電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

●東京都知事戦が終わった

2024-07-10 17:18:29 | 政治・経済・社会
 東京都知事戦が終わり、小池百合子が圧勝した。 3選を決めた現職の小池百合子(71)は291万8015票を獲得。 前広島県安芸高田市長の石丸伸二(41)は165万8363票で次点に入った。 元参院議員の蓮舫(56)は128万3262票で、3位に沈んだという結果になった。投票率は60・62%(前回55・00%)で、平成以降の計11回の都知事選では、衆院選と同日だった2012年に次いで2番目の高さとなった。私は、石丸伸二の得票数にびっくりした。

 結果的には、自民党、公明党のバックアップがあった小池が、立憲、共産党のバックアップを受けた蓮舫を圧倒したことになる。そのこと自体は、不思議でもなんでもなく予想された通りだった。不思議に思えたのは、前広島県安芸高田市長の石丸伸二(41)が165万8363票で次点に入ったということだ。石丸は、ネットなどでは、ホリエモンなどの支援を受けていて、どちらかというと新保守的な立場の人である。都民は、小池百合子の続投を臨んだのだが、若い世代が石丸をのぞんでいたようだ。

 ネット、特にユーチューブ動画などでは、小池批判や蓮舫批判が多く、小池の学歴詐称問題や強引なん都庁運営などの批判も目立ったが、自民、公明の組織票に勝てなかったという結果だと思われる。特に、蓮舫は、共産党との共闘が裏目に出た印象であり、自民党の金権政治に批判が空回りしていた。そういう意味では、石丸が健闘したと言うべきで、分析する対象としては、彼をなぜ皆が支援したかにあると思う。石丸は、ネットをとても上手く活用していたと思う。選挙参謀が、維新系の人だといわれているが、とても上手く、今後の、選挙活動の方法に一石をと投じたと言ってもよいと思われる。

 私は、小池百合子が都知事になる前に、都民を止めて埼玉県民になったので、今回の選挙は横目で眺めていたが、興味深い選挙だったと思う。8時の開票と同時に、小池百合子の当確が発表された。NHKはなぜ大河ドラマを放映品かかったのかと疑問に思った位だ。石井妙子著『女帝』を読んだ者としては、一方ではひどい女性なのだなという印象を持ったが、他方では、日本の政治家の世界で女性が生きていくには、このくらいの性格を持っていないとやっていけないのかもしれないとも思った。

 いずれにしても、自民党には逆風になっているが、そうかと言って代わりになる政党は存在しないというのが現在の日本の政治状況だ。この点が、欧州やアメリカなどとまったく異なった状況である。日本人は、円安やインフレのなかでもそれなりに、まだ自分たちの生活は安泰だと思っている人が、かなりいると思われる。

 最近、マルクス・ガブリエル著『倫理資本主義の時代』という本を読んだが、ある意味では、日本の経営者や労働者たちは、企業がもっと倫理的に運営されれば、日本の社会はよくなると思っているのかもしれない。ガブリエルが、最初にこの本の日本語版を出版(ドイツ語版より前に)した理由が、何となくわかる気がする。ガブリエルは、脱成長論者ではない。倫理資本主義による経営が成長することがいずれ今の世界の危機を救う道なのだと言っている。そして、日本の経団連の人たちがそれを聞いた何を考えたかは、私にはわかるような気がする。

 確かに、斎藤幸平や、白井聡、大澤真幸、そして、柄谷行人などが資本主義の批判をしているが、資本主義を超える理念を打ち出せていない。この本の監修者が斎藤幸平だというところもすごいのだが、ガブリエルの提案が日本では受け入れられようとしているのかもしれない。しかし、多分、この動きと日本の政治状況とは上手くマッチしていないように思われる。日本の政治は、対米従属のなかで、主権さえ保てなくなりつつあるのを見ていると、日本の保守とは一体何なのか、考え直す必要がありそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今、何が起きているのか

2024-02-20 16:03:22 | 政治・経済・社会
 日本の空き家は現在1000万戸にぼると言われている。そして、あの東京都世田谷区には、なんと5万戸の空き家があるという。(NHKスペシャル取材班『老いる日本の住まい』(マガジンハウス/2024.1.25)すごい数だと思う。核家続の子どもたちが巣立ち独立していったあと、残された夫婦がやがてなくなり、その後の処分が上手くいかずに放置されているというのが大部分だそうだ。私は、この話を聞いて、痛みのようなものを感じた。

