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ウォーナー塔

2016-05-05 14:56:41 | 日記
西大門を出て、北へ向かう。
とりあえずウォーナー塔を捜す。
これか?塔というから別のものを創造していた。
でもこれってそういえば安倍文殊院でも見たような気がします。
ウォーナー?
アメリカの美術学者ウォーナー博士。
そしてこの塔は顕彰碑。
お墓ではなさそうである。
先の太平洋戦争中、奈良・京都を空爆しないよう米軍を説得して、古都を戦禍から守った恩人といわれてきた人物である。
この話は、戦後すぐマスコミを通じて全国に広がり、1955年彼が死去すると、政府は外国人への最高の栄誉である勲二等瑞宝章を授与、奈良県議会では弔文決議、全国6か所に顕彰碑が建てられた。
1994年になって、アメリカは戦争中の機密文書を公開したことで、この「伝説」は戦後GHQの占領政策として作られた「つくり話」(日本人に親米感情を持たせるため)であったことがはっきりした。
京都は原爆投下目標都市であったため通常の爆撃は禁止されており、奈良・鎌倉は小都市であったため爆撃は遅い方にリストアップされていた。
京都への原爆も、奈良などへの空爆も、実行前に日本の降伏で戦争が終わった、これが歴史の真実だった。
全国にウォーナー碑が6か所もある。
一人の記念碑が6か所もあるのは極めて珍しい。
法隆寺境内(1958)、細川護立(文化財保護委員)、梅原末治(京大教授)らが中心になって建立。
碑文には「奈良・京都を戦禍より救うため、献身的に努力されたことは、博士自身の否定にもかかわらず疑う余地のない事実である」と書かれている。
ウォーナーが否定していたことを明確にしている点が注目される。
右側の石塔は右側にあるのは、明治時代の法隆寺研究家、平子鐸嶺、1877-1911、氏の墓です。

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