20:80の法則、ロングテール等と言われる現象は、対数線形の「ベキ分布」で表される現象であるといい、社会・経済現象の中に存在する様々なベキ分布が広く取り上げられ、応用されるようになってきているという。マーケティングにおいてのみならず、外為市場の価格変動、寡占・独占、都市格差の分析などにおいても。
経済現象を含む社会現象や、生物現象においては、事象の量の分布は、最も基本的な統計的バラツキである釣鐘型の「正規分布」ではなく、ベキ分布になる場合が多いという。そしてそれは、物事が「ネットワーク」の中で複雑に相互作用しあっていることによって説明できるという。(例えば、「話題になった本はさらに話題になることによりさらに話題になる・・・」という正のフィードバックが働く。)
これまで無意識のうちに、「平均的な人」「そこからのバラツキ」という発想の仕方をしていなかっただろうか。そのことについて、次のような公文俊平氏の指摘さえある。
この宇宙の中では、ベキ分布(あるいは、ベキ乗の裾野をもつ分布)こそが、もっとも普遍的な分布であって、分布の中にもっぱら正規分布ばかりを見て取ろうとする傾向は、近代的平等主義者ないしリベラリストの知的バイアスだとさえいえるかもしれない。( http://www.ni.tama.ac.jp/shumpei/LastModern_Common/000055.html )
知的バイアスもさることながら、社会のWeb化によって、社会現象のベキ分布的特性がますます顕在化するようになってきた、ということもあるのだろう。
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さて、これまで、組織運営・人事や報酬に関して方針や施策が検討されるにあたっては、成果や能力が「正規分布」することが前提にされていることが多かったと思わざるをえない。早い話、人事評価結果は正規分布に従って調整する。しかし、実際の分布はどうだろうか?
西村肇氏は「人の値段:考え方と計算」の中で、「オーケストラ指揮者」の例をとって、「超一流指揮者」と「一流指揮者」の間の、成果の差、能力の差は次のようなものではないかと推測している。
- 生み出す成果(コンサートあたりどれだけの興行収入を生み出せるか) ⇒ 10倍以上の差
- 能力(どれだけの楽曲を咀嚼して表現することができるか) ⇒ 4倍~8倍の間の差
この能力差のとらえ方等には異論もありうると思われるが、しかし、顧客側の認知やそのネットワーク的相互作用を経ることによって、能力の差以上に成果の差はつく、ということは一般論として言うことができると思われる。しかも市場がグローバルに拡大し、メディアや媒体が発達したことで、サービスを届けることができる範囲は拡大し、成果の差はさらに大きくなっていると考えられる。
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「成果や能力に応じた人事・報酬」という言い方をする時に、そもそも「成果や能力」の違いをどうとらえるか、そしてそれをどのように人事・報酬に反映させるか、そしてそれを従業員にどのように伝えるか、という原則を考え直す必要がある。
その目的はあくまでも、組織/社会としての生産性を高めることにある。どのような報酬配分の原則が組織の生産性を高めるか、ということは、文化にも依存するし、競争環境にも依存するので、考え方は一様にはならない。
配分の原則は、
- 「最低限の賃金を全員に保障しつつ、あとは成果(または能力)の差を極力忠実に反映して配分する」
というものである必要は全くないが、しかし説得力を持ったロジックこそが今後の実務慣行を先導することは間違いないと思われる。
次も候補になりうるし、
- 「あくまでも年功を基盤とすることで、長期勤続による知識構築を方向づけるとともに、生産性の基礎となる組織/社会の安定性を保つことに主眼を置いて配分する。」
次も候補になる。
- 「能力に応じて働き、必要に応じて配分する。」(マルクス/エンゲルス著「ゴータ綱領批判」より)
「必要に応じて配分する」 ・・・ 能力が発揮を求めているとすれば、発揮のためには相応のリソースが必要である。能力発揮の必要性に応じてリソースが配分されることで、組織/社会の生産性も高まることになる。