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大谷智子御裏方御手植

2014-06-06 21:40:16 | 日記

境内に大谷智子御裏方御手植の立て札がある。
大谷智子御裏方とは?
ちょっと調べてみました。

大谷智子(1906年(明治39年)9月1日-1989年(平成元年)11月15日)は、日本の元皇族で、旧名は智子女王。
香淳皇后の妹。
お印は萩。
東本願寺第24世法主・大谷光暢の妻。
東本願寺裏方。
院号は歌徳院。
法名は如智禅尼。
旧姓名 久邇宮智子女王。
新姓名大谷智子。
降嫁。
1906年(明治39年)9月1日、久邇宮邦彦王の第三王女として東京で生まれ、学習院初等科を卒業。
浄土真宗の宗祖親鸞の末裔で東本願寺の住職を世襲した大谷家(伯爵家)の法嗣(法主後継者)・大谷光暢と婚約したことから12歳で京都へ移り、京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)を卒業後、 1924年(大正13年)5月3日、大谷家に降嫁した。
仏教精神に基づく女子教育を願い、1939年(昭和14年)に光華女子学園を創設し、総裁に就任。
さらに、大谷婦人会会長や全日本仏教婦人連盟初代会長を務め、また、合唱グループ「大谷楽苑」を結成し、仏教音楽の普及にも尽力した。
また、大谷家と改革派の主導する真宗大谷派内局とに生じた紛争(お東騒動)においては、一貫して四男・大谷暢道(のちの大谷光道)を支持し、この紛争に重要な影響を与えたともいわれる。
1989年(平成元年)11月15日、病の為に逝去。
享年84(満83歳没)。


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