味深く読んだ。

 その『現代秀歌』の中に、皇后美智子の作品として下記の歌が取られていた。

・てのひらに君のせましし桑の実のその一粒の重みのありて


 この歌は昭和34年につくられたものであり、永田によれば結婚直後の東宮御所の散歩の折につくられたもののようである。彼は「共に住んでまだ日が浅く、庭のひとつひとつの樹々や草花を、先輩である皇太子が教えながら歩かれたのであろう」と解説していた。そして、次のように評している。

<「桑の実のその一粒の重みのありて」という第三句以降に初々しい喜びが感じられる。「君」が手ずから載せてくれた一粒だからこそ感じられる重みなのであり、その重みには「君」の愛情の重みもまた同時に感じられたのであろう。そしてまた、その一粒の重みには、これから皇太子妃、そして皇后として自らが担うことになるであろう特別の人生が、重みとして確かに予感されていたはずである。>(『現代秀歌』p14)

 その解説の後に、参考として、次の歌が掲載されていた。


・かの時に我がとらざりし分去れ(わかされ)の片への道はいずこ行きけむ


 この歌を読んだとき、私は軽い衝撃を受けた。この歌は、結婚後30年を経た時点で詠まれた歌である。そういえば、私は結婚が遅かったので、丁度現在、結婚後30年を経たところである。私と違って美智子皇后は国家的な決定の中にあったわけであり、「片への道」はまったくいまの道とは違っていたはずである。しかし、彼女もまた、私たちと同様に、多分、30年を経て複雑な思いも抱いていたに違いないのだ。

 さて、そんな美智子皇后の相手の平成天皇とは、昭和の天皇とは違って生まれながらにして象徴として日本国憲法と皇室典範に縛られた「象徴」としての存在だった。そして、「象徴」がどうあるべきかは憲法には書かれていない。もちろん、天皇がしなければならない国家行事と役目は決まっている。しかし、「象徴」とな何かについては、何も決まっていない。

<それでは<象徴>とは何か。日本国憲法の第一章第一条は、

 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

と天皇について規定している。私は以前から、これほど大切で、かつこれほど無責任な規定はないのではないかと思ってきた。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と繰り返される「象徴」。しかし、「象徴」とは何か、どうすれば「象徴」たりうるのか、憲法の条文はいっさい何も語らない。これではあたかも「象徴とは何か」は、その地位についた天皇ご自身でお考えください丸投げしているようなものではないか。
 平成の天皇は、その即位のときから、「象徴とは何か」、その誰も答を持たない難問に正面から向き合い、自らの問題として一貫して考えて来られたのだと思う。それが平成時代であり、平成の天皇の歩まれた道であった。>(『象徴のうた』p262・263)

 永田和宏著『象徴のうた』は、まさしくその問に全力で取り組まれた平成天皇と皇后の心が描かれている。もちろん、それなりの教養をつけられている皇室関係者であるから、皆、それなりのうたを詠うことができる。しかし、天皇や皇后のうたからは、それ以上のものが溢れていると思われた。ひとりの「人間」でありながら、しかし「象徴」であることの真摯な姿が、詠われているのだ。永田和宏は、それを「国民と共にある、国民に寄り添う」と言っている。

・贈られしひまわりの種は生え揃い葉を広げゆく初夏の光に

これは、平成31年、平成の天皇皇后両陛下が出席された最後の歌会始で詠われた天皇のうたである。このひまわりとは、「はるかのひまわり」と呼ばれるものである。

<この震災(阪神・淡路)で犠牲になった当時小学校六年生の加藤はるかさんの自宅跡地に、その夏、ひまわりが花をつけた。はるかさんが隣家のオウムに餌として与えていた種が自然に芽をだしたようだ。
 人々はそれを復興のシンボルにすべく、種を全国に配り、「はるかのひまわり」と呼ばれるようになったのである。両陛下は、その種を蒔き、花が咲くと、そこから種を採り、毎年皇居の庭で育てて来られたのだ。>(『象徴のうた』p258・259)

 こうした天皇の「象徴」としての行為は、自覚的おこなわれたものであり、そのことは天皇が自ら述べている。

<私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間かん私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。>(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(平成28年8月8日)宮内庁>

 私は、日本の伝統的な制度としての天皇制はいつかなくなると思っている。しかし、そのときは、日本国憲法の改定のときになる。今のところ、女性天皇の是非が論じられている程度だ。こちらは、憲法ではなく皇室典範の改定になる。エマニュエル・トッドが言っているように、同じ立憲君主制の国でも、イギリスは男女同権であるが、日本は家父長制を採用している。いずれにしても、「象徴」は「人間」でもあるけれども、基本的人権があるわけではない。彼らは国民でもない。しかし、現在のところ、どんな国会議員より、日本のことを考え、戦争を始めてとして、さまざまな人災・天災の都度、心を痛め、必死に祈ってくれているのが、平成天皇と皇后であったことだけは覚えておくべきだ。