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中原秀一郎のミュージック写真館「TOKIOから40年、1980年代の沢田研二」

2020年08月02日 | TV・ラジオ・CM・映画

昨日、伊吹山のお花畑をハイキングした帰りの高速道路の車中、毎土曜日に放送しているABCラジオ「中原秀一郎のミュージック写真館」の特集は

「TOKIOから40年、1980年代の沢田研二。」えッ!ジュリーの特集!ラッキ~ 隣で運転中の旦那が、良かったね~っと笑っております。

土曜日の夕方5時頃に車に乗っていたら、必ず聴いているこの番組。流れるのは懐かしの名曲から、いま流行りの曲まで、パーソナリティーはどうやら私よりは少し上の年齢らしい。前にブログに書いた「24枚目の曲・ヤマトより愛をこめて」はこの番組で流してくれていた。(必ず、曲の作詞家、作曲家、編曲家、リリース年代まで詳しく紹介する)

番組内でいつも、人気アーティストを一人取り上げて特集する企画では、当然だけど すご~くそのアーティストを褒めるので、そこまで誉めそやすほど、凄いアーティトでもない。と思ったこともあったりして・・(^^ゞ

今回は1980年代前半のジュリーを取り上げたところが、他と違うと思う、この企画。マニアなファンなら番組で語られたことなどは、すでに知ってることが多いのだけれど、曲が影響を受けたサウンドまで語られたところが目新しかった。

ジュリーならば、真面目に耳を澄ませます!メモも用意して・・ ところが、道路交通情報がジュリーの歌声を度々邪魔をする、イラァ~ッ  おまけに、わざわざ車内でメモったのに、ラジコで再び聴けるやないか、な~んだ。(聞き逃しは3日まで) 

放送したその内容は、そこは間違えてる、と思う所もありました。



中原秀一郎のミュージック写真館
2020年8月1日
 
「TOKIOから40年、1980年代の沢田研二。」
「TOKIO♪」
この曲は1980年にリリースされたシングル。
作詞は糸井重里、作曲は加瀬邦彦、編曲は後藤次利
ジュリーの愛称で親しまれている沢田研二は
1967年、ザ・タイガースのボーカルとしてデビュー
現代も第一線で走り続ける、
トップアーティストの1人です。

TOKIOは沢田研二の代表曲、赤と白のパラシュートを
背負った派手な衣装と、当時の人気を集めていた
テクノポップサウンドで話題を集めました。
あの斬新な衣装はジュリーのアイデアで
当時の金額で250万円もかかったそうです。
沢田研二はTOKIOの大ヒットを皮切りに、次々と
話題のシングルをリリース、アーティストとして
新たなステージを迎えて、1980年代前半の歌謡界の
中心的存在として活躍しました。
そこで今日は「時代を変えた一曲、TOKIOから40年
1980年の沢田研二」と題して、1980年代の歌謡界を
代表するアーティスト、80年代ヒット曲を
聴いてまいりましょう。

お送りするのは「恋のバッドチューニング」♪
昭和55年、1980年にリリースされたシングルです。
作曲 加瀬邦彦、作詞は糸井重里。編曲は後藤次利
前の作品TOKIOから、わずか4カ月でリリースされた
シングルです。
TOKIOと同じスタッフで製作されました。
1960年代後半に、イギリスを中心に人気を集めた
グラムロックに影響を受けた1曲です。
沢田研二は白と黒のビニールで作ったスーツに
黒のサングラス、透明のギターを持って登場
途中でサングラスを取ると、瞳が青色になって
おりました~驚きましたね!
当時としては珍しいカラーコンタクトをつけていたんです。
ただし、まだカラーコンタクトの技術が
未熟だったため、長い時間つけているのが
無理だったそうです。
沢田研二はこの曲で、シングルの売上が
1000万枚を越える偉業を達成しました。

それではここで、沢田研二のプロフィールを
簡単に紹介しましょう。

昭和23年6月25日生れ、鳥取県出身
10代半ばから、京都や大阪を中心にバンドで活
動した後 上京、昭和42年、タイガースの
ボーカルとしてシングル「僕のマリー」
でデビュー、その後「シーサイドバウンド」
「モナリの微笑」など多くのヒット曲をはなちました。
昭和46年、タイガースの解散後、ソロアーティスト
として活動をスタート、
「時の過ぎ行くままに」「勝手にしやがれ」など次々にヒット曲を
リリースして、1970年代を代表するアーティストとして、
歌謡界を牽引。現在も第一線で活動を続けています。
私達の世代ではまさに永遠のスターですね。

