神戸新聞にローリングストーン誌の身売りの記事。
ローリングストーン誌といえば、音楽専門かと思っていましたが、政治や文化も扱う幅広い雑誌だったのですね。知らなかった・・ 部数を減らしているのは書籍や雑誌は、のきなみの事だけど、老舗のローリングストーンも同じらしい。ジュリーが『カバー・オブ・ローリング・ストーン』で一度でもいいから表紙に載りたいと歌った時代から、もはや半世紀も近い。
『カバー・オブ・ローリング・ストーン』の一度でも表紙に載りたいという歌詞とは違い、日本人でただ一人表紙に載ったのはジュリーだけです!
その本物の表紙を、アルディーズ・ミュージアムで見せていただいていた。7月16日のNHKでの50周年ツアーの直前に・・ アップしようと思いながら、す~っかり忘れきってしまい、もう2か月もたって、新聞の身売り記事で思い出した
表紙の左はGSが勢揃いのようだから、ウエスタンカーニバルかな??
米・Rolling Stone誌の表紙を飾った「最初で最後の日本のアーティスト」沢田研二
そして、いつも話題になるのがジュリーの隣りの男性は誰なのか? シロー説があるけど、全く似ていないので違うと思います。似ている?と思えるのは堺正章さん、ジャガーズの岡本信さん説もあった。けど決め手がなくて謎でした。
アルディーズさんの所で本物を見ていたら左の男性について、小さく書いてあったはUNKNWON UNKNWONは、①未知の,不明の,未詳の. ②名の知られ(てい)ない,無名の
つまり、左の男性は誰だかわからないと書いてあったの、ジュリーが主役、あくまで添え物、ジュリーさえわかればそれでいい、そういうローリングストーン誌の姿勢でした。これは私です、と名乗りを上げる声もないので、もう詮索はやめようと、unknownの文字を見てそう思いました。
懐かしのジュリーの歌う とぼけた感じの「カバーオブローリングストーン」がYOUTUBEにありました。久しぶりに聴きました(^-^)
私は、②の西日本へのCMがもともとなかったと思いたいのですが、①かもしれません。どうしても忘れたとは思えないのです。
なぜなら、あの頃ベビーチョコレートを買った覚えもないし、今、スーパーなどでベビーチョコレートを見かけるのですが、何の感慨もないからです。
ジュリーがCMしていた製品は今でも見るたびになんらかの感慨があるのです。
でも、saoさんと覚えていない共有できて、嬉しいです。
いつもジュリーライブに私が行ったと周りの人に言うと、私より年配の人は、ほとんどの奥さんがニコニコして私も好きだったよ、、、と言います。
エッ、この方もと思うような上品な奥様も。(ジュリーファンは今も十分に上品ですけど、、、)
そして決まって「まだ歌ってるの?)と言います。
それは不満ですが、ジュリーは私たちに一杯有り余るほどの夢と愛を与えてくれた50年歩いてくれたのですね。
私の周りの奥さんたちを代表して「ジュリー、ありがとう!」
西日本の方は、同じく見たことが無いと言われる方もありますが、記憶があると言われる方も・・
東日本にお住まいのmikoさんから、『CMを見ていましたが、それほど放送はしていなかったかも、ジュリーが一人で出ていたし』というご報告がありました。
確かにYOUTUBEのベビーチョコのCMは、音楽やメンバーの映像は後から付けたものです。
それから当時はTVが3チャンネルしか映らなかったという方もあって、実は私の住んでいた姫路もNHK以外は3つ程度しか映りませんでした。
放送はしていても、田舎だから映らなかったという可能性はあります。
ただ、それ以外のデラックスやチョコバーのCMは良く記憶しており、カッコ良くって大好きでした(^-^)
半世紀を過ぎても、ず~っと気になるジュリー、本当に有難う!!です/kirakira/}
こちらもチョコベビーの話題になってる!
カバー・オブ・ローリング・ストーンズ
懐かしい言葉を聞いて
頭の中でジュリーの声で歌と曲が再生されました♪♪
ライブレコードの中に残っているんでしょうかね?
レコード聞かないから宝の持ち腐れ状態です。
saoさんのところで、懐かしい事を色々思い出させてもらっています。
ありがとーね♪♪
カバー・オブ・ローリング・ストーンは1973年の中野サンプラザリサイタルに収録されています🎵
私もたまにしか聴けませんが、あの当時のライブ盤アルバムの曲目はとても素敵です✨
ジュリーのタイガース時代よりも大人になった声も魅力です。機会が有れば聞いてみてください。