ヒーリングルーム”祝祭” 0010110

創造主による量子ヒーリング退行催眠療法:
魂の癒しと成長・人生の意味を求めている人のために

「音叉が癒す子どもたち」2019-3-2祝祭セッション

2019-03-29 21:34:13 | Testimonial/セッション感想
ホテルルームを利用することでセッションを少しずつ再開できるようになり、ファーストトラックパスの方から、順次行っています。

やはり、人生の転機を迎えていて、これからどちらに進もうか、じっちゃんに相談したい、あるいは自分の決断を後押ししてほしい、という方がいらっしゃいますね~。

この方もそうでした。

じっちゃんやアシュタールさんの答えは、いつもまさにツボを得ており。どの方もセッション後、「スッキリした」「迷いが取れました」と自分の進む方向に自信を持たれ、実に晴れやかなお顔になられるのが本当に嬉しい。

スターシードとして、あるいはライトワ―カーとして何をするのかしたいのか、何を通してこの世界に自分を役立たせたいのか、どのように自分の光を広げるのか、選ぶ内容・手段は様々ですが、皆さん、本当に一生懸命に取り組んでおられて素晴らしい。

何度も書いていますが、祝祭セッションを終えるたびに、私は「人間って何て健気なんだろう!」と、険しい道と知りつつも魂の学びと奉仕の道を選んで地球にやってきた地球人たちが誇らしくなるのです。

今、発達障害の子供たちが世界的に増えています。

ニューアース・チルドレンです。高い波動をもって生まれ、意識の使い方が多次元的なので、今この物質次元に適応するのに困難を抱えている子供たちです。

そんな子供たちの光を押しつぶさないように、そして、今の社会制度の中に何とか安心できる居場所を作ってあげるためにはどうしたら良いのか。

問題が次第に大きくなってくる中で、家庭でも、学校でも試行錯誤が続いています。

今回のクライアントさんは小学校の先生で、現場での取り組み方をじっちゃんたちに相談しに来られました。

発達障害のお子さんと関わりを持っておられる方々に、一つの例として参考になるのではないでしょうか。

素晴らしいレポートです!

