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(追記)②質問🎤ライヴ中 皆が飛び出さなくなった理由 (J友さんから)

2018年08月04日 | JULIE メモリーズ

(※下に追記しました。)

J友さんにも伺ってみました。貴重な思い出話などもあり、有難うございました(^-^)


ふーみんさん
78年5月帝劇「天草四郎リサイタル」。アンコールの「君に歌う」で、みんな前のほうに押し掛けて、ジュリーは即興の替え歌で『座っていても 僕の姿はみえる 聞こえる だからみんな自分の席に戻って』と、説き伏せるようにムーディーに歌っています。
後ろの座っている人は大拍手、席に戻りました。アイビリービンミュージック… ラストは感動ものでした。

前のほうに押し掛けるのはココロになってからなくなったような、それまで私もラストに押し掛けるのを、楽しみにしてた!ジュリーが胃潰瘍で入院する埼玉ライブ、私も同じホールにいました。


(さんごさん) なだれ込みでハッキリ覚えているのは'83の「神戸大学医学部大倉山祭」です。前の席は大学生が占めていて、1F後方の席だった私は後半で止めようとする大学生スタッフを蹴とばすようにして押しやったりしたわw ステージ最前列まで走りました(笑)

その時が最後だったかなぁ~ と、記憶を辿ったら、'86の「架空のオペラⅡ」神戸文化ホールの時もあったような。チケット購入に前日から並んで最前列を取ったのですが、当時6歳の息子のジュリーLIVEデビューで、なだれ込みで押し合いになる最前列は危ないからと、最前列も残ってたけどワザと3列目を取ったことを思い出しました。だから'86もなだれ込んでたんじゃないかな~
その後がどうだったのかは全く記憶にないです。


(Tさん)ライブで前に押し寄せるの、私は76年春に初ライブで、2階からなだれ込みを見て、わ~!そうなんだ~(@_@)と、その年の夏のロックンツアーからは、よっしゃ行くぞ~!と構えてました^^

その頃は年に2回~3回ぐらいしか行ってないので、「70年代末に叱られた」というのには遭遇してないんですよね。(他のことでは怒られたけど(^^;) で、いつまでだったか、全然覚えてないんです~(;^_^A ココロの時までやってたとは思わなかったんだけど・・・? いつの間にか「あれ?誰も行かないの?え??」って感じだったと思います。


(Kさん)私の初ナマジュリーは'81ですが、ラストアンコールの時確かにドォ~っとなだれ込んでました。CO-CoLOの頃は観客も比較的大人しかったように思うのですが


(Aさん)私も84年まではライヴに行っていて、その頃は確かに、座ってライヴを見ていて、最後に前に走って行ったのですが、長い中抜けの後、96年に「あんじょうやりや」で復活した時には、最初から立っていて、前には押し寄せなかったので、いつから変わったのだろうと不思議に思い、中抜けのない方に伺ってみるのですが、はっきりとはしていなくて 段々にジュリーに教育されてそうなった、と聞いています。


 

(Iさん)70年代初め・・ソロになった頃は、アンコール前にステージで花束やプレゼントを受け取って握手なんてこともしてくれてました^▽^ でも、70年代も中頃になると、一番怒られた時代かも~で、よくステージの上からも「自分の席に戻って!!」って言ってましたよね。

最初から立って→「スタンディング」って言われて最初に頭に浮かぶのは やっぱり87年の「インクスティック芝浦」のオールスタンディングです! 事情で行けませんでしたが、その時の友人たちの感想が・・「立ちっぱなしで、押されるわ~暑いわ~で、メッチャメチャ疲れた。 行かなくって正解だったかもよ」でした。そんなの、行ったから言えるんだよ!って、ちょっと険悪になりました¬_¬

