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ZARDデビュー25周年記念特集【THE POP STANDARD】 vol.7(最終回)
独占インタビューに成功!伝説の長戸大幸プロデューサーが語る坂井泉水の真実
2016/07/22
ZARD特集最終回は知る人ぞ知る名プロデューサー、長戸大幸氏の画期的な独占インタビューをご紹介したい。ZARDはもちろんのことB’z、大黒摩季をはじめ、彼が世に送り出したアーティストは日本の音楽シーンを変えた。日頃から全くメディアに全く登場しない長戸氏の極めて貴重かつ説得力溢れるアーティスト論、プロデュース論をお届けする。
インタビュー / エンタメステーション編集部
流行を意識しない髪型や服装、メイクも薄く、部屋着のような服装で親近感を持たせようと考えました
— 初めて坂井泉水さんにお会いした時の印象は? どのようなデビュープロデュースをされようと考えましたか?
歌が上手かったし、美しい人だと思いました。彼女はB.B.クィーンズのコーラス・メンバーを決めるオーディションにやって来て、アン・ルイスさんの「六本木心中」とテレサ・テンさんの「つぐない」を歌ったのですが、実は最初からすごく歌は上手く、声も大きく響いていた。B.Bクィーンズのメンバーには選ばなかったのですが(その時出来たのはMi-Ke)、フジテレビ現社長の亀山千広さんから(当時はドラマのプロデューサー)ブロンディのような女性ボーカルのバンドを作らないか、という話があり、坂井を中心にして「六本木心中」と「つぐない」の両方を兼ね備えたようなバンドを組むことにしました。そして亀山さんがプロデュースをしていたドラマ「結婚の理想と現実」の主題歌「Good-bye My Loneliness」でデビューしました。ちなみにZARDという言葉は造語なんですが、 Lezard(とかげ)、 Hazard(危険)、Blizzard(吹雪)、Wizard(魔法使い)など、どちらかというと忌み嫌われるような言葉に接尾辞のようにくっ付いているので、そういうどこかマイナス的なイメージでもある。ロックの持つ退廃的でどこか反体制で暴力的なところに繋がっている。もちろんZARDのメロディと歌詞は王道なんですけど。
— さて、デビューをされました。途中から、プロデュースの方針に変更はあったのでしょうか?
特に変更しようと思ってはいなかったです。当初からずっと髪型を変えず、流行を意識しない服装、メイクも薄く、ピアスもイアリングも出来るだけ付けず、部屋着のような服装にして、親近感を持たせようと考えました。
ZARDの場合は、彼女のロック好きということと声のよく響く(パンチのある)感じもあったので、イギリスの曇り空のような、ロックのトンがったイメージでシングル3枚、アルバム2枚を出した。ある程度認知されたところで、彼女の持つセクシーな声にあえて明るいサウンドを合わせてみたのが92年8月にリリースした4枚目のシングルの「眠れない夜を抱いて」。歌番組の出演もあり、その後すぐにリリースした3枚目アルバム「Hold Me」は初登場2位になり、最終的にミリオン・セールを記録し、その後の「負けないで」「揺れる想い」と勢いに乗って行きました。
— なるほど。ところで坂井泉水さんの美しいルックス。本当に美人ですよね。それは、長戸さんのアーティストプロデュースに何か影響はありましたか?
セクシーでスタイルも良く美人だったので、女性を敵に回したくなかった。不細工でもなく美人でもない写真を選ぶのに苦労した記憶があります。
— ZARDが大ブレイクしたにも関わらず、あくまでも神秘的なアーティストイメージを作られた意図は?
決して神秘的を狙ったということでもなくて。例えば92年8月から93年2月にかけて、3曲のシングルで音楽番組に7回出演して歌った。しかし出演の時に体調不良になってしまい(もともと体調は良くなかった)、かといってこちらで希望日をいうようなことも出来ないし、生番組が多かったので、テレビ出演をお断りするようになってしまった。それにトークが苦手で、またレコーディングを重視したいという本人の意向もありました。そのまま制作してリリースを重ねていたら、今度はライブをやるタイミングを失ってしまい、結果として人前に出ることが少なくなってしまいました。彼女の横顔のジャケットと音楽だけが出て行ったので、結果として余計に神秘的なイメージに見えたのではないか、と思います。
吐き出すように書くことで伝えたかったんだと思います。ノートやレポート用紙が段ボールに詰め込まれているほどの量でした
— 坂井さんへの作詞のアドバイスはどんな感じだったのでしょうか? 推察するに彼女が作詞に向かったのは、長戸さんの影響だと考えますが。
もともと書きたいことが山のようにある人でした。色々なことを会話で話すよりは、心に溜めてそれを吐き出すように書くことで伝えたかったんだと思います。これを彼女は毎日続けていて、しまいにはノートやレポート用紙が段ボールに詰め込まれているような量でした。
ボーカルの書く歌詞というのは作詞家とはちょっと違うところがあり、いわゆる原作者であり、脚本家であり、主演女優でもある、というところ。そうなると必ず真実がありながらも、本人が歌詞を書いて歌う坂井泉水に対して、どこか客観的になる必要があります。その微妙なさじ加減を考えてもらいました。
あと言葉選び。大概先に作曲家のデモがあって、それに歌詞をつけていくのですが、その歌詞はもともと先に言葉があってそれにメロディを後から付けたのではないか、というくらい自然で、一度聴いたら忘れないフレーズを作るセンスが、彼女にはあったと思います。
— 作詞家としての坂井さん。同じ事務所にはB’zの稲葉浩志さんという優れた詞を書くアーティストがいらっしゃいますが、お二人を比較できますか?
