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③1975年7月20日 比叡山フリーコンサート

2016年07月22日 | 比叡山フリーコンサート

 

続きの前に、J友さんから教えていただきました。澤会からインフォが届いたそうです。。

11月3日(木・祝)、国際フォーラム、開演時間16:00 との事です♪

やっぱり追加がありましたね。3年連続の11月3日です。



比叡山フリーコンサートについてのコメントやメールを、皆様からいただきました。

朝7時発のバスに乗った人はいるのかしらん、と思ったところ、

平安神宮発の朝7時のバスに乗った方は、早い時間なので困ったかわりに、

前の良い席でご覧になったそうです。いいな~

ロームシアター京都の隣りは、赤い大きな鳥居のたつ平安神宮。

28日の京都のライブでは、感慨を持って平安神宮を眺めてきたいと思います。


前に貼ったと思うけど、TIPTAP、1975年のジュリー

沢田研二27歳〜海外進出、結婚、そしてキャリア最大のヒット曲〜
http://www.tapthepop.net/story/41881


 

続きです・・

ジュリーがオープンカーにのってやっと登場♪

後ろの方の席なのに、青いシャドーやショッキングピンクの華やかな衣裳は私から見えたのか??

でも、ジュリーの登場とともに、派手に眼に飛び込んできた記憶があるので

多分、双眼鏡で見たんだろうなと思う。

コンサートの様子は、LPレコードの写真にカラーで多数紹介されていて

その時の熱気が伝わってきそうな、鮮やかに熱い写真の数々・・

薄れた記憶も甦って来る。


途中、ジュリーが「僕の妻です」と釈迦堂で結婚式をあげたばかりの

奥様の手をひいて会場を埋め尽くすファンに紹介した。

記憶は年月とともに 次第に薄れてゆくとはいえ

真っ白い清楚なウエディングドレスに 白いユリの花束を飾らずに

そのまま抱えた奥様の姿を 私はこれからも忘れることは無いだろう。

感激の涙を流すエミさんの姿を見た時

私たちは「来なくていい、見たくない」そう思っていたことなど すっかり忘れた。

心を揺さぶられずにはいられない 二人の寄りそう姿に

心からの祝福の拍手を送ることができた。

見守る私の涙も溢れそうになっていた。


今から思えば、あのウェディングドレスは、歳が若いだけの小娘には

とても着こなせそうにない、大人の女の着る物だったなと

自分がこの歳になって思う。


41年経っても、私が比叡山で特に今も忘れずに印象に残ったのは、3つ

 それは比叡山へ向かう、延々たるバスの隊列

 気分が悪くても、起き上がる女の子たち。 そして あともう1つ。

それは白いウェディングレスに白いユリの花束を抱えて 

感激の涙を流す花嫁の姿です。

 


 

※恥を忍んで当時の日記の抜粋(笑)


京都まで行ってきた。MT比叡まで行き、

日焼けしながら何時間もジュリーの来るのを待ちました。

ジュリーはチャイナ服を来て出てきたよ。

エミさんが純白のウェディングドレスを着てベールを被り

百合の花束を持って出てきたの。ジュリーが腕をとってね。

延暦寺でさっき結婚式をあげましたって 言いました。

拍手してね皆で。ジュリーが「妻」「妻」というたびに拍手して・・・

本当は悲しくて涙があふれてきてしまったの。うん、でも祝ってあげられる。

彼女泣いてた。嬉しかったんだろうな。

羨ましいけど、やっぱり幸せにいてほしい。私も涙が溢れそうになったけど

心から拍手してあげられたことが嬉しい。


結婚したけど、やっぱり私にとって沢田研二はジュリーでジュリーは私の憧れです。

ジュリーは「結婚ごときで僕は変わらない」と言いました。

ジュリーが言わなくても、私はそれを感じられるのです。

ジュリーの強さと生き方に共感を覚えるし、彼の音楽を愛している。

私はジュリーの後から必至で着いていきたいと思っている。

でもいつもジュリーは「自分の為に歌いたい」と言います。

一度でいいのです「みんなの為に」と歌って下さい。

 


