院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

新聞は近々なくなるだろう

2006-11-15 13:07:19 | Weblog
 新聞は日本特有の宅配制度によって成り立っている。宅配制度が維持できなくなれば、新聞は一挙に部数を減らすだろう。

 新聞を読む習慣がない人が増えている。また、新聞配達のなり手も減っている。

 新聞は収益のかなりの部分を広告にたよっている。しかし、広告も減ってきたという。

 このままだと、ジリ貧である。新聞社はネットや放送など、他のメディアを模索する必要に迫られるだろう。

 新聞嫌いの私は、新聞社が困るのを高見の見物をするつもりである。新聞は野次馬の親玉だからである。

自殺は絶対にいけないことだろうか?

2006-11-14 12:52:26 | Weblog
 交通事故での死者が1万人から6千人に減った。逆に自殺者が3万人にまで達した。

 いじめ自殺や、関係した学校の校長の自殺も、連日報道されている。前にも述べたが、自殺はしばしば流行する。

 防げる自殺もある。うつ病による自殺は、うつ病が改善すれば、自殺に至らないですむ。このような自殺は防ぐ努力をしなければならないだろう。

 病気でない自殺を防ぐべきかどうか、疑問が残る。人間は生まれることも死ぬことも自分では選べない。そんな状況で、自殺だけが唯一、自分の意思で死ぬ手段である。

 自殺は、周囲の者に著しい影響を及ぼす。だからと言って、自殺はいけないと、深い思慮もなく簡単に言い切ってしまってよいのだろうか。

犬が好き

2006-11-13 12:48:05 | Weblog
 私は犬が好きだ。犬はほんとに忠実である。でも、もう何十年も飼ったことはない。

 それは拙宅に人がいなくなることが多いからだ。誰もいない家に犬だけを置いておくのは可哀そうなので、犬を飼うのを我慢している。

 犬は雑種がもっとも良い。第一、雑種が一番犬らしい。

 ブランド犬は、やたらと毛が長かったり、足が長かったりして、奇形的である。事実、ブランド犬には遺伝的な病気が多い。無理をして作った品種だからである。

 まだ犬を飼える環境にない。あと十年か二十年して、私が引退したら犬を飼うつもりである。

著作権保護論議

2006-11-12 11:45:21 | Weblog
 著作権を70年に延長せよという声がある。今までは50年。それをさらに延長せよというのは、どういう動機からだろうか?

 私は著作権は作家の死後15年でよいと考えている。それは薬の特許が15年だからである。

 作家の死後、50年というのは誰を保護するためだろうか?遺族を保護するためだろうか?50年保護すれば孫までもつ。それを70年にすれば、ひ孫までもつ。

 遺族を孫末代まで保護してどうするのだろう。

 アメリカではディズニーランド社が、ミッキーマウスの著作権を延長させようと目論んでいる。営利会社だから当然の主張とも言えようが、個人の著作権まで延長させようとするのはどういう意味があるのか?

 知っている方がおられれば、教えてほしい。

流行歌は恋の歌ばかり

2006-11-11 08:14:08 | Weblog
 洋の東西を問わず、流行歌は恋の歌ばかりである。例外を捜すほうがむずかしい。

 わが国の流行歌で、恋の歌でないのは、私が思いつくところ「こんにちは赤ちゃん」と「琵琶湖周航の歌」くらいのものか。

 恋の歌でないと流行しないのだろうか?それとも、流行歌の作詞家が恋の歌が好きなのか?

 若者は一日のうち70%は性のことを考えているという説もある。教室で学生に「今、何を考えていましたか?」と突然に問う実験をした人があるそうだ。そうしたら、70%が性のことを考えていたという。

 流行歌は主に若者が牽引役である。だとすると、流行歌が恋の歌になってしまうのには、必然性があるのかもしれない。

席を譲られた

2006-11-10 13:59:23 | Weblog
 私は電車やバスで老人や妊婦には席を譲ることにしている。自分ではまだ若いと思っているからである。

 ところが先日、バスで立っていたら、小学校4年生くらいの少年に席を譲られた。生まれて初めての体験だった。少年には私が老人に見えたのだろう。

 私は少年の好意を嬉しく思い、喜んで席にすわった。私が先にバスを降りることになったので、少年に礼を言った。少年は、はにかんでいた。

寝食分離

2006-11-09 16:20:37 | Weblog
 私が子供のころ、朝起きて布団を上げて、同じ部屋にちゃぶ台を出して朝ごはんを食べた。

 庶民の家はどこもそうだった。

 そのころから「寝食分離」ということが言われ始めた。寝る部屋と食事の部屋を別にしようというスローガンである。

 私が高校生のころ、それは実現した。

 いまや「寝食分離」でない家のほうが珍しいだろう。わが国も豊かになったものである。

琵琶湖

2006-11-08 11:32:31 | Weblog
 琵琶湖は楽器の琵琶の形をしている。だから琵琶湖と名付けられたのだろう。

 現代の私たちは、地上を上空から眺めることができるから、琵琶湖が琵琶の形をしていることが分かる。

 だが、昔の人たちは、それをどうやって知ったのだろう。琵琶湖は広大である。一見して全体の形は分からない。気球も飛行機もない時代に、なぜ全体像が分かったのか。

 昔の人は琵琶湖の航海を何度も繰り返すうちに、琵琶湖の形を知ったのだろうか。だとすれば、昔の人は偉大である。それと同時に、琵琶湖と命名することを認めた大衆も偉大である。