二人を比較するのは失礼な話だとは思うけど……。例えば坂井泉水の歌詞は、歌詞とメロディの一体感。それが歌として同時に伝わってくるような感じでした。B’zの稲葉浩志の歌詞の場合は、サウンドの中に稲葉の歌というかフレーズがリズミカルに突然「スパッ」と飛び込んでくるイメージです。
— B’zをはじめ、長戸さんがプロデュースされた数々のアーティストの中でZARDのオリジナリティーをいかに出していったのでしょうか?
差別化を非常に意識したということはないですが、そのアーティストの個性を際立たせていく事で差別化につながって行ったんだと思います。結局、ボーカル・声だと思う。そこにどんな魅力があるか、どう引き出すか、引き出せるか。例えば、T-BOLANのボーカルの森友嵐士は声の存在感。「あ」という声自体に説得力があり、それが特徴だと思います。宇徳敬子も似たタイプですね。B’zに似た特徴も持っているのは大黒摩季だと思う。サウンドの中から「マイナスだらけの未来はいらない」みたいにハッとするフレーズがいきなり飛び出してくる感じ。ZARDのカテゴリーならWANDSが近い。ボーカルの上杉昇もメロディと歌詞が同時に伝わってくるタイプです。DEENやFIELD OF VIEWもそれに近いかもしれないが、彼らの声は一度聴いたら忘れないタイプでもある。倉木麻衣は、歌声自体にリズムとコード感があると思い、それだけで十分なので楽器をできるだけ少なくしました。
また一方で僕は、「この人をどうにかしよう」ということに固執しないようにしていました。T-BOLANもインディーズの時に一旦メンバーは半分やめてしまい、その後、別のオーディションで来たメンバーに、T-BOLANをやろう、と持ちかけてのスタートでした。実はバンドは「僕たちで是非」ときた段階では、すでに疲弊していることが多く、音楽性も続かずそのまま辞めてしまうケースも。むしろ「君と、君と、君で」という組み方でバンドやグループをやれば、そこには音楽という共通の概念と世の中に認知されようという目標だけになり、しがらみがない。個人がやる時もそうで、本人がやりたいこと、やれることだけでやっていては続かないケースが多い。であれば準備期間に色々カバーを練習したりして方向性を探して行って、一番似合うことをやった方が認知されるし長続きすると思います。「どうにかしよう」というよりかは、「こういう内容のものがかっこいいと思うけど、やってみないか?」という方法でした。
— ZARDの活躍と同じ時期に大黒摩季さんも、ビッグヒットを連発されてましたが、例えばドリカム<Dreams Come True>であるとか、他の女性シンガーとの差別化ということは意識されましたか?
ドリカムはユーミン<松任谷由実>(の歌詞)のダンサブルなバージョンだと思いました。なので、ZARDはユーミン(の歌詞)を女性ロックバンドにし、また大黒摩季はユーミンと対照的な中島みゆき(の歌詞)のダンサブルな感じです。ZARDは声と歌詞が同じ人なので、時期によって作曲家、編曲家を入れ替えて、新鮮さを保てたと思います。ちなみに作家のデモもほとんどが、各作曲家が日頃作ったデモを提出していたものであり、ZARD用とは限らない。僕がこのデモは ZARDで使おう、このデモは誰々で使おう、このアーティストには絶対に自分で作らせよう、このバンドには作らせるけどよくなかったら作家の曲を使うこともしよう、というように進めていきました。実はZARD用として曲を発注すると、皆ZARDらしい曲というか、「負けないで」とか「揺れる想い」みたいな前のZARDっぽすぎる曲が沢山出来てしまったので、それを他のアーティストで使ったというのもあります。
ZARDデビュー25周年記念特集【THE POP STANDARD】 vol.7(最終回)
独占インタビューに成功!伝説の長戸大幸プロデューサーが語る坂井泉水の真実
2016/07/22
ZARD特集最終回は知る人ぞ知る名プロデューサー、長戸大幸氏の画期的な独占インタビューをご紹介したい。ZARDはもちろんのことB’z、大黒摩季をはじめ、彼が世に送り出したアーティストは日本の音楽シーンを変えた。日頃から全くメディアに全く登場しない長戸氏の極めて貴重かつ説得力溢れるアーティスト論、プロデュース論をお届けする。
インタビュー / エンタメステーション編集部
流行を意識しない髪型や服装、メイクも薄く、部屋着のような服装で親近感を持たせようと考えました
— 初めて坂井泉水さんにお会いした時の印象は? どのようなデビュープロデュースをされようと考えましたか?