 

あの頃の私に言ってやりたいのは

あの頃ジュリーは、自分の為だけに歌いたい なんて

思っていなかったと思うよ。それを口にしなかっただけだと思うけど

それを口にして欲しいと思う気持ちも分かって欲しいな。

※ 日記の続き

ジュリーが幸せだという事はいいことだ。

後ろの方に座っていたけど、前の方に押しかけたの。15mくらい離れたところで見た。

もっともっと近くで観たかった。イエ~イ!って叫んで ジュリー!!と3~4回言った

一生懸命歌ってくれて嬉しかった、興奮して聴いてた、一緒に歌も歌ったよ。

 

2時間たったら、スーーーっと車で帰っちゃった・・・ julie

今頃何してるかなぁ また大阪フェスに行くんだ! でも去年より、もっと後ろの方だって(T_T)


殆ど覚えていなかったけど、そうか 2時間で車でジュリーはスーーーっと

帰っちゃったのか。何時間も待ったのに、短い!

と今更クレームつけちゃう(笑)

始めはきちんと座っていた観客は、アンコール前には もうワヤワヤになって

後方から前に押し寄せてギューギューになったけど、誰も文句は言わなかった。

あの時、少なくとも後方には保安や関係者の見張りはいなかった。

日記を書いていたお蔭で、ちょっとだけ様子がわかった。

今と頭の中身もたいして変わらないとわかったし(^^ゞ

 

あの頃はジュリ~♪!と叫ぶことさえ恥ずかしかった。

28日の京都では、遠慮せずに叫ぼう! もう恥かしい事などない。

なんたって、自分自身が恥かしくて 半世紀近くも封印していた日記まで

開帳しちゃうんですからね(笑)

 

このところストレスが溜まりまくりの毎日、京都で発散してきます(^^)

 

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②1975年7月20日「比叡山フリーコンサート」

2016年07月21日 | 比叡山フリーコンサート

比叡山の前に、J友様からお知らせです。有難うございます(^^)

吉井和哉さんが、KinKi Kidsに楽曲提供をしました。*7月発売の『薔薇と太陽』

今日、吉井和哉のFacebookに“KinKi Kidsの特設サイトに吉井和哉メッセージ掲載”とあったので、

見たらなんと!ジュリーの文字が目に飛び込んできました!!!
URLを貼りますね。⇒ http://je-kinkikids.com/151/

 



金曜日の夜は、ジャネットさんのラジオ番組があります。
エンディングでジュリーの曲がかかりますが、明日の22日と来週の29日は、アルバムの曲がかかります。
ぜひお聴きください。 

さくらFM 78.7MH 22時より 番組名「My Favorite Things」です。

 