 その痛みを感じるのは、多分そこのなくなった夫婦のすこし後輩にあたるのが私たち団塊の世代だからだ。現在では考えられないが、私たちの少し前の世代とそして私たちも、普通のサラリーマンをやっていれば、東京にだって家を持てた時代があったのだ。勿論、私の世代では、もう少し郊外になったけれども、確実に、持ち家を得ることができたのだ。多分、高度経済成長時代を経て持家が増大していった結果が、現在の空き家の問題をつくっているのだ。

<実際、1957年から73年にかけて、日本は年平均10%以上の経済成長を達成しています。せいぜい1%程度、時にはマイナス成長で停滞している現在からは、とても信じられない数字で、高度経済成長期の日本は、失業率も1%台でした(オイルショック時は3%mバブル経済時は2%、2022年時の失業率は3.27%)。しかも男性であれば毎年給料も上がるし、ボーナスは数ヶ月分も出る。それであれば、男性ひとりの収入でも、家電製品はもちろん、マイカーも勤め人を続けていれば手に入れられるはずです。

 大切なのは、当時、経済成長の恩恵を手に入れられるのは、社会の上層部だけではなかったという点です。高学歴・高所得者だけでなく、低学歴・低所得者層であっても、むろん給料やボーナスとしてもらう額面や待遇には差があったとしても、それなりに昇給・昇進が約束されていた時代でした。要するに、真面目に働いてさえいれば、ほとんど皆が、「今日よりは明日、明日よりは明後日の方が、生活はよくなる」実感を得られたのです。>(山田昌弘著『パラサイト難婚社会』(朝日新書/2024.02.28)より)


 私たちは、全てではないが、1960年の安保闘争や、その10年後に大学で吹き荒れた学園紛争になんらかのかたちで関わり、その後、この高度経済成長のなかで、そのことをすっかり忘れてしまい、最後は、マイホームの中で老後を迎えていたのである。そして、気がついたら、いつの間にか、経済成長はストップし、一億総中流世界は終息し、格差社会になっていた。30年近くも、給料はほとんど上がらないばかりか、非正規雇用労働者が増加して、若者たちは結婚さえままならない事態になっている。

<持家政策は、アメリカの家族制度と住まい方をモデルに策定されました。GHQが日本政府に持家政策の導入を進言したことには、さまざまな意図が込められていました。家族としては最小単位である核家族がそれぞれの住まいを持つようになれば、そこで生活する家族は、自分たちの生活を守るために、自然に保守的な思想をもつようになると考えられたのです。つまり持家制度は終戦後に頭をもたげてきた共同体的な思想、すなわちもう一方の戦勝国であるソヴィエト連邦や中華人民共和国などお社会主義や共産主義陣営の思想に対する対抗策として導入されたといわれています。>(難波和彦著『住まいをよむ』(NHK出版/2024.1.1)より)


 1979年にソヴィエト連邦は崩壊し、中華人民共和国も1979年に改革開放を始め、資本主義社会への転換を果たした。フランシス・フクヤマ著『歴史の終わり』が書かれてのは、こうした時期だった。私たちも、多分、共産主義や社会主義ではない、新しい資本主義の時代が始まるのだ思った。しかし、それは、間違いだった。フクヤマは、現在では、『アメリカの終わり』を書いているし、いろいろなところで、戦争が始まり、紛争が起きている。環境問題など地球と危機だと叫ばれているのに、帝国主義的な対立が、世界に起きている。いつの間にか、世界は、変わってしまっていたのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定住と農業革命について(続)

2024-02-11 16:28:54 | 政治・経済・社会
 先週のブログで、ハラリの『サピンエス全史』では、農業を始めて定住化が進んだというふうに読めると書いた。ところが、狩猟採集民が建設したギョベクリ・テペの遺跡について、面白いことを述べている。

<ギョペグリ・テペの構造物を建設するには、異なる生活集団や部族が何千もの狩猟採集民が長期にわたって協力する以外になかった。そのような事業を維持できるのは、複雑な宗教的あるいはイデオロギー的体制しかなかった。
 ギョペグリ・テペは、他にもあっと驚くような秘密を抱えていた。遺伝学者たちは長年にわたって、栽培化された小麦の起源をたどっていた。最近の発見からは、栽培化された小麦の少なくとも一種、ヒトツブコムギがカラカダ丘陵に由来することが窺える。この丘陵は、ギョペグリ・テペから約三〇キロメートルのところにある。
 これは、ただの偶然のはずがない。ギョペグリ・テペの文化的中心地は、人類による最初の小麦の栽培化や小麦による人類の家畜化に、何らかの形で結びついている可能性が高い。この記念碑的建造物群を建設し、使用した人びとを養うためには、膨大な量の食べ物が必要だった。野生の小麦の採集から集約的な小麦栽培へと狩猟採集民が切り替えたのは、通常の食料供給を増やすためではなく、むしろ神殿の建設と運営を支えるためだったことは十分考えられる。従来の見方では、開拓者たちがまず村落を築き、それが繁栄したときに中央に神殿を建てたということになっていた。だが、ギョペグリ・テペの遺跡は、まず神殿が建設され、その後、村落がそこ周りに形成されたことをしさしている。>(『サピンエス全史』より)