歌が上手かったし、美しい人だと思いました。彼女はB.B.クィーンズのコーラス・メンバーを決めるオーディションにやって来て、アン・ルイスさんの「六本木心中」とテレサ・テンさんの「つぐない」を歌ったのですが、実は最初からすごく歌は上手く、声も大きく響いていた。B.Bクィーンズのメンバーには選ばなかったのですが(その時出来たのはMi-Ke)、フジテレビ現社長の亀山千広さんから(当時はドラマのプロデューサー)ブロンディのような女性ボーカルのバンドを作らないか、という話があり、坂井を中心にして「六本木心中」と「つぐない」の両方を兼ね備えたようなバンドを組むことにしました。そして亀山さんがプロデュースをしていたドラマ「結婚の理想と現実」の主題歌「Good-bye My Loneliness」でデビューしました。ちなみにZARDという言葉は造語なんですが、 Lezard(とかげ)、 Hazard(危険)、Blizzard(吹雪)、Wizard(魔法使い)など、どちらかというと忌み嫌われるような言葉に接尾辞のようにくっ付いているので、そういうどこかマイナス的なイメージでもある。ロックの持つ退廃的でどこか反体制で暴力的なところに繋がっている。もちろんZARDのメロディと歌詞は王道なんですけど。
— さて、デビューをされました。途中から、プロデュースの方針に変更はあったのでしょうか?
特に変更しようと思ってはいなかったです。当初からずっと髪型を変えず、流行を意識しない服装、メイクも薄く、ピアスもイアリングも出来るだけ付けず、部屋着のような服装にして、親近感を持たせようと考えました。
ZARDの場合は、彼女のロック好きということと声のよく響く(パンチのある)感じもあったので、イギリスの曇り空のような、ロックのトンがったイメージでシングル3枚、アルバム2枚を出した。ある程度認知されたところで、彼女の持つセクシーな声にあえて明るいサウンドを合わせてみたのが92年8月にリリースした4枚目のシングルの「眠れない夜を抱いて」。歌番組の出演もあり、その後すぐにリリースした3枚目アルバム「Hold Me」は初登場2位になり、最終的にミリオン・セールを記録し、その後の「負けないで」「揺れる想い」と勢いに乗って行きました。
— なるほど。ところで坂井泉水さんの美しいルックス。本当に美人ですよね。それは、長戸さんのアーティストプロデュースに何か影響はありましたか?
セクシーでスタイルも良く美人だったので、女性を敵に回したくなかった。不細工でもなく美人でもない写真を選ぶのに苦労した記憶があります。
— ZARDが大ブレイクしたにも関わらず、あくまでも神秘的なアーティストイメージを作られた意図は?
決して神秘的を狙ったということでもなくて。例えば92年8月から93年2月にかけて、3曲のシングルで音楽番組に7回出演して歌った。しかし出演の時に体調不良になってしまい(もともと体調は良くなかった)、かといってこちらで希望日をいうようなことも出来ないし、生番組が多かったので、テレビ出演をお断りするようになってしまった。それにトークが苦手で、またレコーディングを重視したいという本人の意向もありました。そのまま制作してリリースを重ねていたら、今度はライブをやるタイミングを失ってしまい、結果として人前に出ることが少なくなってしまいました。彼女の横顔のジャケットと音楽だけが出て行ったので、結果として余計に神秘的なイメージに見えたのではないか、と思います。
吐き出すように書くことで伝えたかったんだと思います。ノートやレポート用紙が段ボールに詰め込まれているほどの量でした
— 坂井さんへの作詞のアドバイスはどんな感じだったのでしょうか? 推察するに彼女が作詞に向かったのは、長戸さんの影響だと考えますが。
もともと書きたいことが山のようにある人でした。色々なことを会話で話すよりは、心に溜めてそれを吐き出すように書くことで伝えたかったんだと思います。これを彼女は毎日続けていて、しまいにはノートやレポート用紙が段ボールに詰め込まれているような量でした。
ボーカルの書く歌詞というのは作詞家とはちょっと違うところがあり、いわゆる原作者であり、脚本家であり、主演女優でもある、というところ。そうなると必ず真実がありながらも、本人が歌詞を書いて歌う坂井泉水に対して、どこか客観的になる必要があります。その微妙なさじ加減を考えてもらいました。
あと言葉選び。大概先に作曲家のデモがあって、それに歌詞をつけていくのですが、その歌詞はもともと先に言葉があってそれにメロディを後から付けたのではないか、というくらい自然で、一度聴いたら忘れないフレーズを作るセンスが、彼女にはあったと思います。
— 作詞家としての坂井さん。同じ事務所にはB’zの稲葉浩志さんという優れた詞を書くアーティストがいらっしゃいますが、お二人を比較できますか?