続きです

②1975年7月20日「比叡山フリーコンサート」

夏の太陽が照りつける暑い日中、会場の後ろの方でジュリーはまだかなーと、

何時間もグダーっとしながら、J友さん達と汗をふきふき待っていた。

当時、ジュリーはフジカラーのCMをしていたので、フジカラー関係者の男性が

会場に何人も来ていて、ひまそうに席の近くをプラプラしていた。

近くにいた私達と、軽口でもたたいていたのだろう。

そして数時間も経ってから フジカラーさんから聞いた言葉に、私達はショックを受けた。

フジカラーさん『奥さんも一緒に来てるそうだよ』

我々『え~~~っ! こなくてもいいよ!!』 

予想していなかったのでとても驚き、友人共々 口々に

『見たくないわ!』

 お蔭で、私達は他のジュリーファンよりも早く、奥様も来るという事実を知っていたのだった。


あの頃は若かったので、今ほどトイレには近くなかったが、やっぱりジュリーの登場までに

トイレにいっとこうと、トイレ前の長ーい行列に並んだ。

トイレ横には、倒れた女の子たちの為の救護所があって、寝ている姿は丸見えだった。

かなりの時間、私達は並んで待っていたと思う。行列に並んでいたら

『もうじきジュリーが来る』 そういう話が聴こえてきた。


え~~!早い事すませて席に帰らなければ・・ と焦っていたら。。。

救護所で横になって寝ていた女の子達が、

『ジュリーが来る』 その言葉を聴いたとたん 

ムックリ起き上がり、さっさと席まで帰って行った。

き、気分が悪いのに、大丈夫なのかしらん??と私は心配になったけど

例え気分は悪かろうが、ジュリーが見たい!

その気持ちは ものすごくよく分かります。愛だよね、愛

ここまで来た比叡山、ジュリーを見ずして帰れるものか・・・

あの不屈の女の子たちは、今でもファンかなぁ


41年経っても、私が比叡山で特に今も忘れずに印象に残ったのは3つ

①それは比叡山へ向かう、延々たるバスの隊列

②ムックリ起き上がる女の子たちの姿。

そして、あともう1つはこの後で。


午後3時、ジュリーがオープンカーに乗って会場にやってきた。

ゲ・・・ 真っ青なアイシャドー

ドピンクのド派手衣装 なんだこりゃ・・ 

思いっきり悪趣味、キッチュ!

ここまで派手なお姿は見たことがありません。

コンサートが始った、J友様から前の席でご覧になったというコメントをいただきました。

羨ましい~☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

続きます

 

コメント

①1975年7月20日「比叡山フリーコンサート」

2016年07月20日 | 比叡山フリーコンサート

1975年7月20日は「比叡山フリーコンサート」の開催された日。

当時の様子を伝える貴重な新聞記事を、J友様にコピーさせていただいていたので

ちょうど40年目の、去年の7月20日にアップする予定でいました。 

しかし去年はブログ引っ越しで忙しく、アップが41年目という中途半端になったのは残念ですが、

記憶が薄れてゆく前に書きとめたかったのです。少しだけど、日記に書いていた分もありました。

行かれたというJ友さん3名に、比叡山で記憶に残る事は?とお伺いしましたが

皆さんの答えは同じく 『暑かった・・・』

こんな事があったとか、私のブログに間違っているところがあれば

コメントをいただきたいと思います。

 

結婚の噂は前からあったが、それを現実の事とは受け止めていなかったので

結婚はたいそうショックだった。でも、フリーコンサートは行かなければ!

J友さんと、すぐに行くという話はまとまったんだと思う。

(日記を読み返したところ、ジュリーが結婚するという報道は当時い~っぱい出ていたので、報道のように10月くらいに結婚か?とは思っていたようです。でも、まさかそれより早いと思っていなかったので、急な事で大変ショックだったようです)

下はファンクラブから送られてきたハガキ、これがないと比叡山のフリーコンサートには参加できない。

当時、ファンクラブの会員は何人いたのだろうか。(参加は2万人ほどを予定していたようです)

J友さんたちと5人ほどで、姫路から参加を決めた。

当日はこの日の為にと買った、思いっきりかわいい 丸襟パフスリーブの

フワフワの花柄のワンピースを着ていった。

想い出が詰まって捨てがたく、いまだとってあるけど、サイズがもう合わない(笑)

 

私は当時住んでいた姫路から参加、出発はBコース、京都駅前の朝9時発。

同じく参加したという神戸、関東のJ友さん3人ほどに伺ったところ、

いずれも私と同じ、京都駅発、朝9時の出発でした。

早朝の朝7時発では、京都近辺の人以外は泊りになると思いますが

そのかわり、前の良い席で観られるわね。席もフリーだから。

フリーの名前のとうり、コンサートの料金は無料、バス代往復料金のみです。

これは、ファンクラブ会員以外でも 申し込めば入れたのかどうか、それは知らない。

※(会員以外でも、ファンクラブに直接お願いしたらOKだったそうです)

