大分県議会議員・なかの哲朗です(^_^)

大分県議会議員の中野哲朗です。
誠心誠意、全身全霊をかけてがんばります👊

市議会の大先輩を悼む

2022-11-10 23:14:03 | 日記
令和4年11月10日(木曜日)

昨日の大分合同新聞の記事「中野氏が出馬へ 県議選日田市選挙区」をご覧になられた方々から、激励を賜り、ますます頑張らなければならないとの想いを強くいたしました。頑張ります。

午前中は貴重なお話を聞く機会をいただき、午後は酒井喜親元県議の葬儀に参列しました。

私が最初に酒井さんを存じ上げたのは、昭和62年4月、11歳の頃。私の父が初めて市議会に挑戦した時、酒井さんは2期目を目指す日本社会党公認の若きエースで、ともに39歳で立候補した選挙でした(ちなみに、父は自民党推薦でした)。定数28のうち、酒井さんは1,871票で4位当選、父は1,604票で5位当選でした。



酒井さんと父は、日田商業高校(現 藤蔭高校)の卒業生であり、一緒に柔道部で汗を流した先輩後輩でした(酒井さんが1学年先輩)。議員としても、酒井さんが1期先輩です。以後16年間、市議会でともに活動する中で、様々な出来事があったことを、折に触れて父から聞きました。協調したり、喧嘩したり。今よりも、相当に躍動感のある議会だったと思います。

父は平成15年に政治の世界から身を引くこととなりましたが、酒井さんは平成19年から2期8年間、県議会議員を務められました。平成25年11月に、父が日田市政功労者として表彰された日、ケーキを手にされて、我が家にお祝いに来てくださったことを忘れません。

酒井さんが県議会議員を引退された平成27年に、私は市議会議員となり、政治家同士としての交流を持つ機会はありませんでした。もとより、酒井さんは、私を議員としてではなく、父の息子として接してくださった気がします。日田ライオンズクラブでもお世話になりました。

酒井さんの日田ライオンズクラブ会長時代は、コロナの影響で例会が開きにくく、また、私も議会の仕事が多忙を極めて、ライオンズの活動から遠ざかっていました。市役所1階フロア階段撤去の予算を2回続けて減額修正した直後の令和2年12月末、用事があって事務局に顔を出すと、酒井会長がいらっしゃいました。「あんたは、総務委員長で骨折ったね」と声を掛けてくださり、その顛末を報告したのが、最後の会話となりました。

夕方、父と一緒に食事をしながら、酒井さんの思い出話をしました。

酒井さんの市議会議員4期目の選挙となる平成7年の選挙公報には、
『喜びのある生活
  親しみのある政治
 さかいは、がんばります。』
と書かれていました。



保守とか革新とかに関わらず、政治の目指すところだと思います。ご冥福を心からお祈り申し上げます。