電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

「トラットリア・プリマベーラ」

2006-07-17 14:53:36 | 生活・文化

 7月15日は、息子の11回目の誕生日だった。私があげた誕生日プレゼントは、プレステーション2のゲームソフトの「スター・ウォーズ バトルフロントII」と、冒険ファンタジー『タリスマン〈1〉イシスの涙』(文溪堂刊/2006.7)だった。もちろん、我が家にはプレステーションなどというゲーム機はないので、日高のいとこのところへ行って遊ぶことになる。15日は、土曜日だったが、私は仕事だったし、子どもは塾があり、かみさんは仕事というわけで、ケーキだけを買って、夕食は自宅で食べることになった。その代わり、息子のリクエストで日曜日の昼食を、飯能市芦苅場飯能市にある「トラットリア・プリマベーラ」で食べることにした。

 飯能に来てから、もう5年になるが、この「プリマベーラ」というお店はとても気に入っていて、何かと記念日には使うようにしている。最近は予約もできるようになったので、義母の誕生日にもここを使った。ただ、どうしても、食べ過ぎになってしまうので、回数は少なくなる。とても美味しくて、そんなに高くないので、予約をしないと、すぐに入れない場合が多い。今日は昼食だったので、開店の11時30分の5分くらい前に店に着いた。既に、駐車場に3台車が止まっていて、店が開くのを待っていた。私たちは、家を11時15分に出て、約10分程でこの店に着く。すぐ後に、何組かお客が来て、12時頃には既に並んでいた。私たちには、とても、近くて便利だ。

 「トラットリア」とは、イタリア語で「大衆食堂」とか「軽食堂」とかいう意味だが、日本の場合は、「トラットリア」とついているからと言って、イタリアの大衆食堂というイメージとはかなり違うとかみさんは言う。東京都港区麻布十番2-1-8 グランドメゾン麻布十番2Fにある「La Primavera (ラ・プリマヴェーラ)」は、「トラットリア」と言っても、とても大衆食堂とは言えないと思う。もちろんそこも特別高いわけではないが。しかし、ここ飯能の「プリマベーラ」は、店の感じがイタリアの大衆食堂といういうイメージを持ちながら、ちょっとしたイタリア料理の高級感を出していて、とても味わい深い。

 ところで、「プリマベーラ」というのは、もちろん「春」と言う意味である。実は、うちの息子の名前は「はるのぶ」といい、私たち夫婦は彼のことを「はる」と呼んでいる。更に、彼のおばあちゃん(義母)も「ハル」といい、この店の名前と不思議な縁で結ばれているらしい。それだけ、子どもも執着しているらしい。子どもが何かあると、「プリマベーラ」へ連れて行けと言う。イタリアレストランは、かなり流行のようで、飯能近辺にもいくつか、イタリア料理の店があるが、我が家はイタリア料理というとここにしている。

 ところで料理は、コースで頼むとそれぞれ個別の更に盛られて順番に品物が出てくるのだが、単品で頼むと、特にパスタなどはかなりボリュームがあり沢山の種類を食べられない。そのために、我が家では、大体取り皿に分けて色々な種類の料理を取って食べることにしている。昨日は、飲み物は、私とかみさんが白ワインをグラスで頼み、息子はコーラだった。料理は、まず、「パルマ産生ハムのサラダ」から始まり、「トマトとモッツアレラのスパゲッティ」「ニンニクと唐辛子の辛いぺペロンチーノ」を食べ、パンを貰い、その後で、お肉料理として息子は「若鶏のソテー 香草風味」、私とかみさんは「お魚 香草風味」をそれぞれ頼んだ。食後のデザートに、「パンナコッタ」を食べながら、コーヒー。これで、昼食としては、かなりのカロリーなる。でも、美味しくて、満足した。

 今日の息子は、あまり食欲がないようだったが、その理由はすぐにわかった。本来なら、このほかに、ピッツァなどがあるのだが、それを食べなかった。かみさんの話では、健康診断の結果、息子は肥満の傾向にあり、食べ過ぎないようにしているとのこと。子どもの頃から、食事を気にかけるというのは、少し大変だと思った。好きなだけ食べて、好きなだけ遊んで、十分に身体を動かせば、太るなどと言うことはないと思うのだけれど、週に一度だけのサッカー教室では、十分にエネルギーを発散できていないらしい。そういえば、普段は、塾に行ったり、そのほかのお稽古ごとがあったりと、家の中にいることが多い。