 私は、「従来の見方」のほうが正しいとしてなぜいけないのか分からない。そこに村落ができ、その後、小麦が栽培化されたのだと考えてなぜいけないのか。むしろ、小麦栽培を素晴らしいというのは罠だといっているくらいだから、わなにかかったしまったのは、「複雑な宗教的あるいはイデオロギー的体制しかなかった」からこそ、小麦の栽培に特化した人びとの集まりができたのだと思う。小麦栽培をしている人たちが、神殿づくりもしたのである。あるいは、税のように作った小麦を神殿づくりに携わる人に渡したのかもしれない。

 ハラリがいうように、狩猟採集民の生活のほうが、小麦に家畜化された生活よりはるかにいい。だから、彼らが進んでそうしたとは思えない。ハラリは、罠にかかったのだというが、そうではない。それは、産業革命が起こり、機械が普及することにより、より便利になったように思われるが、それは、わなであると言っているようなものである。この点は、柄谷行人が『世界史の構造』で述べている次の言葉の通りである。

<たとえば、「新石器革命」あるいは「農業革命」という言葉は、「産業革命」からの類推に基づいている。しかし、もし産業資本主義や現代国家が産業革命によって生まれたというならば、誰でも、それが逆立ちした見方だということに気づくだろう。紡績機械や蒸気機関といった発明は確かに画期的であるが、それらの採用は世界市場の中で競合する重商主義国家と資本制生産(マニュファクチャー)の下にのみ生じたのである。>(『世界史の構造』より)

 だから、そんなことなどしたくなかった「農業革命」をある意味では罠にかかったように進んで人々がしたのはなぜかということが問われなければならない。それは、定住化することによって生まれた氏族社会や部族社会から次第に首長制国家や、アジア的専制国家ができたからだというべきだ。そして、農耕だけでなく、狩猟採集生活も同時にやっていた人々が、国家によって、農耕民として固定化されたからだ。

 定住と農業の関係は、私は、ハラリより、西田正規著『人類史のなかの定住革命』の説の方を支持したい。定住することによって、植物の栽培化、動物の家畜化が生じたと考えたほうがわかりうやすいと思う。そして、なぜ、いやな農業や牧畜に従事するようになったかは別の理由があったと考えるべきだ。それこそ、社会がそれを必要としたというべきだ。また、定住化したのは、気候変動によると考えるしかない。つまり、歴史の偶然である。ハラリがいうように、遊動する狩猟採集民は、定住を欲したわけではない。

<中緯度の森林環境に定住民が出現する背景には、亜寒帯的ステップや疎林に。おける狩猟に重点をおいた旧石器時代の生活から、晩氷期以降の温暖化による温帯森林の中緯度地帯への拡大に対応して、魚類や、デンプン質の木の実や種子に依存を深め、漁網やヤナなどの携帯できない大型漁具や、食料の大量貯蔵が発達したことがあった。初期の定住生活者の出現は地域によって多少の違いはあるものの、日本列島においても、ヨーロッパ、西アジア、北米の中西部とカリフォルニアにおいても、更新世末期から完新世にかけて温暖化の時期に現れる。>(『人類史のなかの定住革命』による)

<中緯度森林地帯における、遊動民から定住民、そして、定住民から農耕民にいたる歴史的過程のどちらがより重要な意味を含んでいるのか。これらのことから私は、採集か農耕かということより遊動か定住かということの方が、より重大な意味を含んだ人類史的過程と考え、生産様式を重視する「新石器時代革命」(=食料生産革命)論に対して生活様式を重視する「定住革命」の観点を提唱した。>(同上)

<農耕が人類史においてはたした意味は、定住生活を生み出したことにではなく、中緯度森林の段階に見られないさらに高い人口密度や、より大きな集落や都市、より複雑な社会経済組織などの形成過程においてこそ評価される。すなわち、それ以前の素朴な社会にとどまっているなら、たとえ栽培型植物の栽培が行われたとしても、中緯度森林の定住民の範囲内にあるものとして理解しておくべきである。>(同上)

