今日6月15日は1960年安保デモで東大の学生樺美智子さんが亡くなった日だ。僕は高校一年生でノンポリではあったが、その死亡事件についての報道など強烈な印象を持っている。相当な学生活動家だったのか、東大生だったためか、祖父、父が学者系であったためか、死因が圧死か殴られた紛糾したためか、のちに日記が公表されたためか、一見清楚な学生さんだったためか、政治的時代の象徴だったためか、とにかくよく知られた件なのだが、今の若い人で知っている人は少ないのだろう。6月15日にこの話題を持ち出すのは安易なノスタルジーで、現代の複雑な政治・社会・国際・文化状況の下においては意味のないことだとの、うなづける批判もあるのは知っている。長生きすると思い出があふれてくるのだよ。人はなぜこういう形の死があるのだろう。