独占インタビューに成功!伝説の長戸大幸プロデューサーが語る坂井泉水の真実

2016-07-23 02:56:37 | ZARD
http://entertainmentstation.jp/36195/3/

独占インタビューに成功!伝説の長戸大幸プロデューサーが語る坂井泉水の真実
2016/07/22



評論家・小貫信昭氏が評価する長戸大幸氏の絶妙なプロデュース・ワーク ~ZARDが残した作品が私たちの胸に生き続けていることに感謝したい~

特別寄稿 / 小貫信昭

今回、エンタメステーションは長戸氏のインタビューに成功した。「成功した」なんて書くと、大袈裟に思うかもしれないが、まさに画期的なことである。プロデューサーという立場をとり、しかもマスコミに対して雄弁な人も居るけど、一切そうしたこととは距離を置いてきたのが長戸氏である。

なぜだろう。理由は明快かもしれない。伝えたいことはすべて作品に込める…。そう、そんな矜持を胸に、制作に携わっているからではなかろうか。だからこそ貴重な今回のインタビュー。さっそく読ませて頂いた。初めて知ったことが多く、J-POP史を編纂する人間にとっても貴重な資料となるだろう。

ZARD以外のアーティストにも言及した内容であり、アーティストの“育て方”に一定のノウハウなどないことが分かったし、かといってそれは“閃き”や“勘”とも違うものであることも伝わってきた。このあたりはわたしが解説するのもヤボである。インタビューをお読み頂きたい。

個人的に僕は、長戸氏の“ポップ観”が垣間見られた、こんな発言に注目した。ZARDをプロデュースするにあたっての、この部分だ。

当初からずっと髪型を変えず、流行を意識しない服装、メイクも薄く、ピアスもイアリングも出来るだけ付けず、部屋着のような服装にして、親近感を持たせようと考えました。

非常に勇気がいることだ。特に女性ア-ティストの場合、メイクの細部ひとつが膨大な情報量として受け手に届く。なのでみんな「時流=モード」に乗ろうとするが、それとは真逆と受け取れる発想だ。

実は今回の特集の一回目、[ZARDデビュー25周年記念特集【THE POP STANDARD】 vol.1]の際に寄稿させて頂いた拙文で、わたしはこんなことを書いた。「推理小説の女王・アガサ・クリスティは、登場人物が纏う洋服のモ-ドを、あえて具体的にはしなかったという。なので彼女の小説は、いまも読み継がれている。坂井泉水の作風にも似たところを感じる」。

これは坂井泉水の作詞に関しての指摘だったけど、長戸氏のプロデュース・ワークの根っこにも、同質のものがあるのではと察した。さらに長戸氏は、一枚のアーティスト写真を世に送り出すときも、「女性を敵に回したくなかった」と、細心の注意を払って写真を選んでいたという。

いわば「不特定多数に届かすための具体的な方策」とでもいえるものだろう。「不特定多数」と「具体的」の二語は矛盾するようだけど、そんな難題を、ひとつづつクリアしていくプロデュースが、このア-ティストで成されていったことがわかる。

結果、彼女が“美人”だとしても、それはまず「記号」として、作品を邪魔しないものとして届いた。歌の主人公をボーカリストが“演じる”という煩わしさを超越したところで、彼女はZARDとして在り続けることが出来たのだ。



さてもう一点、今回インタビューを読ませて頂いて、個人的に注目した部分を引用させて欲しい。

僕は50年代、60年代、70年代のドーナツ盤のコレクターで、そこに関しては日本随一かもと自負している。あまりの数のコレクションに財団法人(ポップスレコード研究会)まで作ってしまった位です。そのためヒット曲の琴線に触れる感覚を感じていて、それが自分の中に構築されているんだと思います。

わたしは長戸氏がドーナツ盤のコレクタ-であることを知らなかった。でもドーナツ盤のコレクターとは真のコレクターである。なぜなら世の中には、アルバムには収録されていない曲が五万と存在するからである。特にポップ・ミュージックは、ティーンエイジャーにも安価で手に入るドーナツ盤により発展してきた……、と、この話をさらに続けたいが、ZARD特集の一環なので本題に戻す。

