院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

福岡・整形外科医院の火災に寄せて

2013-10-12 05:57:16 | 生活

msn産経ニュースより引用。)

 今回の整形外科医院の火災に限らず、都市で火災が起きるとどんな規模の火災でも消防車が一度に30台くらい駆けつける。

 消防車がそれだけ空いているということだろう。昔は木造の建物がほとんどだったから、大都市では火災は毎日のように起き、消防車はもっと忙しかったように記憶している。多くても消防車は5台くらいしか来なかったのではないか?

 私が名古屋市立の精神科診療所の所長として、新しくその建物を鉄筋に改築したとき、消防署に研修で呼ばれた。消防署の対応はソフトだったが、とにかく火災は消すより前に起こさないという強い意思を感じた。

 30年前のことで、世の中ではまだタバコ排斥運動はかすかにしか起こっていなった。それでも、火災の第一原因はタバコの火の不始末ではなく、放火だった。今でもそうだ。

 診療所が建ってからも消防署の実地検分があり、細部にわたって指導があった。建物の不燃化とともに、こうした火災を起こさないという姿勢が、今日の消防車の過剰を生んだのだろう。悪いことではない。

 今回の整形外科医院の火災での死者数は平成に入って最大だというが、新宿の雑居ビル火災で100人近く死んだのが、ついこの前のような気がする。気が付かなかったが、この25年間、大火事がなかったということだ。

 火事は俳句で冬の季語になっている。昔は火鉢や炬燵など、冬にはナマの火を使うことが多くなったからだ。今ではナマの火はコンロくらいにしか使わない。コンロは一年中使うから、火事が冬の季語だと言われてもピンとこない時代になった。

日記なぞ書かぬが健康

2013-09-07 05:00:09 | 生活


 中日新聞愛知県版の投書欄は、毎週金曜日は小中学生専用となる。大人の意見も子どもの意見も、似たり寄ったりの投書しか掲載されないから、なぜ子ども専用の日があるのか分からない。(大人の投書だって子ども並みの発想のものしか載せてもらえない。)

 それはさておき昨日は子供専用で、ある中学生の「日記を書くのは面倒になるが、頑張って続ける」との投書が掲載されていた。

 多くの人にとって毎日日記をつけるのは大変なことらしい。そして、日記を続けている人はいくらか尊敬されるようだ。

 ところが、日記を毎日つけるのは、私には病的な行為に思える。日記なぞ投げ出してしまうのが健康的な精神の持ち主である。

 実は私は学生時代から10年以上、毎日欠かさず日記をつけていた。途中ブランクがあって、40代からまた日記をつけ始め、これも10年以上続いた。

 わが身を振り返ってみると、日記をつけていた時期は精神的に危うい期間だった。「頑張って日記をつける」のではなく「精神的につらくて記録せざるをえない」から毎日続けていたのだと思う。

 今は健康的だから、私は日記をたまにつけるだけで、毎日は続けていない。いや、このブログを欠かさず続けているから、日記を書かずに済んでいるのかもしれない。もしかすると、ブログを何年も欠かさずに書くというのは、それ自体病的な行為かもしれない。

都会から見た田舎のイメージ

2013-09-04 05:20:59 | 生活
 小学校のころ、盆や正月にはみな里帰りをした。田舎のおじいさんおばあさんに会いに行くのだという。

 田舎には囲炉裏がある。冬だったら田舎には雪が積もっていて、かまくらなぞを作っている。



 教科書や図鑑には、都会の子どもたちが大きな荷物をもって、田舎のおじいさんおばあさん宅を訪問する図が出ていた。

 私は代々東京生まれで、祖父母も東京に住んでいた。だから田舎なんてない。訪れるべき田舎がある子どもたちを羨ましいと思った。

 長じてそれらの田舎は教科書や図鑑のステロタイプだと分かった。すべての田舎に囲炉裏があるわけでも、かまくらを作るわけでもないということが分かったころには、私は中学生になっていた。

カネを積まれてもやりたくない行動

2013-08-25 08:28:49 | 生活
 昨日『金を積まれても使いたくない日本語』を紹介したが、私には「金を積まれてもやりたくない行動」がある。それを列記しよう。

