電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

こども図書館に行く!

2004-10-24 21:25:30 | 子ども・教育
 隣の市に住んでいる4年生の従姉妹が遊びに来たので、子どもたちを近くの飯能河原とこども図書館に連れて行くことにする。妻が飲み物、お菓子、タオル、敷物などを用意してくれた。荷物を私の自転車に積み、それぞれ自転車にのり、10時頃出発。途中、飯能駅の周辺を通るので危険がないように私が先頭になりゆっくり走る。天気が良く、気持ちがいい。出かけるときは少し肌寒く、上にセーターを着たが、途中で暑くなりセーターを脱ぐ。子どもたちも上着を脱いでいた。

 飯能市こども図書館の前を通り抜けると名栗川にかかる割岩橋という吊り橋がある。この橋の上から飯能河原が一望に見渡せる。先日の台風のために、河原の真ん中にかかっていた橋が一部流されていて、右岸から左岸に渡れなくなっていた。だから、水のない左岸に行くには初めから左岸に行くしかない。左岸へは車も乗り入れられるようになっている。

 飯能河原の混み具合を知るために、「飯能いつどこ情報源」が活用されている。小久保達さんが、飯能河原の左岸の方にある「ナイスアーバン飯能」の9階のベランダにカメラを設置し、常に飯能河原を見られるようにしているのだ。飯能河原では、休みの日にはバーベキューなど、市民だけでなく遠くからも遊びにやってくる。そのためのナビゲータの役割を果たしている。私たちにとって、市役所より親しいサイトだ。

 私たち3人は、割岩橋から戻り、子ども図書館の前を通り、飯能市図書館の手前の下り坂を下って飯能河原に降りて行った。自転車から降り、河原に入る。河原では10くらいの大きなグループがバーベキューの準備をしていた。河原の駐車場の入り口でおそらく市役所から委託された人だと思うが、腕章をまいた管理人が立ち、車が来るとチェックしていた。バーベキューをするとき、直接河原の石の上で火をたかないようにということだと思う。

 近くにバーベキューをやる人のための道具を貸してくれる専門のお店があり、飯能がわらのルールにあったそれに相応しいコンロなどを用意していて、持ってきていないと貸してくれる。一応、みんなマナーを守っている。平成16年3月24日に告示された「飯能市告示第48号 飯能河原の保全に関する要綱」の第4条に次のようにうたわれている。

第4条 何人も、飯能河原において次の行為をしてはならない。
(1) 石の上で直に火を燃やすこと。
(2) ゴミその他の汚物を河川に放棄し、又は放置すること。
(3) 調理に用いた器具等を河川で洗うこと。
(4) 夜9時以降翌朝6時までの間、花火をし、又は人声、音楽などの音を異常に大きく出して静穏を害すること。
(5) 自動車を乗り入れること。ただし、市長の許可を受けたときは、この限りでない。

 河原に敷物を敷き、私が座っている前で、子供たちは靴を脱ぎ、川に入る。川の中で、魚を探したり、綺麗な石を探したりしながら、笑い声を上げていた。ひとしきり遊んでから足を洗い、お菓子を食べ、飲み物を飲む。そして、11時頃引き上げる。河原から自転車を押していくのも結構大変だった。そこから、子ども図書館に行く。

 「飯能市こども図書館」は、子どもの本が充実している。インターネットで本を探したり、貸し出しの予約ができたりするようにもなっている。まだ、ここで本を借りたことがなかったので、子どもの貸し出しカードを作ってもらう。住所氏名と電話番号を書くと、すぐカードを作ってくれた。1回で10冊2週間まで借りられるというのは、ゆとりがあると言うべきだろうか。

 参考までに、インターネットでデータを調べてみた。こども図書館の「予約ベストリスト10(児童図書)」のトップはやはり『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』だった。これは、ハリー・ポッターが出る直前のデータだ。 2004/09/01 ~ 2004/09/30の「貸出ベストリスト10(児童図書)」は以下の通りだった。  

1位 『ぐりとぐら』福音館書店 12回
2位 『こぐまちゃんのみずあそび』こぐま社 11回
3位 『かいけつゾロリつかまる!!』ポプラ社 11回
  『かいけつゾロリのきょうふのサッカー』
      ポプラ社 10回
  『かいけつゾロリのきょうふのプレゼント 』
      ポプラ社 10回
  『こぐまちゃんとふうせん』こぐま社 10回
  『はらぺこあおむし』 偕成社 10回
8位 『しろくまちゃんのほっとけーき』こぐま社 9回
  『となりのせきのますだくん』ポプラ社 9回
  『バムとケロのさむいあさ』文渓堂 9回