今年、令和二年には、山田洋二監督のキネマ神様に
3月に亡くなった、志村けんの代役として
主演を務めることを表明して、話題を集めました。

次にお送りするのは沢田研二で「ストリッパー」
1981年にリリースされた沢田研二のシングル
作詞・三浦徳子(よしこ)作曲・沢田研二、
編曲・伊藤銀次です。
ストリッパーは当時テクノとともに、
アメリカやイギリスで人気を集めていた
ネオロカビリーから影響を受けたロックナンバー。
作曲はジュリー自身が手掛けています。
沢田研二は、この曲を自分の名義ではなく
ジュリー&エキゾティクスという名前でリリースしました
沢田研二はTOKIOのリリースのタイミングで
これまで、バックバンドとして楽曲の製作から
ライブでレコーディングで共演していた
井上バンドを解散。
80年からエキゾティクスを率いて活動していました
メンバーはベースでバンドリーダーの吉田建、
ギターの柴山和彦と、安田尚哉、キーボードの西平彰
ドラムスの上原裕の5人です。
全員、スタジオやライブで活躍するトップミュージシャンで

特に、吉田建と西平彰はともに作曲家・編曲家
プロデューサーとして、1990年代以降も多くの
アーティストを手掛けるようになっていきます。

次にお送りするのは「6番目のユウウツ」
1982年にリリースされたシングル、作詞は三浦徳子
作曲は西平彰、編曲は白井良明です。
同じ時期に人気を集めていた、デュラン・デュランや
カルチャークラブなど、イギリスの
ニューロマンティックに影響を受けた、
ダンサブルなロックチューン
サビの部分のハッハッハッという掛け声とともに
コブシを振り上げる振り付けが人気を集めました。

次にお送りするのは「晴れのちブルーボーイ」
1983年にリリースされたシングルです。
作詞は銀色夏男、作曲は大沢誉志幸、編曲は大村雅朗です
当時、人気を集めていたイギリスの
ニューロマンティックのバンドの
アダム・ジ・アンツに代表される
ジャングルビートを取り入れた一曲です。
この曲に合わせて演奏する時のセットは
ジャングルをイメージして作られ
沢田研二とエキゾティクスのメンバーは
軍隊のようなアーミールックで登場しました。

さて「時代を変えた一曲、1980年代の沢田研二」

最後にお送りするのは「背中まで45分」
1983年にリリース、作詞作曲は井上陽水、
1982年井上陽水が全曲作詞・作曲を手がけたアルバム

「MIS CAST」を製作。そのアルバムから
シングルにリリースされた、幻想的なバラードです。
チャートは最高20位と、大ヒットとは
なりませんでしたが、沢田研二の1980年代を
代表する曲として、現代も沢田研二の
多くのファンに愛されています。

この時間は1980年代の歌謡界を代表する
アーティストの、沢田研二をして紹介まいりました。
昭和55年のTOKIOからスタートして昭和58年の間に
12枚のシングルをリリースしました。

どの曲も楽曲はもちろんのこと、
ステージの演出や衣装、時代の最先端の
サウンドやファッションを取り入れて
新しい事に挑戦し続けた4年間でした。
その圧倒的なパフォーマンスによって
50年以上に渡る芸能の中でも、私達に
もっとも強烈な印象を残したのではないでしょうか。

1980年代前半は、元タイガースのジュリーを越えて
沢田研二という一人のアーティストが花開いた
時代だったのではないでしょうか
今までの殻を破るという事に、大胆に果敢に
挑戦した沢田研二、それを見事に成し遂げました。
改めて大きな拍手を送りたいですね。

この時間は「次代を変えた一曲、TOKIOから40年、1980年代の沢田研二」をお送りしました。






 

運転手が隣にいるので「6番目」で、ハッハッハッと ふり上げたいコブシを、振り上げられなかったのが残念でした。

影響を与えたという、アダム・ジ・アンツとか、デュラン・デュラン、カルチャークラブの名前がとても懐かしかった。パーソナリティの中原秀一郎さんは、昔はヤングリクエスト、ヤンリクを担当したこともあるそう。高校時代からずっと勉強もせず、夜中までヤンリクでジュリーの曲が流れるのを待ち続けた私には、あの頃の青春が蘇るようで懐かしいです。ヤンリクのお蔭で、幅広く洋楽も覚えました。

ただ、そこは間違っていると思ったのは、井上バンド解散後の80年のバンドは「オールウェイズ」次に「エキゾティクス(81~84年)」です。「オールウェイズ」は、吉田建さんが自ら経緯を語っていました。ジュリーのプロフィールでは、PYGが無視されていて、小さいことだけど気になりました。

80年代前半曲だけど「背中まで45分」は取り上げられないと思ったら、最後の曲が「背中まで45分」。幻想的な曲とのナレーションに、退廃的ではあるけれど、私はそういうイメージは持っていなかった・・、曲調やアレンジは確かに幻想的です。 

横で旦那が「西川のりおが歌っていたな~」っと笑う。この私が忘れていたことを、なんであんたが覚えているのよ! よっぽど印象的やったんやな・・

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