こそっと貼り付けます。元ジュリーのスタッフさんのfacebookより
【人として尊敬する沢田研二さんの50周年】
このニュースを見たので、書きます。
アーティストと呼ばれようが、
流行歌手と呼ばれようが、
彼はデビュー以降の50年間、我が道を貫いて来たと、
一時期 彼の現場スタッフとして参加の僕は、思う。
僕を含め、彼を担当のあらゆるスタッフが、
彼に尊敬の念を、いまだ抱いている。
スタッフであれば、多くのコンサートには、招待を
いただけるが、彼のコンサートは、基本的には、
招待はない。見たければ、たとえ数年間も彼の
スタッフであった者であっても、自分でチケットを買って
見に行く。
これは、一見、冷たそうに見えるが、
このマネージメントの姿勢は、彼の姿勢だと、僕は思う。
彼は、依然「昔はいらない人」なのだと、僕は思う。
僕が渡辺プロ新入社員で入った時、1971年に、
日劇で見た沢田研二さんが歌う姿の美しさに感動した。
彼の存在は「鋭利な刃物」であり、あらゆるスタッフは、
絶えず、緊張していた。
僕が、沢田さんのライブを見たのは、国際フォーラムでの
タイガース再結成の時、木の実ナナさんがチケットを
買ってくれ、同行した。
これは、タイガースの育ての親のマネージャー、
「タイガースの6人目のメンバー」と言われた、
我が師、故中井國ニさんの追悼のためでもあった。
注ー中井國ニさんは、晩年 都内に出かけるのは、
木の実ナナの誕生会だけだったと、故人の奥様より
お聞きした。
沢田研二さんは、2008年に憲法第9条擁護の自作の歌、
「我が窮状」と言う脱原発を訴えるCDを発売。
山本太郎の荻窪駅前での集会にも参加し、脱原発を
メッセージした。2012年のこと。
僕は、荻窪の駅前で、遠くからではあるが、彼の声、
彼のメッセージを聞いた。
多くの彼のファンが、彼の退場と同時に、集会から、強引に
去って行くので、狭い駅前会場の道路側まで、
集会参加者が溢れ、危険になったので、僕は、久しぶり、
現場スタッフに戻って、混乱する会場と道路の警備、
ケアーをした。
「人として尊敬出来る沢田研二」には、昔のスタッフの
僕は、依然として、彼からは、見えないながら、
スタッフとして行動する。
僕以外にも、そういう多くの「見えないスタッフ」が、
沢田研二さんを、見守っていると思う。
多くの彼に関わったスタッフが、誇りに思う沢田研二は、
音楽を超えて、偉大だと、僕は思う。
9月 楽しみにしています。
昔とは別の人・・のような気もしますが、歌声はやっぱりジュリーで、すぐに見た目なんかどうでも良くなります。ジュリーの声は麻薬のように脳内と体内に入り込み、心を蕩かされてしまいます。コンサート、何回でも行きたいです(^-^)
楽しみましょうね~
とても嬉しいです。
ありがとうございました。
ジュリーに近い所にいらした方の言葉だからこそ、いっそう嬉しいですね。何度読み返しても感動するエピソードです✨