二人を比較するのは失礼な話だとは思うけど……。例えば坂井泉水の歌詞は、歌詞とメロディの一体感。それが歌として同時に伝わってくるような感じでした。B’zの稲葉浩志の歌詞の場合は、サウンドの中に稲葉の歌というかフレーズがリズミカルに突然「スパッ」と飛び込んでくるイメージです。
— B’zをはじめ、長戸さんがプロデュースされた数々のアーティストの中でZARDのオリジナリティーをいかに出していったのでしょうか?
差別化を非常に意識したということはないですが、そのアーティストの個性を際立たせていく事で差別化につながって行ったんだと思います。結局、ボーカル・声だと思う。そこにどんな魅力があるか、どう引き出すか、引き出せるか。例えば、T-BOLANのボーカルの森友嵐士は声の存在感。「あ」という声自体に説得力があり、それが特徴だと思います。宇徳敬子も似たタイプですね。B’zに似た特徴も持っているのは大黒摩季だと思う。サウンドの中から「マイナスだらけの未来はいらない」みたいにハッとするフレーズがいきなり飛び出してくる感じ。ZARDのカテゴリーならWANDSが近い。ボーカルの上杉昇もメロディと歌詞が同時に伝わってくるタイプです。DEENやFIELD OF VIEWもそれに近いかもしれないが、彼らの声は一度聴いたら忘れないタイプでもある。倉木麻衣は、歌声自体にリズムとコード感があると思い、それだけで十分なので楽器をできるだけ少なくしました。
また一方で僕は、「この人をどうにかしよう」ということに固執しないようにしていました。T-BOLANもインディーズの時に一旦メンバーは半分やめてしまい、その後、別のオーディションで来たメンバーに、T-BOLANをやろう、と持ちかけてのスタートでした。実はバンドは「僕たちで是非」ときた段階では、すでに疲弊していることが多く、音楽性も続かずそのまま辞めてしまうケースも。むしろ「君と、君と、君で」という組み方でバンドやグループをやれば、そこには音楽という共通の概念と世の中に認知されようという目標だけになり、しがらみがない。個人がやる時もそうで、本人がやりたいこと、やれることだけでやっていては続かないケースが多い。であれば準備期間に色々カバーを練習したりして方向性を探して行って、一番似合うことをやった方が認知されるし長続きすると思います。「どうにかしよう」というよりかは、「こういう内容のものがかっこいいと思うけど、やってみないか?」という方法でした。
— ZARDの活躍と同じ時期に大黒摩季さんも、ビッグヒットを連発されてましたが、例えばドリカム<Dreams Come True>であるとか、他の女性シンガーとの差別化ということは意識されましたか?
ドリカムはユーミン<松任谷由実>(の歌詞)のダンサブルなバージョンだと思いました。なので、ZARDはユーミン(の歌詞)を女性ロックバンドにし、また大黒摩季はユーミンと対照的な中島みゆき(の歌詞)のダンサブルな感じです。ZARDは声と歌詞が同じ人なので、時期によって作曲家、編曲家を入れ替えて、新鮮さを保てたと思います。ちなみに作家のデモもほとんどが、各作曲家が日頃作ったデモを提出していたものであり、ZARD用とは限らない。僕がこのデモは ZARDで使おう、このデモは誰々で使おう、このアーティストには絶対に自分で作らせよう、このバンドには作らせるけどよくなかったら作家の曲を使うこともしよう、というように進めていきました。実はZARD用として曲を発注すると、皆ZARDらしい曲というか、「負けないで」とか「揺れる想い」みたいな前のZARDっぽすぎる曲が沢山出来てしまったので、それを他のアーティストで使ったというのもあります。
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