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③巴里にひとり

2017年10月21日 | 1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)

今日のライブは松本です。ジュリーさまは いかがだったのでしょうか?

大型の台風が近づいているのが心配です。現在草花の植え替えの真っ最中。うちではまだ朝顔が植わっています。蕾もあってこの先も咲きそうですが、そろそろ片づけなければ。パンジーのハンギングを植えました。 

今夜はフィギアスケートのロシア杯も見たい。 TVが「絶対王者」と羽生君を持ち上げていますが、絶対ってないですから・・軽く言うのは辞めて欲しい。 やっぱり4回転が決まりませんでした、まだシーズンは始まったところですが、明日のフリーも見なければ。プロ野球は阪神がCSでさっさと敗退したので、興味なくしました。どこが優勝してもいいです。

ガーデニングしてTVばかり見ていたので、ブログは進まずです J友さんにせっかく画像をいただいたのにすいません。ボチボチやります。gooブログは画像を大きく貼れなくて、切り張りで手間がかかってとても面倒! 


YOUNGの記事の続き、1975年3月号

ヨーロッパキャンペーンで忙しい中を、新曲の「白い部屋」が3月1日にリリース

ですが、5月号には もう5月21日発売の「巴里にひとり」の新曲の告知が。この頃は3~4カ月に1枚、新曲をリリースしていました。今から思えば目まぐるしい・・ そして、この次の曲が一番売れた「時の過ぎゆくままに」 どちらも50周年で歌っている、ジュリーにもファンにも思いいれの深い曲です。

この後の6月4日には結婚発表です。まさに世界を駆け巡って活躍中の、一番ノッている時に結婚したわけですね。(売れている時に結婚するのが願いだったんだと思います。)

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②巴里にひとり

2017年10月20日 | 1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)

フランス人のファンの方が東京フォーラムに来られていたことから始まった「巴里にひとり」コーナーですが、フランス人の方が本当に昔からのジュリーファンとわかりました。ジュリーと日本を楽しんでお帰りになったそうです。 しかし、フランス人ファンの方とお友達のpinkさんはどうしてお知り合いになったの?そこが不思議に思っていたのですが、コメ欄に→お答えをいただきました。pinkさん、有難うございます。一部抜粋しました。

『アカウントだけ作成したものの、よくわからなくて
放置していたSNSに数年前の深夜、突然メッセージが送られてきたんです。
『あなたとKenjiは家族ですか?』って(笑) 
ユーザーネイムとプロフの写真からそう思ったらしいです
フランスの人?Kenji Sawadaを知ってる?
私もすっごく嬉しくて一人で大興奮、大騒ぎ。
家族ではなくて彼の大ファンだと伝えると
もう次から次に質問攻め(笑)その時からからなんです。

まさに遠~~~いフランスから、突然降ってきたメールだったのですね 驚かれた事でしょう ご親切なPinkさんの対応に喜んでフランスにお帰りなったと思います、来年の古希にも来られたらいいのに!ほんとに嬉しいコメントをどうも有難うございました♪

YOUTUBEに「巴里にひとり」フランス製作のTVでしょうか?ジュリーの背景が、京都の床、宮島の赤鳥居、二見が浦の夫婦岩、どこかの堀のお城(ここどこ?わかる方います?雰囲気は大阪城?江戸城?)あとわからない場所、フランスのサクレクール寺院など。いや~ 背景がユニークやわ ジャポニズムね。ジュリーの後ろが富士山でなくて良かった・・富士山なら銭湯みたいになってたわ。

 


フォーラムの事を教えて下さったJ友さんからいただいた、興味深い1976年の記事の続きが有りますが、年代順に75年のYOUNGを先に貼ります。1月から2月にかけて、今回の50周年でも歌っている「愛の逃亡者」と「巴里にひとり」のプロモーションです。

(拡大)加瀬さんが一緒。ジュリーが巴里で寝込んだ時に、加瀬さんが横に居てくれて頼りになったと話していましたね。ライブのジュリー編集映像で加瀬さんが映ると、会場中に歓声があがります。懐かしさと寂しさがない混ぜになった気分です。

ジュリーの隣に小柳ルミ子さんがいますが、この時彼女もナベプロの海外での売り込みで巴里に居ました。ジュリーとても忙しそう!

話が変わりますがこんなYOUTUBEもありました。80年代にはまだありました。→「廃墟のナンバ一番 タイガース(3人)

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①巴里にひとり

2017年10月19日 | 1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)

1昨日の76年の記事の前に、75年のフランスで発売の新曲のプロモーション中のジュリーの記事をいただきました。平凡か明星との事です。「巴里にひとり」を歌うたびにMCで「フランス生活 長いさかい~」と笑わせてくれるジュリーの、実際のプロモーション中の姿です。


記事「サンジェルマンデプレのホテルの前で、紙袋の中は何かしら?」

下はファンとの交流や、空手のジュリ~♪ 日本人だからと、空手をやらされたと言っていましたね。

拡大:パリジェンヌに囲まれた姿を見ていると、いまだにファンだという人がいても不思議じゃない気持がしました(^-^)

フランスでのレコード発売は「ハクをつけるため」というのが最初の目的と ジュリー自身が話していましたが、辛い涙の本気のレコーディングが人気を呼ぶ事になったのでしょう。当時の人気のほどがわかります。

6月13日に帰国とありますが、直前の6月4日に結婚しているので ほんとに新婚ホヤホヤ! 