 小麦や稲、トウモロコシ、ジャガイモなどの主食になる植物の栽培は、それぞれの地域で、独自に発生し、発展し、世界経済が普及するにつれて、世界中に広まった。つまり、定住していれば、必然的に栽培植物は、見つけられ発展していくのであり、それらが定住生活を促したわけではなかったとみるべきである。狩猟採集民としての生活は、サピエンスの数万年の歴史を持っており、定住化が始まったのは、1万年とすこし前であり、日本で言えば縄文時代である。弥生時代になってから農耕民が存在し始めたのであり、それから数千年しかたっていない。定住化してから、稲作が普及するまでのほうがはるかに長いのだということを忘れるべきではない。

 決して、米や小麦によって人類が奴隷的な地位に陥ったわけではない。それは、定住生活のなかで氏族社会が発生し、やがて都市や国家が生まれてきたことと関係しているのだ。小麦や稲作は、最初の一歩が踏み出されれば、すぐに拡散して行くことができる。定住者の交流があればなおさらである。山上憶良の貧窮問答歌に登場するような農民が存在したのは、彼が属していた大和政権ができたからであり、彼らは、米作りだけに押し込められてしまったからだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クローズアップ現代」で佐藤優が、ウクライナ問題を語る

2024-01-28 14:49:56 | 政治・経済・社会
  21日の「クローズアップ現代」は、「佐藤優が語る 2024年の世界と日本」だった。どうやら、佐藤優を選んだのは、桑子真帆MCのようだ。小学校時代、『クローズアップ現代』に出演している国谷裕子に憧れていたというから、その頃からの夢を実現していることになる。池上彰は佐藤優とは友人で、その立場で、今回の佐藤優のテレビ出演に驚いていた。二人は考え方も近い所があるが、一方はテレビ人間であり、佐藤のほうは地上波に初めて出演したらしい。

 私は、池上彰や佐藤優がマスコミの中でそれなりに活躍しているということは、日本も見すてたものではないと思っている。今回は、「ウクライナは正義の国であり、ロシアは悪魔の国である」(ちょっと言いすぎか?)というような論調だったNHKテレビの世界に、初めてウクライナやロシアをすこし客観的に眺めてみようという視点が加わってきたような気がした。私たちは、どちらかと言うとウクライナがロシアなどに勝てるわけはないから、可哀想ということで募金などにも応じたのだと思う。日本にも避難してきた人たちがいて、多くの人たちが、支援活動をしている。

 しかし、ウクライナとロシアの戦いについてのイギリスの報道は、特にひどかった気がする。ひょっとしたら、日本の太平洋戦争のときの報道もこうだったのではないか思った。経済封鎖が始まり、軍事支援の結果すぐに、ロシアは、戦いに負け、経済的にも大打撃を受け、すぐに崩壊しそうな報道だった。ロシアのウクライナ侵攻から2年が過ぎようとしている現在、パレスチナとイスラエルの紛争の影に隠れて、ウクライナは軍事的にも、経済的にも危機的な状況に陥っている。本来なら停戦の道を探るべきであるが、引くに引けなくなって、「勝利するまで戦う」というゼレンスキー大統領の訴えは、何となくむなしく響いている。それは、欧州の支援疲れだけでなく、グローバルサウスと言われている国々に対応や、アメリカの世論の動き、特に大統領選挙でのトランプの動向によってどうなるか分からない状況にも左右されている。

 佐藤優は、初めから、ロシアとウクライナの内在的な紛争に至る論理を細かく分析し、民主主義対専制主義という価値観の戦いという視点を批判してきた。アメリカは、ベトナム、イラク、アフガニスタン、そして、今回のウクライナ支援と、常に民主主義の戦いという立場を取ってきたが、ウクライナはまだ結果が出ていないが、みなひどいものだったと思う。そして、ウクライナも、それと同じ道を歩んでいるような気がする。悲惨なのは、ウクライナである。彼らは、アメリカやイギリスの代わりに、武器をもらってロシアと戦っているが、とても明るい展望は開けていない。むしろ、経済的にも社会的にも疲弊してきている。

 もともと、ウクライナは、ロシアとEUのどちらを選ぶか迷っていた。ロシアよりの大統領もいたし、EUよりの大統領もいた。そして、ゼレンスキーが役者時代に演じた大統領が直面していたのは、腐敗しきったウクライナ内政の世界だったはずだ。ゼレンスキーが大統領になって、その体質が変わったわけではなく、変革されずに残っていたはずだ。戦争が始まると、挙国一致で一種の独裁国家になる。それは、コロナ禍の中で、私たちが経験してきたことだ。戦争は、民主主義的な行動ではない。それは、勝つか負けるかである。戦争の論理とは、敵は滅ぼせということになってしまう。