 我が息子は、現在、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』を読んでいるが、「ママが読みたいと言っていた」といって、『ダレン・シャン』を借りていた。ただし、1巻~8巻まで借りていて9巻しなかったそうで、それを借りていた。「そんな途中から借りていいの」と聞いたら、「いいって言ったよ。学校の図書館にもないんだもの」と言う。自分のためより、人のために借りていいものだろうかと思ったが、今回は許した。たまには図書館もいいものだ。いや、たまにではなく、もう少し多く通った方がいいのだろう。楽しそうにいろいろな本を取り出しては見ていた。また、一緒に返しに行こうと思う。


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「つま恋」と大井川鐵道

2004-10-23 22:25:11 | 日記・エッセイ・コラム
 会社の慰安旅行でヤマハリゾート「つま恋」に行く。飯能駅6時59分の急行で池袋に行き、そのまま地下鉄に乗り東京駅へ。東京駅の駅の構内の書店で、「ファイナンシャル・ジャパン」の創刊号を買い、東京駅8時56分の「こだま」に乗る。掛川に10時44分に着く。そこからバスで「つま恋」へ。「つま恋」に着いたのは、11時頃。みんなで記念撮影をしてから、昼食。幹事さんは、事前にビールを配ったりしていたが、昼食にお酒が出なかったのにはびっくりした。まあ、食後、運動をして欲しいと言うことかもしれない。確かに、「つま恋」に着いたとき、既にできあがっていたような人はいた。

 いろいろなことができるのだが、私は同年代の同僚と原動機付きの自転車でサイクリングをした。サイクリングは、埼玉県の森林公園のサイクリングコースが好きで、子どもを連れて行き、自転車で良く回る。一周14キロ以上もあり、途中休憩したり、植物園を見学したりと遊びながら行くと、2時間近くはあっという間にたつ。そのつもりで、自転車を借りたのだが、さすがに坂道が多く、原動機付きでも少し苦しい。ただ、距離が短いので、すぐに回ることができた。いい運動にはなった。

 14時には、「つま恋」を出発して、大井川鐵道でSLに乗り、また掛川に戻ることになっており、あまり時間がなかったので、私たちは、自転車に乗って回っただけで終わってしまった。要領のいい人たちは、あらかじめ用意していたテニス用具を持ってテニスをしたり、食後すぐゴルフのショートコースに駆けつけたりして、それなりに楽しんでいた。

 「つま恋」は、土曜日だったが比較的空いていた。次の大井川鐵道は、家山駅から新金谷駅まで、SL列車に乗る。まだ、紅葉には早く、青々とした木々を見ながら、大井川に沿って列車は下った。いろいろな映画のロケーションに使われているだけあって、列車の窓からの景色は情緒がある。台風が過ぎたばかりか、川の水が白く濁っていたが、大井川の広い河床をうねる水もきらきらと輝き、気に入った。

 新金谷駅の前の「プラザ・ココ」でお土産を買い、バスに乗り掛川駅へ。16時40分の東京行きの「こだま」に乗る。何故だか、社内では酎ハイや梅酒などお酒はたっぷりあり、みんなで宴会になった。その場に居ない人のうわさ話に花を咲かせていたのを聞いていたが、きっと私の居ないときは私が酒の肴になるのだなと、感心した。それはそれなりに、話題を提供し役に立つのだ。

 東京駅に着いたのは、18時23分だったが、降りる前に新潟の地震のニュースを知る。新潟出身の人がおり、彼女の携帯に電話が入ったのが最初の情報で、その後はみんなが携帯で情報を集めていた。震度6くらいの地震が何回かあったらしいという情報はわかったが、それ以上はよくわからない。東京駅に着いて地下鉄に乗り換えていたとき、大きな地震の揺れを感じた。まだ、地震の余震が続いているらしかった。家に帰り着いたのが20時で、地震の被害の大きさに改めてびっくりした。地震のニュースを除けば、いい運動になったし、今日1日は、本のことを忘れていられて気楽だった。

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「国ナビ」が完成していた!

2004-10-22 21:56:21 | 政治・経済・社会
 「国ナビ」というのは、「国家財政ナビゲーション・システム」のことで、2004年7月に完成したシステムである。こんなシステムがあることを初めて知った。これは、1府12省の中央省庁と全国3300の地方公共団体の予算編成上の意志決定を自動的に処理できるコンピュータ・システムだそうだ。これを「国ナビ」と名付けたのは『公会計革命』(講談社現代新書)を書いた桜内文城さんだ。桜内さんは言う。

国の財政赤字などの問題で、「子供たちや孫たちに負担が先送りされている」とよく指摘されるが、このシステムを使うことによって、例えば、「こういう予算を組めば現役世代はどれだけ受益できるのか」「将来世代はどのくらい負担が先送りされるのか」といったさまざまなシミュレーションが可能になる。(『公会計革命』p3)

