続きの前に、J友さんから教えていただきました。澤会からインフォが届いたそうです。。
11月3日(木・祝)、国際フォーラム、開演時間16:00 との事です♪
やっぱり追加がありましたね。3年連続の11月3日です。
比叡山フリーコンサートについてのコメントやメールを、皆様からいただきました。
朝7時発のバスに乗った人はいるのかしらん、と思ったところ、
平安神宮発の朝7時のバスに乗った方は、早い時間なので困ったかわりに、
前の良い席でご覧になったそうです。いいな~
ロームシアター京都の隣りは、赤い大きな鳥居のたつ平安神宮。
28日の京都のライブでは、感慨を持って平安神宮を眺めてきたいと思います。
前に貼ったと思うけど、TIPTAP、1975年のジュリー
沢田研二27歳〜海外進出、結婚、そしてキャリア最大のヒット曲〜
http://www.tapthepop.net/story/41881
続きです・・
ジュリーがオープンカーにのってやっと登場♪
後ろの方の席なのに、青いシャドーやショッキングピンクの華やかな衣裳は私から見えたのか??
でも、ジュリーの登場とともに、派手に眼に飛び込んできた記憶があるので
多分、双眼鏡で見たんだろうなと思う。
コンサートの様子は、LPレコードの写真にカラーで多数紹介されていて
その時の熱気が伝わってきそうな、鮮やかに熱い写真の数々・・
薄れた記憶も甦って来る。
途中、ジュリーが「僕の妻です」と釈迦堂で結婚式をあげたばかりの
奥様の手をひいて会場を埋め尽くすファンに紹介した。
記憶は年月とともに 次第に薄れてゆくとはいえ
真っ白い清楚なウエディングドレスに 白いユリの花束を飾らずに
そのまま抱えた奥様の姿を 私はこれからも忘れることは無いだろう。
感激の涙を流すエミさんの姿を見た時
私たちは「来なくていい、見たくない」そう思っていたことなど すっかり忘れた。
心を揺さぶられずにはいられない 二人の寄りそう姿に
心からの祝福の拍手を送ることができた。
見守る私の涙も溢れそうになっていた。
今から思えば、あのウェディングドレスは、歳が若いだけの小娘には
とても着こなせそうにない、大人の女の着る物だったなと
自分がこの歳になって思う。
41年経っても、私が比叡山で特に今も忘れずに印象に残ったのは、3つ
それは比叡山へ向かう、延々たるバスの隊列
気分が悪くても、起き上がる女の子たち。 そして あともう1つ。
それは白いウェディングレスに白いユリの花束を抱えて
感激の涙を流す花嫁の姿です。
※恥を忍んで当時の日記の抜粋(笑)
京都まで行ってきた。MT比叡まで行き、
日焼けしながら何時間もジュリーの来るのを待ちました。
エミさんが純白のウェディングドレスを着てベールを被り
百合の花束を持って出てきたの。ジュリーが腕をとってね。
延暦寺でさっき結婚式をあげましたって 言いました。
拍手してね皆で。ジュリーが「妻」「妻」というたびに拍手して・・・
本当は悲しくて涙があふれてきてしまったの。うん、でも祝ってあげられる。
彼女泣いてた。嬉しかったんだろうな。
羨ましいけど、やっぱり幸せにいてほしい。私も涙が溢れそうになったけど
心から拍手してあげられたことが嬉しい。
結婚したけど、やっぱり私にとって沢田研二はジュリーでジュリーは私の憧れです。
ジュリーは「結婚ごときで僕は変わらない」と言いました。
ジュリーが言わなくても、私はそれを感じられるのです。
ジュリーの強さと生き方に共感を覚えるし、彼の音楽を愛している。
私はジュリーの後から必至で着いていきたいと思っている。
でもいつもジュリーは「自分の為に歌いたい」と言います。
一度でいいのです「みんなの為に」と歌って下さい。
あの頃の私に言ってやりたいのは
あの頃ジュリーは、自分の為だけに歌いたい なんて
思っていなかったと思うよ。それを口にしなかっただけだと思うけど
それを口にして欲しいと思う気持ちも分かって欲しいな。
※ 日記の続き
ジュリーが幸せだという事はいいことだ。
後ろの方に座っていたけど、前の方に押しかけたの。15mくらい離れたところで見た。
もっともっと近くで観たかった。イエ~イ!って叫んで ジュリー!!と3~4回言った
一生懸命歌ってくれて嬉しかった、興奮して聴いてた、一緒に歌も歌ったよ。
2時間たったら、スーーーっと車で帰っちゃった・・・ julie
今頃何してるかなぁ また大阪フェスに行くんだ! でも去年より、もっと後ろの方だって(T_T)
殆ど覚えていなかったけど、そうか 2時間で車でジュリーはスーーーっと
帰っちゃったのか。何時間も待ったのに、短い!
と今更クレームつけちゃう(笑)
始めはきちんと座っていた観客は、アンコール前には もうワヤワヤになって
後方から前に押し寄せてギューギューになったけど、誰も文句は言わなかった。
あの時、少なくとも後方には保安や関係者の見張りはいなかった。
日記を書いていたお蔭で、ちょっとだけ様子がわかった。
今と頭の中身もたいして変わらないとわかったし(^^ゞ
あの頃はジュリ~♪!と叫ぶことさえ恥ずかしかった。
28日の京都では、遠慮せずに叫ぼう! もう恥かしい事などない。
なんたって、自分自身が恥かしくて 半世紀近くも封印していた日記まで
開帳しちゃうんですからね(笑)
このところストレスが溜まりまくりの毎日、京都で発散してきます(^^)