・電車には必ず出入り口に立っている人がいる。乗降客にとって邪魔で仕方がない。他の場所が空いていても、そこに立っているのだ。彼らはどうもその場所が大好きなようである。(つまり、私は電車の出入り口に立ちたくない。)

・男性老人の野球帽が見苦しいとは、前にこの欄に書いた。中には外食の店でも、野球帽をとらない老人がいる。さらに、結構高い寿司屋のカウンターでも帽子をとらない老人がいる。並んで食べていると寿司おいしくない。(つまり、私は老いても野球帽をかぶりたくない。かぶっても室内では脱ぎたい。)

・初対面の人に対してマスクを外さない人がいる。昔、地域の保健師がかかえている患者さんが、ちょうど私の担当で、その患者さんについて情報が欲しいとその保健師が面会を求めてきた。私は時間を約束してその保健師と会ったが、彼女は終始マスクをとらなかった。こちらから「外せ」とは言いにくかった。そのため、次回の面会は断った。(つまり、私は人と会うときにはマスクを外したい。)


(画像と記事とは関係ありません。)

(患者さんにも診察室でマスクを外さない人がいる。表情を見るのは診察の第一歩だから、「外してくれ」と言う。内科でもそのような患者さんが多いらしく、いちいち言うのがストレスになり内科医が困っている。)

「イクメン」を考える

2013-07-23 04:26:17 | 生活
 オリンピック代表を選ぶとき、各国がその国でもっとも優れた選手を選ぶ。これは当然すぎるほど当然のことであって、不公平だから民主的にクジで選ぼうなぞと主張する者はいない。そんなことをしていては、オリンピックに勝てない。

 各家庭にも同じことが言える。もっとも稼ぎが多い者を外に出すのが合理的である。あとの家族は稼ぎ頭が外で活躍しやすいように、銃後を固めればよい。

 少なくとも昔は、稼ぎ頭は「お父さん」であって、「お父さん」が外で働きやすいように家族(主に妻)は気を配った。

 ところが最近、夫も育児や家事を分担すべきだという声が高まってきて、「イクメン」なぞという言葉ができた。「イクメン」は外で効率的に稼げるのだろうか?私だったら「イクメン」をやりながら、競争相手と対等に渡り合える自信はない。

 もっとも、これまで能力ある女性が不当に差別されてきたことは事実である。

 このブログによく登場する(私が最初に勤めた病院の)院長(故人)は大変できる人で、私は彼から多くを学んだ。彼はいち早く病院にコンピュータを導入し、給与計算やレセプト発行をコンピュータ化した。こういうところが、彼ができると言われたゆえんだ。

 そのできる院長が、コンピュータ会社から女性のSEが派遣されてきたとき、コンピュータ会社に文句を言って女性を男性に換えさせた。女を派遣してくるなんて馬鹿にしている・・と院長は思ったのだ。これは明らかに差別であるが、私は院長の気持ちが分からぬではなかった。

 さすがに現在、こうした差別は少なくなったけれども、振り子が逆に振れて、夫の方が稼ぎが多いのに「イクメン」をやらせる家庭がある。それが民主的で平等だという。しかしながらこれは悪平等で、夫という資源を浪費することに他ならない。

 もっとも、妻が外に出たほうが稼ぎが多い家庭は、言うまでもなく夫が「イクメン」をやるべきであるが。

私の床屋嫌い

2013-06-20 04:36:08 | 生活
 私が子どもの頃、多動児だったことはいつぞや述べた。教室で隣りの子にちょっかいを出したり、話しかけたりして、教師からしょっちゅう叩かれたり廊下に立たされたりしていた。

 今で言えば体罰だが、教師が根っから私を憎んでいるわけではないと分かっていたから、現在、教師に恨みはない。

 廊下に立たされるのは、猛烈に恥ずかしかった。誰かが通りかかると、物陰に体をずらしたりしていた。恥をかかされることのダメージは、叩かれる痛さよりも大きかった。

 廊下にまで出されたのは、私だけだった。廊下に出すということは、授業を受けさせないということで、今なら大問題になるところだ。でも、私は授業を受けなくても常にクラスで一番だったので、教師も安心して私を廊下に出したのだろう。