 佐藤優は、現在私たちの選択肢は、即時停戦であり、その上で、話合いで問題解決に臨むべきだと言っていた。そして、そのことを積極的に進めることができるのは、多少不安があるとはいえ日本であるという。日本は、ウクライナ支援をしているが、戦争でロシア人を殺傷するような武器を提供しない国であり、G7の中でも、微妙な立ち位置を取っているという。

確かに、岸田首相は、国連総会で次のように述べている。

<議長、世界は、気候変動、感染症、法の支配への挑戦など、複雑で複合的な課題に直面しています。各国の協力が、かつてなく重要となっている今、イデオロギーや価値観で国際社会が分断されていては、これらの課題に対応できません。
 我々は、人間の命、尊厳が最も重要であるとの原点に立ち返るべきです。我々が目指すべきは、脆弱な人々も安全・安心に住める世界、すなわち、人間の尊厳が守られる世界なのです。
 国際社会が複合的危機に直面し、その中で分断を深める今、人類全体で語れる共通の言葉が必要です。人間の尊厳に改めて光を当てることによって、国際社会が体制や価値観の違いを乗り越えて、人間中心の国際協力を着実に進めていけるのではないでしょうか。>(第78回国連総会における岸田内閣総理大臣一般討論演説より)

 ここで岸田首相は「国際社会が体制や価値観の違いを乗り越えて、人間中心の国際協力を着実に進めていける」と述べている。民主主義国とか権威主義国とかいうような言葉は使わなくなった。勿論、岸田首相がどこまで自覚的かは不明だが、日本国憲法を踏まえて、広島・長崎の原爆体験に触れながら、ロシアとウクライナの対立のなかで、停戦を訴えていると捉えてよいと思われる。注目すべき言動だ。自民党の派閥の金の問題で大揺れに揺れている国会の状況のなかで、どこまで岸田首相がイニシアティヴを取って、この問題を牽引していけるかは不明だが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治の腐敗について

2024-01-01 10:11:10 | 政治・経済・社会
 ギリシャの昔から、そして民主政治の初めから、選挙はすぐに腐敗し始めた。自民党の派閥のパーティー券のキックバックは、選挙資金に使うためだと思われる。「政治には金がかかる」というのが彼らの言い分だ。本当は、金のかからない制度を考えるべきである。

 民主政治の初めは、一般的にはアテネの「クレイステネスの改革」によって実現された「ポリス・アテネ」の政体から始まるとされている。塩野七生の著書『ギリシャ人の物語』によれば、この政体の実体は、アリストテレスの『アテネの政体』で初めて正確に分かるようになったという。ただし、この便利な解説書は、1891年に発見されて刊行されたものである。つまり、フランス革命の頃は、誰も読んでいなかったことになる。

 塩野七生はアリストテレスの本に基づき、アテネの政体について紹介している(詳しくは同書を参照)。それによれば、古代のアテネの「デモクラシー」は、「国政の行方を市民(デモス)の手にゆだねた」のではなく、「国政の行方はエリートたちが考えて提案し、市民(デモス)にはその賛否をゆだねた」ということだそうだ。

 ペイシストラトスはエリートをただ名門階級の出身(世襲)でなく、真に実力のあるもの(名門に多い)から選んだ。だから、興隆期のアテネの指導者たちは、ほとんど全員が名門出身者で占められている。つまり彼は、アテネを「メリトクラティア(メリットクラシー)」という実力主義の方向へ導いたのだ。塩野七生は、「デモクラシー」と「メリットクラシー」とは、意外と相性が良いと言っている。この改革の25年後にアテネの命運を一身に背負うことになるテミストクレスは、アテネのリーダーの中でただ1人「非名門出」であった。

 金のかからない選挙ということと、合理的な選挙とはおそらく同じことだと思われる。例えば、これはギリシャの昔からあるが、参議員を抽選にすることだ。実際、クレイステネスが作った「500人委員会」と呼ばれる「ブレ」は、成年男子から抽選で選ばれるものだった。これについて、塩野七生は、「抽選を導入したクレイステネスの深意は、アテネの市民たる者、一生に一度くらい公職を経験すべきである、ということだったのではないかと想像している」と述べている。

 そして、衆議院は、全国をまとめて(特大区)で、1人1票の投票を行うことが良いだろう。そうすれば、私は北海道の友人に投票することができる。こちらの方法はシステムとしては難しいかもしれないが、インターネットの時代には、地縁・血縁は時代遅れだと思う。地域の仲間が少なくても、日本全国に支援者がいれば議員になれるようにすることは、比例代表より良いと思われる。これらは、あくまでも議員代表制を取る場合の工夫である。

 以上は、今年の初夢選挙である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする