習志野市民フォーラム

市民情報交流センター

ボートピア習志野反対運動の経緯⑬(着工阻止現地行動)

2013年11月05日 | ボートピア習志野反対運動
※このシリーズは2004年に新習志野駅前に計画された競艇場外舟券売り場建設を巡る当時の反対運動の経緯です。

 2005年5月29日議員会館で福島社民党党首(当時)に面会。連絡会より8人が参加。40分にわたり事情を説明し意見交換をした。
 7月16日には大久保地区で集会が開かれ19人が参加して活発な意見交換がなされた。
 7月17日 交量調査委員会が結成され10名が参加、道路調査研究資料を原告団長の土居が分析。
 七中のPTA臨時総会で反対の決議がなされた。
 7月29日警察協議が終了し市に資料が渡される。
 交通量調査と並行して住民の生活実態調査も行い500余世帯より回収した。
 9月3日夜香澄地元集会が開催され20人が集まる。
 工事着工時に備え見張り、着工時には現場前で抗議行動を開き搬入を止めることなどが話し合われる。

 工事着工の準備は進み、10月1日に杭打ちが始まるとの掲示。トラック搬入が行われるとの情報が入る。
 10月1日早朝7時より現場前に40人が集まった。既に新習志野駅前周辺には搬入のトラックが待機している。
 離れた場所には県警のパトカーが警戒している。
 抗議行動は現場正門前で行われ、次々と抗議のリレートーク。
 約2時間ほど行い引き揚げた直後にトラックの搬入が始まった。
※この着工抗議行動の成果としてはトラックの搬入を数時間遅らせたこと。
  これについては様々な評価がある。連絡会内部でも異論もあった。
  何故、入り口前でピケを張って阻止行動をしなかったのか。目に見える阻止行動が行われなかったではないか。
  その通りではある。道路交通法や威力業務妨害の恐れがあったにしても、実力行動は行うべきではなかったのか。
  仮に排除されたとしても住民の意思は目に見える形で示され、ニュースにも取り上げられ裁判の下支えになったはずだ。
  「市民連絡会」に批判的だった「リコールの会」の動きはどうだったのか。この時こそ阻止行動を起こせばリコールの
   弾みになったはずだ。抗議行動には「リコールの会」のメンバーも数人加わっていたが「市民連絡会」と同化してしまっていた。
  
  10月2日日曜日に新習志野駅前で着工反対の抗議集会が開催される。

  10:30頃から署名活動。ビール箱や、プラカード身、拡声器、楽器、紙芝居などを持ち込み昼からの本集会。
  100人超が参加、ボートピア反対運動を行っている甲府から連帯のメッセージ。
  参加者は次々と抗議のアピールを行う。
  推進派議員の黒塗りの車が遠くに止まり、運転手が写真を撮っていたらしい。
  その後現地までデモ行進し、手をつなぎ「人間の鎖」で包囲。
  下記は反対デモの様子を伝える当時のチラシ
  

  10月3日 新習志野駅前で宣伝行動の後、東洋エンジニアリングに抗議。総務部長に署名5,950筆を手渡す。

  着工に対する一連の抗議行動はこれで終わるわけだが、工事は着実に進むことを許してしまった。

  
  ※文中敬称略・肩書き等は当時のもの
   次回へ続く