いじめ自殺予告

2006-11-07 13:18:55 | Weblog
 昨夜、いじめ自殺を予告する投書が文部科学大臣宛てに届いた。

 文科省は上を下への大騒ぎとなった。初等中等教育課長が異例の深夜の記者会見を開いた。

 封書の消印に「豊」の字が見えたため、豊橋市など「豊」の字がつく都市の教育委員会にいっせいに通達が出された。

 このいじめ自殺予告の投書は、陰湿さにおいて、普通のいじめと同じである。いや、もっとタチが悪いかもしれない。

 差出人が分からない手紙というものは、読むに値いしない。

 もし、これがほんものの予告でなく、愉快犯だとしたら、何をかいわんやである。

TVチャンピオン

2006-11-06 11:45:09 | Weblog
 TVチャンピオンという番組がある。

 ある時、東京中のパン屋の味を見分けるという競技があった。選手たちはパンのひとかけらを出されて、そのパンの店名とパンの名称を当ててしまうのである。選手たちの味覚の鋭さと記憶力に脱帽した。

 同じようにして、洋菓子の競技もあった。店や菓子の名称を当てるのはもちろん、ある菓子の何がいつもと違うかという出題もあった。選手はたとえば「この洋菓子は、いつもは和三盆が使われているのに、今日のは普通の砂糖です」などと当ててしまう。驚異的だと思った。

 しかし、私がもっとびっくりしたことがある。それは、各パン屋や洋菓子屋が、競技が成立するほどの店独自でしかも同じ味を毎日、提供しているということである。職人の技術と暖簾を大事にする姿勢に感動した。

弓道の矢を入れる筒の名称

2006-11-05 19:47:29 | Weblog
 先日、知り合いの若い女性から「弓道の矢を入れる筒は何と言うんですか?」と問われた。私は弓道をやっていないけれども、そこそこの年配だから、知っていると思ったのだろう。

 矢を入れる筒の名称を、私は知らない。でも、以来なんとなく気になっていた。

 今日、東京の渋谷を歩いていたら、弓と筒を持った男性がいた。その人に聞けば、筒の名称が分かるだろう。

 でも、渋谷の雑踏のなかで、見ず知らずの私が、その男性に話しかける勇気はなかった。

物理学の現状肯定

2006-11-04 12:38:34 | Weblog
引力はある。なぜあるかを問わない。なぜあるかを問わないから、ニュートン力学は成功した。

 磁力もなぜあるかを問わない。核力も同様。

 現実を肯定した上で、現代の物理学は成立している。物理学は「何故」を捨てた。それで成功した。

 今後は「何故」を追及する番である。それは物理学では無理で、新しい学問が必要となる。

うつ状態とうつ病

2006-11-03 08:05:33 | Weblog
 うつ状態とうつ病とは別物である。うつ状態は症状名で、うつ病は病名である。

 ちょうど腹痛が症状名で、胃腸炎が病名であることに似ている。でも、うつ状態とうつ病はしばしば混同される。

 失恋したり、近親者が死んだりしたときには、誰でもうつ状態になる。しかし、うつ病になるとは限らない。

 ここで、ややこしいのは、失恋や近親者の死がうつ病の引き金になるという事実があることである。

 うつ病は幸せのまっただなかにいる人が突然罹ることもある。会社で昇進してめでたいのに、うつ病になる人がいる。これを「昇進うつ病」という。

 なんの原因もないのにうつ病になる人がもっとも多い。原因不明に神経伝達物質の異常が脳内に起こるのである。

 また、不幸な体験に引き続いてうつ病になる人がいる。これまでの研究では、うつ病の原因(引き金)として、不幸体験が関係しているという研究結果もあるし、何にもないのにうつ病になるという報告もある。

 うつ病は、まだ明快には解明されていない病態である。

シュレッダー事故

2006-11-02 12:54:56 | Weblog
 子供がシュレッダーに手を挟まれて指を落としたという報道が多い。痛ましい事故である。

 このようなニュースに接するとき、私が知りたくなるのは、車や家のドアに挟まれて指を落とす子はどれくらいいるのかという情報である。

 たぶんシュレッダー事故より多いだろう。でも、数が多いとかえって報道されない。自宅の階段から足を踏み外して亡くなる人はそうとう多いという。それがいちいち報道されないのと同じ事である。

いじめ自殺

2006-11-01 18:09:32 | Weblog
 いじめを原因とする児童の自殺が多く報道されている。

 私も小学生のころ、いじめにあった。内緒話やシカトを受けた。でも、相手をぶん殴って、それで終わった。

 私は強気な子だったからよい。でも、弱気な子なら、どうするだろう。

 いじめを受けているとは、児童は親に絶対に言えないものだ。それを言うのは、夢精があったことを親に言うくらい恥ずかしいことなのだ。

 いじめが原因で自殺することはありうると思う。とくにメディアに出ると、自殺は流行する。

 今のところの報道は、いじめた子が悪い。それに気付かなかった教師が悪いという論調である。

 でも、それは少しずれている。自殺は、いじめ相手を完膚なきまでに叩きのめす最大の方法なのだ。

 今回、自殺した児童は、遺書にいじめた相手の名を書き残している。ものすごい復讐だ。

 名前を遺書に書き残された子は一生立ち直れないだろう。ひどい「逆いじめ」である。

 自殺は周囲の者に激しい禍根の情を起こさせる。自殺は最高級の復讐である・・・とはアメリカの精神科医サリヴァンも指摘している。