蜷川さんのお芝居に我らが上川隆也さんが主演するという発表があった時は、飛び上がるほどうれしかった。
チケットを予約したのは、「ウーマン・イン・ブラック」東京公演が始まる前。
それから3ヶ月以上待って、11月9日に待ちに待った初日を迎えた。
「抱腹絶倒」というからにはおもしろいに違いないだろうと思いつつ、4時間にも及ぶお芝居が、いくら大好きな上川さんが出ていても繰り返し見る気が起こらない物だったらどうしようという、一抹の不安。
戯曲を、はやる気持ちで飛ばして読んだ1回目。
筋だけ追って、おもしろさは分からなかった。
2回目は、少しじっくりと様子を思い浮かべながら読んで、おもしろいと思った。
表源内が結構出ずっぱりだと確認して、期待が増した。
戯曲によると生まれたての赤ちゃんから表源内の大人の役者さんがすることになっているけれど、一体どうやって表現するのだろうか?
ここはカットなのか?人形なのか?
公演間近に関係者のブログで上川さんが赤ちゃんから演じることを知り、そして、とても「ラブリー」と言うので、大変楽しみになった。一方「怖いもの見たさ」のような感覚もあったことは否めない。
初日の感想は、その時に書いたとおりである。
出ずっぱりで、可愛い赤ちゃんから死ぬまでの源内を演じた上川さんに拍手喝采。
そして、大満足。
ただ、物産展、花魁、両国の各シーンで冗長感があったのも事実である。
特に両国の相撲と大男根男それから放屁男のシーンは、演じている役者さんの役者魂には拍手を送りたいが、正直いらないと思った。
ただ、あれだけのお芝居の主演を務めた上川さんが余りに素敵で、ファンとしては冗長感なんて帳消しであった。
繰り返し観劇するうちに、あのお芝居の中で両国のシーンが担う重要性を理解できてきた。そう、とても大切なシーンなのだ。
両国のシーンの直前の表源内は、怒り狂って以下のように言う。
「下らない大衆め、貴様たちがそんなに下らない見世物が好きなら、尻尾を振っておれのまわりに集まってこい、貴様たちの下衆な好奇心にいくらでも、餌をまいてやる!」
そして、両国シーンの直後に悪酔いした表の源内が以下のように言う。
「どうだ、下らない大衆め、おれの撒いた餌が気に入ったか。へっへっへ、見るも見られるも五十歩百歩、そうやっていつまでも、不幸な物同士で、お互いの傷口を仲よく嘗め合っているがいいや。」
両国のシーンで明るく歌われる以下の歌
「両国は地獄 地獄の両国 そして両国は天国 また極楽 仕合せになるために
探そう 人の不仕合わせを 幸福になるために 探そう 他人の不幸を 見られるは地獄 見るは極楽 他人の不幸は鴨の味 両国は地獄 両国は極楽 この世とあの世の国境」
前後の表源内の台詞が生きてくる。そして、才能を発揮しながらも、大衆の求めている物と歯車が合わず人生設計も狂っていく源内を浮き彫りにさせる。
続く腑分けのシーンを私はグロテスクとは思わなかった。
むしろ、表と裏の源内が愛する女性を歌いながら解剖して臓器を取り出すシーンは圧巻。
二人のコーラスがいい。
二人のコーラスといえば、高松藩を辞めて幕府に仕官できるかと言うシーンでも、聞ける。
「誰に厭味を云われても 出世はこの世の 美しい花・・・」
ここも好きなシーンだ。
初日辺りでは、勝村さんと上川さんの音程に若干のピッチの違いを感じた箇所があったが、回を重ねるうちにぴったり合って聞き応えのあるコーラスになっていった。
ほんとうに、どのシーンも大切で、引き込まれる。
大作であるだけに、見るほどに味わいが増してくる。
また、上川さんの演技は、初日からすばらしかったけれど、初日は「きっちりと丁寧に演じた感」があった。
回を重ねるごとに、更に練れて余裕が見られ、遊びの部分が出てきて、そして凄みが増した。
「主演」「座頭(ざがしら)」と言う立場で、お芝居の筋をしっかり引っ張っていく役目を担っているから遊びすぎることはできない。
彼はその辺りも上手である。
だから、彼のお芝居は観客である私をどんどんその中に引きずり込んでくれる。
口上のときは、観客は傍観者であるが、源内の最期はしっかり中に入り込んでいる。
源内が死んだと聞いて次々に駆け付けて茫然とする人々の一人に自分がいる。
そして号泣。
素晴らしいお芝居をありがとう
「表裏源内蛙合戦」は間違いなく私の特に好きな作品の一つになった。