題名は「全国ツアー75 比叡山オープニングコンサート」になっている。

申し込んだら、これとバスチケットが届いた。

この裏面は京都駅前の地図だと思う。

当日、京都駅前のバス停車場に行ったら、 比叡山への大きなコンサート専用バスが

京都駅前のバスロータリーにいっぱい停まっていて、まさに

駅前ロータリーはジュリーのコンサートの為だけにあるようだった。

真夏の1日が、若い女の子の熱気でさらに暑くなっていくようだった。 

バスの年輩の運転手さんがニコニコしながら

『にんなに沢山の人で、ジュリーはたいしたもんだねぇ・・』

と笑顔で話していたのを思いだす。

しかし、このバスの台数の多さはどうだ。 

(※120台のピストン運送だったそうです)

同じ9時発なのに、すでに数台ものバスが、私の乗るバスの出るより前に

比叡山を目指して出ていった。

これでは着いても、絶対に前の席なんかに座れない!

それは、すぐにわかったわ(゜∀。)

しかも私には心配があった・・・ 

子供の頃からバスにはとても弱く、すぐに乗り物酔いをする性分なのだ。

この時はハイティーン、もう子供では無かったが、

行く前から比叡山は乗り物酔いすると

聴かされていたので、バスに酔ったらどうしよう~(´Д`) 

でも乗らない訳にはいかないでしょ。

(関西じゃ六甲山、比叡山、高野山が乗り物酔いしやすい場所らしい)

 

比叡山の山中のコンサート会場へと、延々と続く、

何台も何台もの、バスの行列・・・

それは40年前の私の薄れゆく記憶の中でも、特に今も鮮やかに思い起こす光景です。

蛇ゲ原スキー場で行われる会場まで、1時間くらいはかかったんだろうか??

運が良かったというべきか、気持ちが悪くなることはなく会場に無事に着いた。

あ~良かった・・

ただ、私以外の若い女の子たちで、バスが運行中から気分が悪くなった人は少なくなく

場所に到着しても、見るからに白い顔をして倒れそうで 気の毒だった。(*_*)

ジュリーはそんな女の子たちの苦労話はしらないでしょうね・・・

それにバスが着いたからといって、そこがすぐ会場ではない。

会場まで、また暑い中を数分歩いて やっとそこがコンサート会場です。

着いたなりダウンする女子達が続出で、そういう人や

会場で長いこと待たされ、熱中症になったファンのために

救護用の屋根のある場所が作られていて

すぐに横に寝かされていた。

 

会場は、蛇が池スキー場。 夏場はグラススキーもするらしい、

コンサート会場なのに緑の雑草が生えていた。

ジュリーの立つステージを囲むように、客席は大きく緩やかな すり鉢状になっていて

着いた時には、もう前の良い場所には 先に来た多くの人が席を占めていたので

私達にはステージからは とても遠い、傾斜のある場所しか座る残されてはいなかった。

これではジュリーがとっても遠い・・・ 大阪フェスの席より悪いかも ( ノД`)シクシク…

でも仕方がないわ。

 

席らしい席ではないけど、簡単に仕切った席にはジュリーのB4サイズ程度の大きさのポスターが置いてあった。 

その薄く化粧をして微笑むジュリーは、おそろしく色っぽかった。

余りに美しい・・ でも、余りに色気過剰だと思いました((+_+))

サンバイザーも置いてあったという事だけど、すでに私は忘れてしまっている。

9時に京都駅前を出発して、会場の席には11時頃には座れたのかなぁ?

お昼ごはんはどうしたのかな?水は持って行ったのか?

飲まず食わずでは丸一日を過ごすのは無理だと思うが、

当時の記憶は、もう全く残っていない。

 

ジュリーの登場は午後3時、そこまで まだ4時間以上もある。

7月の炎天下の下で、おとなしく待つしかないのだった・・・・

 

ジュリーまでは、まだまだ長い。

続きます・・ 

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