 あるときクラスメートの男子が私が行きつけの床屋に居た。彼がほとんど動かないことに私は驚嘆した。私ならもじもじして、あんなにじっとしていることはできない。すごい根性だと思った。

 そのころ達磨大師が洞窟で何年も座禅をして、ついに足がなくなってしまったという話を聞いて、私は戦慄を覚えた。そんなに動かないとは、死刑にされるよりもつらいではないか。

 床屋で動かないクラスメートは、もしかしたら達磨大師のような偉人なのかもしれないと思った。

 同じころ、キリスト教だか仏教だか忘れたが、「無言の行」というものがあると聞かされた。これも私には信じられないことだった。一日中、なにもしゃべってはいけないなんて、拷問みたいじゃないか。

 多動児の片鱗が残っているのだろうか、私は今でも床屋が嫌いである。客商売をしているから、定期的な散髪は欠かさないが、毎回、清水の舞台から飛び降りるようなつもりで床屋の門をくぐっているのだ。

喫茶店とカフェ

2013-05-25 04:24:51 | 生活
 喫茶店のことをカフェと呼ぶようになった。しかし、両者は同じものではない。

 飲食店の中で喫茶店が占める割合が、一番多いのは名古屋だそうだ。長年、名古屋に住んだが、確かに東京よりも名古屋のほうに喫茶店が多い印象がある。

 喫茶店が大都市に多いのは、喫茶店が応接間代わりに使用されるからだ。喫茶店で商談や交渉事が行われることも多かった。勉強をしている学生もいた。つまり、コーヒーの値段は場所代だったのである。コーヒー一杯で、いつまでもねばっても追い出されることはなかった。

 ところがカフェは違う。カフェはあくまでもコーヒーを飲むところで、応接間代わりには使えない。椅子も深く腰掛けられるものではなく、ちょこん乗るだけの椅子が多い。人の出入りが激しく回転が速くて、おちついて勉強なぞできないようになっている。

 市民の住宅事情がよくなって、応接間代わりの喫茶店を必要としなくなったのだろうか?喫茶店がもっとも流行した昭和40年代よりは、住宅事情はよくなっただろう。だが、現在ではマンションが多くなり、その割に応接間がついたマンションというのはきわめて少ない。

 みんな商談や交渉事をどこでやるようになったのだろうか?私の場合、不動産の取引は不動産屋の事務所で行った。街の小さな不動産屋がなくなって、チェーンの大きな不動産屋に置き換わった。チェーンの不動産屋は事務所に応接室をもっていた。

 喫茶店で商談を行うような小規模な事業者が激減して、みなチェーン店に置き換わった。そのため、喫茶店も淘汰されて、カフェが繁盛するようになったのではあるまいか?

 現在でも名古屋は喫茶店が多いのだろうか?名古屋を離れて20年になるので、詳しいことは分からない。

イカ釣り漁船一斉休漁への疑問

2013-04-27 00:03:25 | 生活
 全国のイカ釣り漁船が一斉休漁に入ったとのテレビ報道を見て、一視聴者としてもった素朴な疑問について以下に書く。

 漁業は世襲の独占企業であると先日書いた。この認識自体が間違っているのかもしれないが、素人考えとして割り引いて見てほしい。

(1)円安で石油価格が高騰して、漁に出ても赤字がかさむだけだから休漁すると漁師は言う。どれだけ高騰して、どれだけ利益が減るのかが示されていない。あるマスコミは「子どもの学費も出せない」という漁師の嘆きを伝えていたが、情に訴えるのではなく、データを示せ。

(2)休漁できるということは、その間、もっと格安の漁船が漁場に入ってこない確信があるからではないか?競争相手がいれば、仕事を休むことは安易にできるものではない。こういうところに独占企業としての漁業のうまみというか、甘さがあるのではないか?