今回、改めて彼女の代表曲を聴き直して、50~60年代のポップなエッセンスを受け継いだ曲調やサウンドが多いことに気づいた。でもそれは、まさに長戸氏が“ヒット曲の琴線”をよく知る人物ゆえのことだったのだろう。一朝一夕にすばらしい音楽など作れない。いい音楽を作っている人というのは、誰でもル-ツを大切にしている。改めてこのことに触れることが出来たのも、このインタビュ-の大きな意義だったのではと思う。



ZARDが残した歌の数々は、今も口ずさみたくなるものが多い。いや実際に、この文章を書いている今も、様々な場所で口ずさんでいる人がいるのだろうし、もしそれを“ビッグ・データ”のようなもので集計できたら、凄まじい数だろう。

野外フェスに大観衆が集まるのもすばらしいが、どこかで誰かがきっと“口ずさんでいる”と思うときの心の連帯というか、それはどんな会場のキャパをも越える。そんな作品群がいま、私たちの胸に生きつづけていることに感謝したい。

いや……。こう書いておいてなんだけど、もともとロック指向が強かったと聞く坂井泉水のことである。もし彼女が生きていたら、ZARDで野外のロック・フェスに、髪を振り乱し、どんどん参戦していたのかもしれない。

独占インタビューに成功!伝説の長戸大幸プロデューサーが語る坂井泉水の真実

2016-07-23 02:50:02 | ZARD
http://entertainmentstation.jp/36195/2/

独占インタビューに成功!伝説の長戸大幸プロデューサーが語る坂井泉水の真実
2016/07/22

メロディに合う言葉を持ってくるのは、舌をまくほど感性豊かでした

— 坂井さんの、アーティストとしての才能、長戸さんが最も評価されているのはどこですか?

メロディに合う言葉を持ってくるのは、本当にこちらが舌をまくほど、感性豊かでした。一回聴いただけで口ずさめる歌とでもいうか、彼女の歌詞のおかげで人気曲をたくさん輩出出来たと思っています。また、最初に決めたコンセプト(髪型、メイク、ファッション)を変更しないで守り続けたところは素晴らしい、と……。

— ジャケットを含め、坂井さんのビジュアルワークで一番こだわられたことはありますか?

先ほども話したように、女性を敵に回さないような写真や映像を出すように意識していました。亡くなってから、綺麗な写真やセクシーな写真も出していったので、「ああこんなに綺麗な人だったのか」と思った人が多いんじゃないですか。



— そして、ライブを本格的にやるにあたり、長戸さんが考えたこと。そして実際のパフォーマンスを観て、更に長戸さんはどんな印象を持たれましたか?

CDではあまり歌が上手いと思われないもの(ヘタウマ)を選んでいたので、ライブであんなに歌が上手いと皆さん思ってなかったんじゃないでしょうか。ライブはCDに忠実にやろうと思いました。アーティストの中にはライブとCDが違う人もいるけど、ZARDはCDを再現するようなライブにしたかったので、ステージでも坂井は動かなかった。

内容が非常に良かったので、2006年のベストが出た次の年にライブをやる予定で進めていたんだけど・・・。坂井泉水の急逝があって。しかし、メディアを始め、各方面や関係者、ファンの方からも、ぜひ何かをやってほしい、という声が沢山上がり、結果として追悼という形で、彼女の歌声、姿をバンドの演奏で届けていく、というスタイルでのライブ『What a beautiful memory』を開始することになったんです。

— 坂井さんの訃報に接したとき、もしくはその前後の長戸さんは? どんなお気持ちでしたか?

もちろん病気の心配をしていましたが、亡くなる2〜3日前に彼女が電話でレコーディングの話をしていたので、すごくびっくりした記憶があります。

— 改めて、ジャパニーズポップスシーンにおけるZARDを、どう評価されますか?

