院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

太地町からのイルカ購入禁止問題に寄せて

2015-05-22 04:50:30 | 文化

(新江ノ島水族館のイルカショー。おでかけインフォより引用。)

 世界動物園水族館協会とやらの圧力で、日本の水族館が和歌山県太地町のイルカを購入できなくなった。動物愛護の「先進国」イギリスではイルカショーはもうやっていないらしい。

 精神医学史家H.エランベルジェによれば、動物園を考察するに当たり次の2点から距離を置かなくてはならないという。まず「擬人間化幻想」。これは、高貴なライオンが檻に入れられて辱めを受けているといった捉え方をする幻想である。つぎに「擬動物化幻想」。これはラットの欲求不満の研究から国際政治のあれこれを論じることができると考える幻想である。

 有史以前から部族長のコレクションとして動物園は存在した。アッシリア、バビロンなどの大帝国時代には、植物の繁茂した広い庭パラディソス(ペルシャ語)にいろんな珍しい動物が飼われて、動物は献上したりされたりする役目をもっていた。(ライオンと羊が同居していたパラディソスは、パラダイスの語源だとか。)

 中世ヨーロッパでは、王侯が動物園をもった。動物が分類されて檻に入れられるようになった。これをナメジュリーという。世界一のナメジュリーはルイ14世のもので、たいへんな壮麗さだったという。これは、もっぱら王侯とその取り巻きが楽しむためだけに存在した。

 フランス革命によってこのナメジュリー・ドゥ・ベルサイユは破壊された。人民にパンがないのに、動物の飼育なぞとんでもないということだ。破壊後、残った動物を自然史博物館を作って飼育しようという機運が生まれ、草案作りにピネルが名を連ねていたというのが興味深い。(ピネルとは精神病者を鎖から解放した人として、精神医学史上の超有名人である。)

 現代的動物園の発祥は19世紀のドイツにおいてである。動物園の見学者は王侯ではなく一般市民で、檻の代わりに深い濠が使われるようになった。これがいまの動物園に前身である。動物園は意外に古くからあったし、時代時代によって位置づけが大きく変わってきたことが分かる。

 世界動物園水族館協会は完全に「擬人化幻想」によって行動している。今回の圧力はやがて自己否定に繋がるだろう。野生では週に一回くらいしか獲物にありつけないライオンが、動物園では毎日エサを与えられてぶくぶく太っている。そのような状況に対する批判が遠からず出てくるはずだ。すでにフォアグラさえ批判されているのだから。

参考文献:H. エランベルジェ「動物園と精神病院」(エランベルジェ著作集2所収、みすず書房、1999.)


※今日、気にとまった短歌

  学歴は二行なりしも職歴は十指に足りずしわしわの甲 (静岡県)高尾善五


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。