(3)各漁師が赤字だからの勝手に休漁するなら分かる。なぜ、一斉休漁なのだろうか?それはおそらくデモンストレーションである。デモをしても石油価格が下がるわけはないから、保障を求めてのことだと思われる。実際、農相が保障に言及している。(漁業でない普通の企業が経営不振だからとデモをしても、保障なんて絶対に出ない。)

(4)独占企業だから漁業は儲かるときには大儲けができるだろう。大儲けしたときには黙っていて、そうでないときだけ自己主張するのだろうか?

(農家に嫁が来ないのは農業が3Kの仕事だからではなく、補償金漬けだからだとは、いつぞや書いた。漁師も農家と同じ轍を踏むのだろうか?)

その昔、訪問は突然だった

2013-04-25 02:48:00 | 生活
 最近、携帯電話をかける前に、電話をしてよいかと相手にメールを送る人がいる。そこまでやらなくてもという意見があるが、私はやるべきだと思う。

 現在では自宅なり勤め先なりに訪問するときには事前に知らせておくのが普通だ。いきなり訪問しても、相手が忙しかったり不在だったりするからだ。

 私の幼少期には電話の普及率は50%くらいだった。だから、来訪者は前触れもなく突然現れた。隣りの都市くらいの距離ならば、伯父さんも叔母さんも父親の友人も突然に来た。突然に来て「やあやあ、お久しぶり」と互いになんの違和感もなかった。

 電話は無いし手紙で予告するような距離ではない。だから、突然訪問するよりなかった。

 むろん行商人は突然来た。中には押し売りも混じっていて、ひどく迷惑した。中元歳暮は自ら足を運んで直接相手先に届けた。正月には年始回りというのがあって、手土産をもって上役宅を挨拶に訪れた。

 上役は、まあ寄っていけ、酒と肴があるぞと家に上げた。そこでひとしきり呑んで、下役は別の家に回った。上役は別の下役が来るのに備えて、料理と酒を追加した。

 だが、そのとき皆がうすうす面倒だなと感じていたに違いない。リゾートが庶民にも手が届くようになると、上役は正月には家族でスキーなどに行くようになった。正月くらい家族団欒を楽しみたいという理由だったが、真相は年始回りの接待のわずらわしさから逃げたのだ。正月は上役が旅行に出てしまうので、下役も年始回りの面倒から解放された。

 こうして、同じ会社の社員同士でも互いの家を行き来することが激減した。訪問するときには、あらかじめ電話をするのが礼儀となった。今では、それで丸く収まっている。

 携帯電話は時と場所をかまわずにベルが鳴る。その上10回鳴るまでに出なくてはならない。こちらの事情なぞおかまいなしである。そういう時代になったのだ。

 だったら、携帯電話をかける前にメールで知らせておいたほうがよい。それで丸く収まる。丸く収めるべきなのが浮世の付き合いというもので、それは今も昔も変わりがないのである。

漁業者の世襲と保護

2013-04-16 01:46:12 | 生活
 国家免許には業務独占というのと名称独占というのがある。業務独占の免許には、その免許保持者しか行ってはいけない業務がある。例えば採血は、医師と看護師と臨床検査技師にしか許されていない。レントゲン技師にも理学療法士にも採血を行う権限はない。

 一方、名称独占で有名な資格に保育士がある。保育士は子どもを集めて世話をする仕事である。でも、近所のおばあさんが勝手に子どもを集めて、有料で保育をすることは許されている。ただし、おばあさんは保育士を名乗って仕事をしてはならない。これが名称独占ということである。

 その海域で漁業をしてよいのは漁協の組合員に限られる。それ以外の者が同海域で漁業をすると密漁になる。だから、漁協は組合員の業務独占を保証している。漁業は農業ほど高齢化していない。漁師の若い子弟が次々と漁業に参入してくる。

 新しい漁協のメンバーは既存のメンバーによって投票で選ばれる。でも、選ばれるのは漁協メンバーの子弟だけで、よそ者が選ばれることはない。要するに、漁業は業務独占の世襲である。農業のほうには、こうした特典はない。