ごく普通の人が「歌ってみたい」「歌ってみよう」と思ってくださったのではないか、と思っています。歌というものを広く普及させる、という時代の流れの一部に居させていただけたかなと。先ほども歌詞のところで触れたように、メロディと言葉の一体感、特にサビ始まりや目立つ所にタイトルが入ることで、より多くの人に覚えてもらえたのではないか、と考えています。

— もし仮に現在も坂井さんが生きていたら、次はどんな曲を制作したいですか?

ダンサブルなロックをやりたい。5月にd-project with ZARDをリリースしましたが、あれはd-projectがZARDの曲、坂井泉水の歌声を使って、新しく蘇らせたらどうなるか、という作品でした。生前、大黒摩季とは仲が良く、本当に一緒にステージに立たせたかったけど、ちょうどタイミングを逃してしまった。これは一つの夢でもあったのですが。



— 長戸さんは、ご自身のことを伝説のプロデューサー、名プロデューサーと呼ばれることについて、どう思われますか?

僕は50年代、60年代、70年代のドーナツ盤のコレクターで、そこに関しては日本随一かもと自負している。あまりの数のコレクションに財団法人(ポップスレコード研究会)まで作ってしまった位です。そのためヒット曲の琴線に触れる感覚を感じていて、それが自分の中に構築されているんだと思います。もともとバンド上がりで、作曲家も編曲家もやり、マネージャーも経験があるし、この業界に入る前には洋服屋をやっていたこともあった。じゃあ、色々な人と一緒に音楽制作会社をやったらどうなるかということで始めたのが、78年に設立したビーイングでした。でも、決して順風満帆ではなくて。ようやく90年に入ってB’zの大躍進が始まった。そしてB.B.クィーンズ「おどるポンポコリン」の 大ヒットによって、色々な音楽の仕事が来てそれを全部引き受けるつもりで突き進んで行った。今も新人アーティストを出すべく、みんなで色々切磋琢磨している状況です。これらは自分だけではなく、音楽を作ってくれるアーティスト、ミュージシャン、作家、スタッフのおかげだと思います。なかなかこう言う話をする機会はないけど……。

— 90年代は様々なプロデューサーがヒット作品を輩出しました。小室哲哉さん、小林武史さん、つんくさん、等々。長戸さんのプロデュース手法と彼らの違いはあるのでしょうか?

僕は、小室さんも、つんくさんもよく知っているけど、音楽のしっかりしたバックボーンがあって、本当に音楽に詳しい。小林さんも含めて皆さん音楽のルーツをよく知っていて、それを上手く表現していると思います。そういう意味では先ほど話したように僕も音楽のコレクターだから、プロデュースとしての本質は一緒だと思う。強いて言うなら、彼らはアーティストもやっていて表舞台に出ているけど、僕は裏方だから、そこが違うかな。

— 今日は大変興味深いお話をお聞かせ頂き、どうもありがとうございました。

独占インタビューに成功!伝説の長戸大幸プロデューサーが語る坂井泉水の真実

2016-07-23 02:46:42 | ZARD
http://entertainmentstation.jp/36195/

ZARDデビュー25周年記念特集【THE POP STANDARD】 vol.7(最終回)

独占インタビューに成功!伝説の長戸大幸プロデューサーが語る坂井泉水の真実
2016/07/22

ZARD特集最終回は知る人ぞ知る名プロデューサー、長戸大幸氏の画期的な独占インタビューをご紹介したい。ZARDはもちろんのことB’z、大黒摩季をはじめ、彼が世に送り出したアーティストは日本の音楽シーンを変えた。日頃から全くメディアに全く登場しない長戸氏の極めて貴重かつ説得力溢れるアーティスト論、プロデュース論をお届けする。

インタビュー / エンタメステーション編集部



流行を意識しない髪型や服装、メイクも薄く、部屋着のような服装で親近感を持たせようと考えました

— 初めて坂井泉水さんにお会いした時の印象は? どのようなデビュープロデュースをされようと考えましたか?