 そんなことが実際に行われるのかどうか、よくわからない。しかし、今年の予算で小泉総理が「国ナビ」の前で悩むというのは、面白いし、そうあって欲しい。それが実現していくためには、いろいろ問題がありそうだ。まず、「国ナビ」の前に、「公会計」という概念から理解する必要がありそうだ。そもそも、国の借金ということからして、会計処理上どう考えるかが問題だ。

 地方公共団体の貸借対照表の作成から公会計の改革が始まり、「特別会計等財務書類の作成のガイドライン」などが作成され、公的部門における会計基準が作成されたり、見直されたりしているが、現在もまだ日本公認会計士協会として正式な見解があるわけではないようだ。日本公認会計士協会でも、平成13年7月に公会計フレームワーク検討プロジェクトチームを設置し、そこで桜内さんの作成した「公会計概念フレームワーク(私案)」をベースにした議論を積み重ねている。そこでは、いろいろな点で合意に至っていないところが指摘されている。

 「公会計」によく似た概念に「NPM」という言葉がある。「NPM」とは、「ニュー・パブリック・マネジメント」のことであり、1980年代後半から諸外国で取り入れられた行財政改革の手法のことだ。「公共部門の効率化や透明性を向上させるために、企業経営の発想を取り入れた新しい行政管理の手法」で、国民や住民を行政サービスの顧客に見立てて、顧客満足度を最大化しようという考え方だ。この「NPM」の動きの中で、企業会計原則を公会計に取り入れていこうという動きが生まれた。実際、イギリスやオーストラリアでも、企業会計原則を基準にしながら、複式簿記・発生主義会計を採用しているようだ。

 日本でもこうした流れで、「公会計」が捉えられているが、桜内さんは、「公会計」は「NPM」とは違うと言う。基本的な問題として、国民や住民は顧客ではないというのが、ポイントだ。「NPM」では、国民が、「国家の外部に存在し、政府から行政サービスを受け取り、その対価として税金を支払う関係に立つ『顧客』」になってしまう。

 公会計は、国民を、政府の「顧客」としてではなく、国家の「主権者」(実質的所有者)として位置づけなければならない。そして、そのことは、公共部門に単に企業会計原則をそのまま採用すればいいわけではなく、公会計として必要な機能を十分吟味して定義した上で、文字通り一から公会計の理論体系を構築しなければならないことを意味する。なぜなら、既存の公会計のほぼすべては、国民を政府の顧客として位置づけるNPMの立場に立つものにすぎないからである。(『公会計革命』p22)

 「政府は主権者、すなわち国家の実質的所有者である国民に対して受託者責任を負っている」と考えることにより、「情報開示」の意味が、「顧客に対する宣伝・広告」の意味から「アカウンタビリティー」という会計の中核概念になる。また、そこから、公会計は事後的な「決算」だけでなく、「予算」も対象にすることや、現在は小さいか、生まれていないために国家の意思決定に参加できない将来世代に対する「利益の保護」の考え方も出てくると言う。年金問題などその典型だし、刻々と増加していく国の負債の問題もそうだ。今少し、桜内さんとこの公会計の新しい考え方に注目していきたい。

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ブログの「私」について

2004-10-21 22:01:52 | 文芸・TV・映画
 大塚英志さんの『物語消滅論』(角川書店)の帯が面白い。読み終わったときの自分への問いかけが、まさしく、その帯の言葉と同一なのだ。 大塚英志さんは、物語化した社会に対抗していくためには、文芸批評が有効だという。だから、本のタイトルは『物語消滅論』だが、「物語を消滅させるにはどうしたらよいか」ということが問題になっている。

 「テロとの戦い」からファンタジーの流行までイデオロギーに代わって「物語」が社会を動かし始めた―。「物語」の動員力にいかに抗していくのか? 「物語」が「私」と「国家」を動員し始めている。テロとの戦い、ファンタジーの世界的ブーム、ネットでの中傷による殺人事件…。いまや社会において人々を動かしているのは「物語」である。80年代後半にイデオロギーによる社会設計が有効性を失い、複雑化する世界を見通すことが出来なくなった時、人々は説明の原理を「物語」の因果律に求めた。それは善と悪、敵対者、援助者など単純化された要素により成り立つ因果律である。それは分かり易さ故に人々を動員し政治をも動かし始めた。イデオロギーが「物語」に取って代わられた時代、世界はどこへ向かうのか?そのリスクはいかなるものなのか? (帯の文章)