 これは、おいしい話ではないか?なんの国家試験を受けなくても、漁業の業務独占が世襲によって決まるのである。

 「就農」を考える人がいる。今後、「就漁」の希望者が出てきたら、既存の漁業者がどんな反応をするか、いまから興味を寄せているところである。

人品骨柄

2013-04-13 00:17:14 | 生活
 2012-09-26 のこの欄で「人は見かけによる」と述べた。金髪入れ墨の男は93%はロクでもない奴である。茶髪ピアスの男も程度は軽いが同類である。茶髪ピアスには1時間で変身することができる。逆に1時間で茶髪ピアスから普通の姿に戻ることもできる。

 俗に「人品骨柄」という。こればかりは1時間で変身することはできない。人品骨柄を磨くには何十年とかかる。

 昔の旅籠の女将は、客に対して「いらっしゃいませ」と畳に額を擦り付けて、そこから顔を上げるまでの間に客の人品骨柄を見抜いた。見る人が見れば人品骨柄は一発で分かってしまうものである。

 どこかの国の経済産業大臣の人品骨柄はどうだろうか?演説姿では分かりにくいが、普通の会話をすると一発で分かってしまう。今後、馬脚をあらわさないように願っている。

睡眠時間の個人差

2013-04-10 05:04:26 | 生活
 成人の妥当な睡眠時間は8時間程度とされているけれども、じつは睡眠時間には個人差があって、一概には言えない。

 長時間睡眠者と呼ばれる人は10時間以上の睡眠が必要で、それ以下だと睡眠不足になる。

 一方、短時間睡眠者は中には3時間で済んでしまう人がいる。ナポレオンがそれで、ナポレオンが3時間しか眠らなかったというのは必ずしも誇張ではない。

 短時間睡眠者には社会的活動が非常に高い人がいる。そのような人は現代社会の働きカルチャーの中で、仕事ができる人として抜群のパフォーマンスを見せることができる。

 私は平均的な睡眠者だが、妻は長時間睡眠者である。だから、私が遅くまで起きていたり、朝早くからごそごそやると、妻の怒声が飛んでくることになる。

国旗の掲揚

2013-03-18 05:00:41 | 生活
 官公庁が国民の祝日には日の丸を掲揚していることに気付いている人は多いだろう。

 私の祖父(明治生まれ)の時代には、官公庁のみならず各家庭が家々に日の丸を掲揚していた。それは、ごく当たり前の風景だった。

 父(大正生まれ)の時代になると、日の丸を掲揚しなくなった。隣近所が掲揚していないのに、自分の家だけ掲揚するのは憚られた。

 日の丸君が代問題がやかましく言われたころで、そんな中、あえて日の丸を掲揚すると、主義主張があるように思われるのが嫌だったのだろう。

 こうして、家々は日の丸を掲揚しなくなった。それに拍車をかけたのが、集合住宅の繁栄である。マンションには日の丸を掲揚するべき門がない。

 日の丸を掲揚しなくなっても、一戸建ての家にはまだ鯉のぼりなら揚げる家があった。今でも地方では鯉のぼりが揚げられている。

 だが、名古屋ではやがて鯉のぼりも揚げられなくなった。それは、鯉のぼりが流行遅れということではなく、若い夫婦が一戸建てに住めなくなり、一戸建ての家には老夫婦だけが住むようになって、子どもがいなくなったからである。次は当時の私の俳句である。

   この町につひに幟を見なくなる  昭和63年ころの拙句

 幟(のぼり)とは俳句では鯉のぼりのことを指す。

 今、日の丸を見ることができるのは、外国の要人が来日したときに日本の児童が振る小旗くらいになってしまった。(あるいは右翼の街宣車の車体に描いてある。変に日の丸を掲げると右翼と間違えられる可能性がある。)

 かなりのイタリアレストランがイタリア国旗を店頭に掲げている。海外の日本食レストランは日の丸を掲げているだろうか?

 各家庭で日の丸を持っている人がどれだけいるだろうか?私は日の丸を持っていない。デパートなら日の丸は風呂敷売り場にあると聞いたが、そもそも現在、風呂敷売り場という売り場があるのだろうか?