歌が上手かったし、美しい人だと思いました。彼女はB.B.クィーンズのコーラス・メンバーを決めるオーディションにやって来て、アン・ルイスさんの「六本木心中」とテレサ・テンさんの「つぐない」を歌ったのですが、実は最初からすごく歌は上手く、声も大きく響いていた。B.Bクィーンズのメンバーには選ばなかったのですが(その時出来たのはMi-Ke)、フジテレビ現社長の亀山千広さんから(当時はドラマのプロデューサー)ブロンディのような女性ボーカルのバンドを作らないか、という話があり、坂井を中心にして「六本木心中」と「つぐない」の両方を兼ね備えたようなバンドを組むことにしました。そして亀山さんがプロデュースをしていたドラマ「結婚の理想と現実」の主題歌「Good-bye My Loneliness」でデビューしました。ちなみにZARDという言葉は造語なんですが、 Lezard(とかげ)、 Hazard(危険)、Blizzard(吹雪)、Wizard(魔法使い)など、どちらかというと忌み嫌われるような言葉に接尾辞のようにくっ付いているので、そういうどこかマイナス的なイメージでもある。ロックの持つ退廃的でどこか反体制で暴力的なところに繋がっている。もちろんZARDのメロディと歌詞は王道なんですけど。

— さて、デビューをされました。途中から、プロデュースの方針に変更はあったのでしょうか?

特に変更しようと思ってはいなかったです。当初からずっと髪型を変えず、流行を意識しない服装、メイクも薄く、ピアスもイアリングも出来るだけ付けず、部屋着のような服装にして、親近感を持たせようと考えました。

ZARDの場合は、彼女のロック好きということと声のよく響く(パンチのある)感じもあったので、イギリスの曇り空のような、ロックのトンがったイメージでシングル3枚、アルバム2枚を出した。ある程度認知されたところで、彼女の持つセクシーな声にあえて明るいサウンドを合わせてみたのが92年8月にリリースした4枚目のシングルの「眠れない夜を抱いて」。歌番組の出演もあり、その後すぐにリリースした3枚目アルバム「Hold Me」は初登場2位になり、最終的にミリオン・セールを記録し、その後の「負けないで」「揺れる想い」と勢いに乗って行きました。

— なるほど。ところで坂井泉水さんの美しいルックス。本当に美人ですよね。それは、長戸さんのアーティストプロデュースに何か影響はありましたか?

セクシーでスタイルも良く美人だったので、女性を敵に回したくなかった。不細工でもなく美人でもない写真を選ぶのに苦労した記憶があります。



— ZARDが大ブレイクしたにも関わらず、あくまでも神秘的なアーティストイメージを作られた意図は?

決して神秘的を狙ったということでもなくて。例えば92年8月から93年2月にかけて、3曲のシングルで音楽番組に7回出演して歌った。しかし出演の時に体調不良になってしまい(もともと体調は良くなかった)、かといってこちらで希望日をいうようなことも出来ないし、生番組が多かったので、テレビ出演をお断りするようになってしまった。それにトークが苦手で、またレコーディングを重視したいという本人の意向もありました。そのまま制作してリリースを重ねていたら、今度はライブをやるタイミングを失ってしまい、結果として人前に出ることが少なくなってしまいました。彼女の横顔のジャケットと音楽だけが出て行ったので、結果として余計に神秘的なイメージに見えたのではないか、と思います。

吐き出すように書くことで伝えたかったんだと思います。ノートやレポート用紙が段ボールに詰め込まれているほどの量でした

— 坂井さんへの作詞のアドバイスはどんな感じだったのでしょうか? 推察するに彼女が作詞に向かったのは、長戸さんの影響だと考えますが。

もともと書きたいことが山のようにある人でした。色々なことを会話で話すよりは、心に溜めてそれを吐き出すように書くことで伝えたかったんだと思います。これを彼女は毎日続けていて、しまいにはノートやレポート用紙が段ボールに詰め込まれているような量でした。

ボーカルの書く歌詞というのは作詞家とはちょっと違うところがあり、いわゆる原作者であり、脚本家であり、主演女優でもある、というところ。そうなると必ず真実がありながらも、本人が歌詞を書いて歌う坂井泉水に対して、どこか客観的になる必要があります。その微妙なさじ加減を考えてもらいました。

あと言葉選び。大概先に作曲家のデモがあって、それに歌詞をつけていくのですが、その歌詞はもともと先に言葉があってそれにメロディを後から付けたのではないか、というくらい自然で、一度聴いたら忘れないフレーズを作るセンスが、彼女にはあったと思います。

— 作詞家としての坂井さん。同じ事務所にはB’zの稲葉浩志さんという優れた詞を書くアーティストがいらっしゃいますが、お二人を比較できますか?