『帰国後は「悪魔のようなあいつ」のリハーサルへ。』うわ~良ちゃ~ん!! 何やら記事には、当時のジュリーの息吹が聞こえてきそうな臨場感があります。2017年のジュリーは69歳で頑張っていますが、1975年の27歳の誕生日直前のジュリーは、もちろん世界を股にかけて頑張っていたのだと改めて感動します。

 

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MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE(巴里にひとり)

2017年10月17日 | 1975年 巴里にひとり(ヨーロッパ進出)

新しくカテゴリーに「巴里にひとり(ヨーロッパ進出)」を作りました。素敵なフランスのファンのお話を教えて下さった、J友さん、pinkさんに心から感謝します。


11日の東京国際フォーラムに参加したJ友さんからレポをいただいていました。

『ライブ前にフォーラム内のレストランでみんなと食事していたら
金髪のフランス人女性2人が日本人の友に連れられて
関西方面を旅行して、ジュリーライブを見て、明日フランスに帰るそうです。
(ジュリーの)フランス語はどうだったかなあと思った…』

『フランスからの女性2人は、まさかフランス発売の「モナムールジュビアン・・」の頃からのファン・・
では、まさかまさか ないですよね~??

そうだったらいいな・・とは思いました、でもジュリーがフランスで売れたのはもう40年以上も前ですよ。その時のファンがフランスにまだいると思います?無理でしょ、とうに昔話でしょ・・ そう思うでしょ、それが普通でしょ

ところが・・・pinkさんからコメントをいただきました。
『フランスのジュリ友さん、そのまさかのまさかなんです
あの時からず〜〜〜っと

全然ジュリーがフランスに来てくれないって嘆くので、
じゃ〜、日本においでよってことで、今回世界の果てからやってきてくれました

CDじゃなく、Youtubeじゃなく、
ジュリーが目の前にいて、生の歌声を聴けて
それはもう、シアワセの極みって顔でした。

ライブ前にたくさんの方に声をかけていただいて
一緒に写真を撮ったこともすっごく嬉しくて
楽しい時間だったようです。』

ま、まさかの 工エエェェΣ(゚∀゚ノ)ノェェエエ工~~~   

pinkさん、ここを見て下さっていたらお尋ねしたいです。『どうしてフランス人のファンの方と、お知り合いになったのですか?』 フランス人のファンの方のジュリーへの気持ちの切れなさには、正直ビックリです。でも と~っても嬉しい素敵なお話だと思いました。

(※pinkさんより、下のコメント欄に フランスのファンと繋がった経緯や、エピソードを頂いています。)

もし、ジュリーが私の前から40数年も姿を消したら・・ それでもファンでい続ける自信があるか? 残念ですが私にはありません 他に目が移るかも・・忘れるかも。私がジュリーのファンでいられたのは、TVには出なくても毎年コンサートがあり、周りにJ友さんがいたからです。でもフランスでは無理! 

今でこそネットで瞬時にジュリー情報が手に入りますが、20世紀中にはとても難しい事でした。フランスからは遠い遠い極東、世界の果てにいるジュリーは、あまりにも遠い人です。ピーが再び姿を現した時にもそう思いました、ファンはよく気持ちが切れなかったもんだなぁ・・と。

熱い思いが途切れることが無いその純粋さ、一途で無垢でその気持ちのブレなさには心から感嘆します。フォーラムでのお話を教えて下さったJ友さんも、この成り行きに驚いておられました。

そのJ友さんから、フランス進出の翌年の76年、フランスでのプロモーションの記事をいただきました。

※記事 

「では、日本からきたケンジ・サワダを紹介します」シャンソン歌手、ミレーユ・マチューの声と共ともに沢田研二が
さっと舞台へ飛び出したきた。白いシャツにブルージーンズ。シャツの胸にはKENJI。背中にJAPON ELLE
とたんに、1000人ほどの観客の間からワーッと歓声がわき「ケンジ!」の声が飛ぶ。
5月29日夕方、パリの北約10キロのサン・ドニ市の市役所横の広場だった。
そこに特設された大テントの中で行われた、ラジオ・ルクセンブルグのナマ放送に、日本のケンジが登場したのだ。
パリですでにレコード3枚を出し、100万枚を売ったケンジだけに、ファンは多い。

こちらでELLEが聴けます  YOUTUBEに上がっていて感謝!当時、歌詞カードを見ながらフランス語で歌う練習しました(笑) みなやったと思う、今でもチビットだけ歌えます。スローな曲だから覚えやすいの 懐かしいわ~ 100万枚は話が大きいと思うけどね。



記事のジュリーはモノクロ画像だけど、少年を見てほほ笑むジュリーの笑顔が若くて瑞々しい 。

しかしながらパリのジュリーは1976年の二度の暴行事件の後で、フランスから帰ってジュリーは一カ月の謹慎になるという時期でした。笑顔の裏にはどんな思いが渦巻いていたのでしょう。この記事には続きもあって、41年後の今の時代のジュリーにも続く内容になっていて 大変感慨深く読ませていただきました。

続きは またのちほど。

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