歯磨きの奨励を疑う

2013-03-07 00:10:05 | 生活
 私が子どものころから歯磨きは奨励されていた。歯を磨かないと虫歯になるというので、一生懸命に磨いた。

 小学校には屋根に人が乗れる選挙カーのような車が来て、指導員が入れ歯を大きくしたような模型をもって、歯の磨き方を教えた。そのころから、歯は横に磨くのではなく、縦に磨けと教わった。横だと歯の隙間に歯ブラシが届かないというのだ。

 なるほどと思って、そのように磨いた。そのうちに、朝だけではなく夜寝る前にも磨けと奨励されるようになったから、そのようにした。やがて、毎食後に磨けと言われるようになった。

 だが、小学校の時にすでに私には虫歯があった。たぶん歯の磨き方が悪いのだろうと自分で思った。おりしもライオン歯磨き株式会社が、食後30分以内に毎食後磨けとCMで言い出した。テレビには歯ブラシに歯磨き粉を4cmくらい付ける様子が映っていた。さすがにこの時、私はライオン歯磨き株式会社が歯磨き粉をたくさん使わせる策略ではないかと思った。

 そのうちにまた歯の磨き方が変わった。縦に磨くのではなく、横に細かく振動させよというのだ。だから、そのようにした。磨き方だけではなく、歯ブラシの毛先が変わって、前のよりこの歯ブラシがよいと宣伝されるようになった。歯磨き粉も変わった。塩入りとか薬用歯磨きとか3種類の色の歯磨き粉が出るチューブとかが発表されたが、全部消えていった。

 それでも、私の虫歯の増加は変わらなかった。ほかの子どもたちの虫歯も減らなかった。ただ、歯の健康優良児を表彰する制度があった。彼らは虫歯が一本もない。彼らはさぞ一生懸命に歯を磨いているのだろうな、と私は思った。

 あれだけ歯を磨いて何十年がたった現在、私には無傷な歯のほうが少ない。友人も同じである。ただ歯の健康優良児だった友人は、未だに一本も虫歯がない。これはどういうことだろうか?

 分かったことは、歯の健康優良児には口腔内に虫歯菌がいないということだった。虫歯菌が口の中に常在するようになると、もう取れなくなるのだという。別に歯の健康優良児の歯磨きの仕方が特別に優れていたわけではないのだ。

 子どものころから歯を磨き続けて、このありさまである。ということは、もし歯磨きをしなかったら、もっとぼろぼろになっていたのだろうか??証拠はないが、どうも虫歯の進行と歯磨きとはあまり関係がないような気がする。だから、これほど丹念に歯磨きをしなくて虫歯になったのではないか?

 虫歯予防デーまで設けて、国を挙げて歯磨きを奨励してきたのは一体なんだったのだろうか?

 今、電動歯ブラシのほうが手動の歯ブラシより歯垢がよく落ちると宣伝している。何十年も磨いてきたのに虫歯になった人たちに、手動の歯ブラシよりも電動歯ブラシのほうが優れていると、今後さらに歯を磨き続けさせるつもりだろうか??人間とは、そこまでやるものだろうか?

カレンダーの31日の日曜日

2013-03-01 00:02:44 | 生活
 週ごとに改行があるオーソドックスなカレンダー以外に、横一列のもの縦一列のものなど、カレンダーのデザインは多彩である。

 横一列縦一列のカレンダーは、書き込みには便利だが、一週間後が一発では分からないので、少し不便な感じがする。

 オーソドックスなカレンダーでも、月曜日から始まる製品があり、これは極めて不便である。独りよがりなデザイン性を導入したために、実用に耐えないようなカレンダーになってしまった。

 従来の日曜日から始まるカレンダーでも、不思議に思うことがある。

 それは31日が日曜日になった場合である。31日の日曜日が、前回の24日の日曜日の欄に入れられ、斜線の下に小さく書かれている。なぜ、もう一行増やさないのだろうか?紙のスペースを節約しているのだろうか?

 とにかく、小さく書かれた31日の日曜日は、つい見落としがちである。そうか、今月は31日まであって、それが日曜日なのだなと気付くのに、少しだけだがエネルギーを要する。

 カレンダーは美術品というよりも実用品である。だったら、31日の日曜日を特別扱いして、見にくくすべきではない。

 31日の日曜日をまるでオマケのように矮小化するこの習慣は、私が知る限りでももう50年以上続いている。だれも咎める人がいないから、私がここで咎めておく。