なんともはや なブログ

日々生きている証としてテーマを決めずに書いていきます。

あの日から6年(東日本大震災)

2017年03月11日 13時46分13秒 | 日記
あの日から6年が経過しました。

当時、中学2年生だった次男も、今や大学2年生です。
あの日は、中学校の授業参観の日でした。
5時間目の授業が終わり、帰りの準備に取り掛かる時に、
いつもの地震とは違う長い揺れを感じました。

いつもだったら、もう収まってもいいはずなのに。
と思った瞬間、強い揺れが・・・・
今まで体験したことのない地震でした。

子どもたちは、日頃の訓練のとおり、全員が机の下に入って、
自分の身を守りましたが、授業参観に参加している保護者には
机はありません。

私は、教室内の倒れそうな掃除道具入れと、クラスマッチで貰ったであろう
トロフィーを必死に支えましたが、強い揺れで飛び出した、棚からのカバン類が
脛を直撃したことを覚えています。

廊下の母親たちは、立っていられず、みんな廊下におすわりしている状態でした。
教室が3階でしたから、大きく揺れたのかもしれません。

しばらくして、校庭へ子どもたちが避難を始めましたが、余震が続き、
プールの水が波立ち、体育館の窓ガラスは割れ、窓が地震の揺れと同じく
開いたり閉じたりする状況でした。

学校の駐車場は地割れを起こし、余震で駐車している車が、まるで
ダンスを踊るかのように跳ねていました。

あの日から停電・断水が始まり、都市ガスの家庭ではガスも止まりました。
福島第一原発の事故もあり、ガソリンや灯油が手に入らない日が続きました。
我が家はプロパンガスでしたし、灯油は数日前に頼んだばかりで、約200L
ありましたが、石油ファンストーブは、停電で動きませんでした。

人類初のメルトダウンと、大量の放射能が大気中に放出されましたが、
情報は流されず、多くの国民が被害に遭いました。

しかし、6年経つと、記憶も薄れ始め、いじめに遭う福島からの避難者の
ニュースが取り上げられるようになっています。
同じ日本人同士でいじめ合うなんて、悲しすぎます。
そもそもいじめの原因は、放射能に関する無知から始まっています。
いじめている人は、自分が無知であることを知らしめていると思って、恥じるべきです。
そして、福島から避難してきた方々は、胸を張って生きて欲しいと思います。
避難することは、住んでいた家を荒らし、土地に戻れず、職をなくした人も大勢いると思います。

自分の意思によらず辛い日々を生きていると思います。
少しでもやさしい気持ちで接して欲しいと思います。

あらゆる災害の被害に遭われていない皆様。
「備えあれば憂いなし」のとおり、防災用品の準備・チェックをお忘れなく。
今まで、地震の被害に遭われていない地域の方々は、たまたまラッキーだったのかもしれません。
洪水被害に遭われていない地域の方々は、たまたまラッキーだったのかもしれません。
熊本城が壊れてしまうような地震だって起こるのです。
何百年、何千年に一度の地震が、また、今日起こるかもしれません。
避難所生活は、言葉に表せないほど苦痛です。
今のうちにお備えください。


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