 「テロとの戦い」というのは、日本を巻き込んで行われてブッシュ大統領のイラク戦争であり、「ファンタージーの世界的ブーム」とは『ハリー・ポッター』と『ロード・オブ・ザ・リング』のブームであり、「ネットでの中傷による殺人事件」とは佐世保同級生少女殺人事件のことである。確かに、「テロとの戦い」はファンタジーの定石である「光と闇の戦い」と同じように、「正義と悪の戦い」として演出されている。ブッシュ大統領の口から、なぜイスラム圏の人たちがテロに頼らざるを得なかったかの分析は少しもない。まるで、キリスト教の十字軍の戦いのように見えた。

 佐世保事件の殺した少女の愛読書が『バトル・ロワイアル』であり、殺された少女の愛読書が『キノの物語』であったということに痛ましさを発見した大塚さんは、殺した少女が少年鑑別所に入って読みふけった小説が『赤毛のアン』だったことに無念の気持ちを抱く。「『赤毛のアン』ほど戦後の日本女性の自我形成に寄与した小説はない」と信じている大塚さんにとって、読む順序が逆だったらおそらく殺人はなかったということになる。

 私もブログを立ち上げ、ネット上の「私」を持っている。この「私」は、確かにネット上に仮構されたキャラクターのような存在なのだが、その背後にはやはり近代的な自我があり、そこには「自尊心」や「プライド」が隠されている。その自我は、ネット上ではむしろ肥大化し、むき出しになっているのではないかという。たとえハンドルネームだとしても、ネットに登場することは、そういう「私」を承認して欲しいという欲求があるはずだという。そういう「私」がネット上に中途半場に無防備に持ち込まれていることが問題だと言う。

 だから、近代的な作法や教養や啓蒙を持たないで、仮想化した空間のなかでキャラクター同士が出会うと知らず知らずのうちに後ろにいる無防備な近代的自我を攻撃してしまうことになってしまった。あの事件に限らず、ネット上で大喧嘩が起こりやすいというのは、そういうことなのではないか。(『物語消滅論』p156・157)

 マルクス主義が消滅した後に、社会についての構造的な説明をする理論が科学から物語に取って変わられているというのは、鋭い警告だ。古典的だが、そこで文芸批評の有効性を主張するのはよくわかる。物語について最も理解が深いのは、他の政治的イデオロギーではなく、文芸批評だというのは正しいと思う。私も、自分のブログの「私」についてよくよく考えてみたいと思った。

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TBS水曜プレミア『家栽の人』

2004-10-20 23:55:33 | 文芸・TV・映画
 今日は、台風が来るというので、会社を早めに終わり、家に帰った。それでも、風呂に入り、食事をし、子どもを寝かせ、メールのチェックをすると、もう9時になる。時折、激しい雨音がするが、まだ風は吹いていない。テレビのニュースでは、まともに大阪湾から大阪、岐阜に向けて台風は進んでいる。

 戸締まりを確かめてから、妻と二人で9時からのTBSの水曜プレミアを観る。数年前にコミックで読んだきりの『家裁の人』がとても懐かしかった。つい最近、フジテレビの『Dr.コトー診療所』で熱演していた時任三郎が主人公の裁判官・桑田判事を演じていた。テーマは、最近どこかであったような少女殺人事件を起こした少年のその後。事件から四年後に、少年は少年院から社会に復帰する。少年を許さない被害者の母親や、社会復帰した少年を執拗に追いかけるマスコミが、少年を追いつめる。

 原作の『家裁の人』は、1988年から96年まで8年間に渡ってビックコミックオリジナル誌上で連載され好評を得た作品だ。一度、片岡鶴太郎主演でテレビドラマ化もされた。そのときは、そんなに盛り上がらなかったような気がした。今回、ブログに書こうとして調べてみたら、事前にPRしていた人がいた。bardさんの「家裁の人、再ドラマ化」という記事だ。

 キャストが少し豪華過ぎるような気がするが、何となくあっさりした印象だった。「家庭裁判所は、人を裁くところではなく、人が立ち直るのを手助けする場所だ」と静かに諭す桑田判事は、それなりに格好良い。ただ、「わたのみ」のエピソードは、あまりインパクトがないような気がした。父と子の葛藤が少年を追いつめ、父親を殺す予定が、少女を殺してしまった少年の悲劇があったわけだが、ここでは直接少年の父と母は登場せず、変わりに風間杜夫を演じる息子を自殺させてしまった父親が登場し、少年を見守る。また、生ある限り彼を憎み続けるという被害者の母親役の古手川祐子の演技もなかなかだと思った。

 どちらにしても、狂言回しは野上調査官役の伊藤歩であり、とてもかわいかった。多少コミカルな柳葉敏郎とのコンビもなかなか良い。柳葉敏郎は何となくイメージが合わないような気がしたが、伊藤歩は気に入った。


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