 そんな私のちょっとした感傷的な気分などどこ吹く風で、息子の気持ちは、もういとことのところへ行くことで一杯だ。ゲームソフトについていた、小さな冊子になったマニュアルをじっと見ている。早く、いとこのところに行き、ゲームをしたいのだ。私は、飯能駅まで行き書店によってから、一人で家に帰ったが、かみさんは息子を日高の実家まで送り届けに行った。今日も海の日で休みなので、昨夜は子どもは日高の実家でお泊まりをすることになった。おそらく、ゲーム機にかじるついていることだろう。昨日は、久しぶりに、のどかな日曜日の午後であった。

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愛国心について

2006-07-09 21:30:17 | 政治・経済・社会

 文藝春秋の7月号は「愛国心大論争」だった。特に、今国会に提出され、継続審議になった自民党と公明党の提出した与党案としての教育基本法案と民主党の対案を巡ったさまざまな論議が掲載されている。櫻井よしこ、平沼赳夫、鳩山由紀夫、保阪正康、池内恵、寺脇研の「論争」は、どこが論争かよく分からない、なんだがお互いの意見の褒め合いのようでつまらなかった。圧巻は、石原慎太郎の『若者がこの国を愛するために』という論文だ。これは、ほとんど、藤原正彦と同じ主張だと思った。石原慎太郎の文章としては、久々に、面白い文章だと思った。

 石原慎太郎は、「まず国を知り歴史を学べ。そこから全ては始まる」と言う。それは、正しい。今回の教育基本法改正案の国会審議を評して、「神経症的な、愚劣な議論」と言っているが、これもある程度当たっているように思われる。「愛国心」というのは、ある種の心の状態を徳目的に表現した言葉であり、教育基本法改定案の言葉で言えば、「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」という言葉に対応した表現だ。そして、石原慎太郎が指摘しているように、こうした「愛国心」は、学習指導要領の中に色々なかたちで、すでに盛り込まれている。

 だとしたら、なぜ今、「愛国心」であり、しかも、自民党と民主党が、「私たちの方がより、強い愛国心を持っている」みたいな発言を繰り広げているのだろうか。私には、彼ら政治家たちにとって、今回の「教育基本法の改正」などあまり大きな問題だと思われていないような気がして仕方がない。特に、小泉さんの中に、この改正に積極的に取り組もうという意識が見られない。ある意味では、どうでもいいことのように考えられているのではないか。石原慎太郎も、現行の教育基本法は「1947年にGHQの主導で作られた法律」であり、「過度に個人主義を尊重する内容のもの」となっていると批判していて、改正する動きが自体を否定していないが、積極的に何かを言っているわけではない。

 今問われているのは、「愛国心とは何か」と言うことではなく、「この国をどうしようとしているのか」と言うことであり、「この国の何を大切なものとして守ろうとしているのか」ということだと思う。私たちが住んでいるこの日本という国について、私たちはどれだけのことを考え、どれだけのことをしようとしているのだろうか。「愛国心」というものは身につけさせるものではなく、自然と身につくものだ。そして、それは、おそらく教育の課題などではないと思われる。なぜなら、もし、国が私たちを守り育ててくれたのなら、私たちは自然とそれに感謝し、報いようとするに違いない。また、そうでなければ、私たちは永遠に国を恨んで生きていくことになるに違いない。ある意味では、「本当の愛国心」などというものは、私たちではなく、後世の人たちが決めることだと思われる。

 歴史教育は決して、良い悪いといった短絡的な価値判断でなされるべきものではない。ヤスパースのいったように、今われわれが生きている瞬間瞬間が一秒後には過去となり、それが連綿と重層的に重なり合っていくのだから、その堆積である歴史への価値判断にはさまざまなベクトルが作用するのが当たり前だろう。
 私は一番下の息子から遅まきに網野義彦氏の史学を教えられたが、実に興味深いものがあった。網野史学を左翼的だと言うのはいかにも短絡的で、氏の視点は決して皇室を冒涜するようなものではなく、皇室中心、武家社会中心のヒエラルキーの社会の裾野で実は他の多くのどんな人々がどんなエネルギーをもって日本社会を支えていたかのかを描いていて、歴史がいかに重層的なものかを改めて知らされる。(「文藝春秋」2006年7月号p115)

 教育でできることは、せいぜい、石原慎太郎の言葉を借りて言えば、「この国の歴史」を、伝統と文化も含めてしっかりと教えることだ。それ以上でも以下でもあり得ない。それ以上のことがあるとすれば、おそらく、私たち全ての国民が、日本を愛すべき国として創りあげていくことであり、それ以外に「愛国心を教える」ことなどあり得ないと思う。その意味では、石原慎太郎の文章は、正論だと思う。私と石原慎太郎の違いがあるとすれば、歴史や伝統と文化の理解の仕方や、解釈の違いであり、国や地方自治体の諸々の政策に対する評価の違いである。それはそれで、大きな問題だと思うが、取りあえずは、教育基本法改正案の論議に対する感想としては、石原慎太郎の言うことがもっともだと思った。

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