二人を比較するのは失礼な話だとは思うけど……。例えば坂井泉水の歌詞は、歌詞とメロディの一体感。それが歌として同時に伝わってくるような感じでした。B’zの稲葉浩志の歌詞の場合は、サウンドの中に稲葉の歌というかフレーズがリズミカルに突然「スパッ」と飛び込んでくるイメージです。



— B’zをはじめ、長戸さんがプロデュースされた数々のアーティストの中でZARDのオリジナリティーをいかに出していったのでしょうか?

差別化を非常に意識したということはないですが、そのアーティストの個性を際立たせていく事で差別化につながって行ったんだと思います。結局、ボーカル・声だと思う。そこにどんな魅力があるか、どう引き出すか、引き出せるか。例えば、T-BOLANのボーカルの森友嵐士は声の存在感。「あ」という声自体に説得力があり、それが特徴だと思います。宇徳敬子も似たタイプですね。B’zに似た特徴も持っているのは大黒摩季だと思う。サウンドの中から「マイナスだらけの未来はいらない」みたいにハッとするフレーズがいきなり飛び出してくる感じ。ZARDのカテゴリーならWANDSが近い。ボーカルの上杉昇もメロディと歌詞が同時に伝わってくるタイプです。DEENやFIELD OF VIEWもそれに近いかもしれないが、彼らの声は一度聴いたら忘れないタイプでもある。倉木麻衣は、歌声自体にリズムとコード感があると思い、それだけで十分なので楽器をできるだけ少なくしました。

また一方で僕は、「この人をどうにかしよう」ということに固執しないようにしていました。T-BOLANもインディーズの時に一旦メンバーは半分やめてしまい、その後、別のオーディションで来たメンバーに、T-BOLANをやろう、と持ちかけてのスタートでした。実はバンドは「僕たちで是非」ときた段階では、すでに疲弊していることが多く、音楽性も続かずそのまま辞めてしまうケースも。むしろ「君と、君と、君で」という組み方でバンドやグループをやれば、そこには音楽という共通の概念と世の中に認知されようという目標だけになり、しがらみがない。個人がやる時もそうで、本人がやりたいこと、やれることだけでやっていては続かないケースが多い。であれば準備期間に色々カバーを練習したりして方向性を探して行って、一番似合うことをやった方が認知されるし長続きすると思います。「どうにかしよう」というよりかは、「こういう内容のものがかっこいいと思うけど、やってみないか?」という方法でした。

— ZARDの活躍と同じ時期に大黒摩季さんも、ビッグヒットを連発されてましたが、例えばドリカム<Dreams Come True>であるとか、他の女性シンガーとの差別化ということは意識されましたか?

ドリカムはユーミン<松任谷由実>(の歌詞)のダンサブルなバージョンだと思いました。なので、ZARDはユーミン(の歌詞)を女性ロックバンドにし、また大黒摩季はユーミンと対照的な中島みゆき(の歌詞)のダンサブルな感じです。ZARDは声と歌詞が同じ人なので、時期によって作曲家、編曲家を入れ替えて、新鮮さを保てたと思います。ちなみに作家のデモもほとんどが、各作曲家が日頃作ったデモを提出していたものであり、ZARD用とは限らない。僕がこのデモは ZARDで使おう、このデモは誰々で使おう、このアーティストには絶対に自分で作らせよう、このバンドには作らせるけどよくなかったら作家の曲を使うこともしよう、というように進めていきました。実はZARD用として曲を発注すると、皆ZARDらしい曲というか、「負けないで」とか「揺れる想い」みたいな前のZARDっぽすぎる曲が沢山出来てしまったので、それを他のアーティストで使ったというのもあります。