光のバトンリレー、ありがとうございます。m(_ _)m


~~~~~~~~~~

2019-3-19

まどか・シェラン・ルシェリ 様

先日の祝祭セッションでは、大変ありがとうございました。
改めて、なるでこさん
(いつも迷います。まどかさんとお呼びしてよいのかどうかー。)
には、じっくり寄り添っていただいたなぁと思っています。
時間をかけて待ってくださったこと、
私のはっきりしないヴィジョンに対して、
絶妙な誘導で引き出してくださったこと。
それがあってこそのあの時間でした。

振り返りというか、
あの後つながったことや感じたことを書きたいと思います。

1回目の退行。
龍について。
あの時、私は瀬織津姫と言いました。
そのイメージが強かったのですが、
実は遠くのほうで、「磐長姫」という声も聞こえていました。
でも、小さかったというか、控え目だったというか・・・で、
言葉にしませんでした。気のせいかなとも思いー。

姫、姫と聞こえていたので、
姫イコール瀬織津姫と
私が作ってしまったのかもしれないなぁと気にもなっています。

磐長姫も関係あるのかなぁ?


ただ、あの龍がどなただったかということより、
私にとっては、ありがとうと言ってもらえたことが大きく、
それで十分でした。

フライングしたことで、
主目的のミッションがちゃんとできなかったとがっかりするより、
あの時間を皆さんと楽しんだり
参加できた満足感を味わうことが大事だったと思います。



2回目はアシュタールコマンドとしての私、
3回目はニューアースの様子、
を見せて頂きました。
私自身が、過去世を見たいという思いを持っていなかったからなのでしょうか。
初めて祝祭セッションに行った時は、
ヴィジョンが見えた時に困らないようになんて、すごく構えて、
日本の神々や興味のあるエジプトの本を読んで行きました。
今回は、全くなんの準備もせず、
何を見せていただけるのかと、楽しみにして行きました。
Coken(ガイドの龍さん)に連れて行ってもらっても
なかなか見えてこず、その時は不安でしたが、
何の先入観もなかったので、
だからこそじっちゃんやアシュタールさんが
選んでくださった場面であったのだと
嬉しい気持ちになりました。
2、3回目についてはあの通りで、
今はつけ足すことは特にありません。

それにしても、
アシュタール司令官がジェームズ、
じっちゃんが黒の海パン姿で真っ黒に日焼けして
出ていらした時には、
楽しくて、これも嬉しくなりました。
ヴィジョンを見ることが、できるのかできないのかと
心配ばかりしていたわたしを
安心させようとしてくださったお二人には、感謝感謝です。



セッションでは、とにかく
教員として残り1年の過ごし方、
(退職しないことに対して
完全に納得しきれていなかったし)
今後やりたいと思っている音叉のことを
お聞きしたかったので、
その部分について、
じっちゃんやアシュタールさんに
たくさんのメッセージをいただけたことを
ただただありがたく思っています。


私は、退職したら自宅で音叉ヒーリングをしたいと思っています。
それを早く始めたくて、定年前に教員を辞めたかったのです。
ただ・・・そうそう、群馬ミッション前に、
サンデールームで、アクセサリーのためのカウンセリングを受けた時です。
私の後にカウンセリングを受けた方がやはり教員で、
ちょうど発達障害について同じような思いを持っていて、
なるでこさんが繋げてくださったーということがありました。
あの頃から私は、発達障害ともっと向き合っていくのだと自覚しました。
そしてまた、それに音叉が使えそうだと結びついたのでした。
教室で使ってみたいという思いが強くなったのでした。

音叉について。
音は波動であること。
音叉は調律器であること。
音叉は波動を整える一つの道具であることを教えて頂きました。
調律というと楽器を連想します。
人を楽器に例えると、
発達障害と言われる子は、少し音がずれている、
♭や♯している状態。
ずれた音を戻すためには、音叉は効果的であること、
を教えて頂きました。
また、波動という言葉を使ってしまうと
何だかスピリチュアルなイメージが強く敬遠されがちだけれど、
音叉なら受け入れやすいというお話も納得でした。

これらのことを心に置いて改めて学級の子どもたちを見てみるとー。

校長が、クラスで試していいよと言ってくれたことで
今は2学期頃から少しずつ教室で鳴らすことができています。
(ただ、誰にも意図は話さず、
先生達が太鼓や笛を合図に使うのと同じように、
音叉も「学校に来たよ。気持ちを学校におく合図ね。」
 と言って鳴らしています。)

それこそ、より良くなろうという思いを持っている子は
音叉の音を聴くと整うのが早いのか、
より愛に溢れてきていると感じます。
いくら勉強の邪魔をされても、当番をサボられても、
許しているし、責めません。
こうしてくれると助かるなと、優しく伝えます。
わからないことがある子に対して、
どんどん行動して教えています。
私が、話を聞いていない子を注意すれば、
先生は心配してるんだよと、代弁もしてくれます。
どうしてそんな素敵な言い方ができるの?と感心します。
1年生って、こんなに大人なんだと驚かされます。
6歳だって、心は分かっているんだなと実感します。

あ、ここまで書いて気づきました。
♭でも♯でも、そのままでいいんだ。
そのままの彼らを、子ども達は受け入れているのです。

とすると、整えるというのは、
愛にあふれた本質に気づかせるということなのかもしれません。

一方で、音叉を鳴らしているのに、
意図していた子たちはあまり変わらないな、とも感じていました。
今教室で打っている音叉は、
暴れたり、友だちに対して簡単に手足を出してしまう子と話したときに、その子が
「ダメなことは分かっているのだけれど、どうにもならないんだ。」と言ったことを受けて、
私がトレーニングを受けた会社が
思いと行動が一致するような周波数を調べて、作ってくれたものなのです。

それなのに、他の子達がどんどん変わっていくのに対して、
本来の対象であったはずの子達の変化を感じることができないのは
どうしてなのだろうと思っていました。
変わる前の好転反応のようなものだろうかと
自分に都合よく考えたりもしていました。


そんな中今週になって、じっちゃんからその理由を教えて頂きました。
とある人の言葉から、
とある本に書かれた文からー。


とある人からは、「淡々とやればいいんだよ。」と言ってもらいました。
とある本には、「能役者というのは、舞台に立って動くだけのものだ。ただ舞っているだけ。」
と書かれていました。能楽の人間国宝の方の言葉として。
つまり、どちらも「余計な思いを入れないこと。」です。
“上手に打とう”とか、“この音を聴いて変わってくれますように”
などど思ってはダメというか、
そんなことを思う必要はないということです。
確かに、私がその対象でないと思っている子たちに対しては、
何も思わず、ただ聴かせていたと思います。
そして発達障害の子に音叉の音を聴かせる時、無意識のうちに
確かに、変わってほしいとか、効いてほしいとか、そんな思いを持っていたのです。

その余計な思いが邪魔をしていたのだと、気づかせていただきました。
これって、教師の悪いクセなのかもしれません。
子どもを変えるとか、直すとか、ついつい思いがちで・・・。
そこに気付いたので、
これからは淡々と打つのみだとー。



そして、残り1年の教員生活。その過ごし方。
これも大きなメッセージでした。
教師という仕事、その働き方にしても、
学習というものの捉え方にしても、
今までの固定概念を崩すこと。
先程の変えたい良くしたいという思いは
教育にいらないということを自分の中に受け入れ、
こうでなければという学びのスタイルにも拘らずー。
まだまだお堅い考え方をする人が多い学校という組織の中で
自分を変えていくということ。
それを見せていくことには高いハードルがありますが、
それも高いと決めつけず、実践してくことができれば、
それはそのまま
私自身の生き方も変わっていくということ。
学校は、そのチャレンジには
うってつけの場なのだろうと感じています。
そういう場に置かれていることに感謝もし、
ゲーム感覚で(これもセッションの時に言っていただきました。)
こうしたらこうなるんだーと楽しみながら過ごしていきます。

そうそう、まだ残っている見栄や世間体…汗。
これを捨てていくことも、です。

もう1年音叉が試せるならーと退職しないことにはしました。
でも、体力的にも精神的にもかなり疲れていたのは事実です。
正直なところ、自信がありませんでした。
だから、新しい年度が始まる前のこのタイミングで
祝祭セッションを受けることができたことに、
課題がクリアになったことに、
本当に感謝しています。


昨日運転していたら、
前の車のナンバーが2222でした。
その車が右折していった後、
前になった車のナンバーは5555でした。

今メールを打ちながら、
何時かなと時計を見たら22:55でした。

2222は、
環境の変化は不安になるけれど、
物事を受け入れることで、成功を掴める。
555は、
人生で大事な変化が起きる時期を意味している。
のだそうです。

不安がらずに、ゲームスタート!
ってことですよね。



なるでこさんも、新しい展開
アシュタール・祝祭ワークが実現しますね。
ステキです!!
私は今回そのタイミングではありませんでしたが、
ワクワクしているのは一緒です。

各々が自分の楽しみを実現していくこと。

ありがとうございました。
また報告します。