この時「立ちっぱなしで・・」って言ってるので、それ以前は、まだ最初からのオールスタンディングじゃなかったんじゃないか、と思うんですよね。
芝浦と同じ年の87年の「告白~CONFESSION」ツアーからオールスタンディングで、前に行かなくなったかっていうとそうでもなくて、COCOROの頃もまだステージ前に押し寄せてた人たちがいたと思います。私はこの頃、ちょっと気持ちがざわついてて、そんな人たちを一歩下がって見てたような記憶があります´_`

で、JAZZ MASTERになって、一ツ橋や昭和薬科大の学園祭で、一曲目から総立ちだったのは覚えてるのですが、その前の88年とか89年とかがどうだったのか・・そのあたりが過渡期だったんですかね。アナウンスで「ご自分のお席で立って楽しまれるのはご自由ですが、移動されないようお願いします」って言われたこともあったように記憶してます。こんな感じで、ハッキリしなくてすみません´_`


皆様、貴重なお話を 詳しくどうも有難うございました(^-^)

お陰様で、だいたいが分かった気がします。70年代からジュリーは「席に戻って」と注意しつつも その後もずっと押し寄せは有りました。はっきりと、この年で無くなったとは言い切れないが、87~88年辺りが過渡期で、CO-CoLOの辺りから押し寄せるのは少なくなっていったという事でしょうか。ジュリーは独立し、ファンも少女から大人になっていった時代だったと思います。

前に押し寄せることはない代わりに、90年ごろには最初から席でスタンディングへとなっていった。というところでしょうか。


 

 

※以下追記 marucheroさんにコメントを新たに頂きました。要約させていただきました、どうも有難うございます♪


(marucheroさん)私の初生ジュリーは72年のACB。73年の浅草国際、中野サンプラザのリサイタルは座って観ていました。当時立ち上がるなど考えた事もなかったです。

74年7月の日比谷ROCK,Nツアーのオープニングコンサートで初めて飛び出しを経験し、今でも、あの時どの辺りまで行ったか、はっきり覚えています。笑 悠木千帆さんが出て来て、ジュリー~~!!をやりました。

大阪で?椅子が壊れたりがあってから、東京のライブでも何度かジュリーに注意されました。その後、ジュリーが座ってちゃんと歌を聴いて欲しいとのお言葉があり、その後はノリノリの歌も我慢して手拍子して座って見ていました。前に飛び出すタイミングを考えている空気を感じて?のお言葉だったのかなぁと思います。

それから。。。しばらくして?ジュリーが、皆んなのお行儀が良くなり過ぎて、それはそれで面白くないし、それも違う気がする。僕はもう、これからは何も言いません。自分の席で好きなようにやってください。・・・それが、いつの頃だったか??エキゾティクスの頃だったか?

ココロ、「架空のオペラ」の時代、85年の新宿厚生年金、八王子。86年のパート2のサマーライブ、ココロのサウンドはロックといっても、大人っぽい感じでノリノリ感がロックとはまた、違う感じで、私が観た時は飛び出しは有りませんでした。

私が飛び出すのを最後に見たのは84年の最後のハワイツアーです。当時はもう飛び出す事がなくなっていて、エエ~ここでやる?!と思いました。思わず、私も体が動きそうになりましたが、やめました。その後ジュリーから、お叱りがありました。その時はそんなに飛び出した人は多くなかったです。

最高のライブを求めていたジュリーに色々とライブのマナーを教えてもらいました。その一つが、最後の拍手が早い。もっと、最後の音を聴いてから拍手するなど、、、バラードは早いと余韻が無くなると、言われました。

今、バラードなどで我先にと早く拍手する人がいると、残念に思います。そんな時にたまに、ジュリーの言葉を思い出します。余韻が。。。

今の初めから立ち上がるのは、90年のいつからだったのか・・? 当時は年に一回~二回しか行かれず、その頃の記憶が薄いです。ずっと~どの時代もライブを楽しみに生きてきました。それが今も続いてること、ジュリーに感謝

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