人材マネジメントの枠組みに関するメモ
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中間管理職の受難が続いているという。「多重責務」による重圧、その割に見返りのない報酬、等々により、中間管理職のモチベーションは低下し、中間管理職への昇進を希望する社員も少なくなりつつあるという。「中間管理職の崩壊」が、企業組織を維持する上でのリスク要因になりつつあるという。

ここでは、それが、過渡期的な要因に基づくものなのか、構造的要因に基づくものなのか考えた上で、中間管理職の将来像について考えてみたい。

本特集では、中間管理職の負担増の要因としては次のようなものが上げられている。これらの負担増にも関わらず、景気低迷期を通じて続いてきた採用抑制によって、新任の管理職には部下マネジメント経験が総体として不足しており、それがダブルパンチになっているという。

<管理対象の拡大>
組織のスリム化による、現場の負担増
組織のフラット化による、管理対象範囲の拡大
人材の属性や雇用形態の多様化による、マネジメントの難易度増

<リスク管理・コンプライアンスの負担>
セクハラ・パワハラ対策
情報管理
内部統制

<人事の負担>
成果主義の浸透による、人事評価の負担増
人材育成責任の現場移譲による、育成の負担増

これら負担増の中には、急激に人を採用したり、新しい制度が導入されたり、という、過渡期的な要因に基づくものがあることは確かである。様々な新制度導入や変更の皺寄せが中間管理職に集中していることは明らかなので、中間管理職の観点から制度や書類を統廃合したり、要員のアンバランスを見直したりすることが必要だろう。

しかし、過渡的な要因というよりも構造的な変化による負担増も明らかにある。人材の価値観や雇用形態などが多様化することで、これまでの管理職にはない管理能力が求められたり、品質問題にしても情報漏洩問題にしても業務遂行に瑕疵があった場合のリスクが増しており、管理の精度アップが求められたりしていることがそれに該当するだろう。これまでのように、組織と社会の同質性を前提にした「信頼関係」「性善説」ではやっておられず、管理の考え方を根本的に改めなければならないのである。

そして、負担増だけではなく、管理職の魅力を積極的に失わせている要因が確かにあると思われる。それは、管理職のリーダーシップの発揮余地が減っている、ということである。例えば、商品やサービスのグローバル化、標準化に伴い、創造性の発揮余地、従って、リーダーシップの発揮余地が限定されてきている。いわば管理職の「コンビニ店長化」である。

逆に、リーダーシップを発揮すべき場合には、リーダーシップを発揮すべき対象が、自らの直接の部下にとどまらなくなっている。クロスファンクショナルチームに見られるように、テーマ別に、地域や部門を越えて物事を変えなければならない。場合によってはそれが国境を越える。

つまり、「部下達の親分」としてのリーダーシップの必要性が減り、リーダーシップの源泉は別のところに移っている。


この解決策はどの方向性にあるか。リーダーシップとマネジメントの再定義と、担い手の分離にしかないように思われる。よく指摘されるように(例えばこちら)、リーダーシップとマネジメントとは似ているようで異なる。従来は、リーダーシップとマネジメントの両方の媒体を中間管理職が担っていたが、それはコミュニケーションコスト上の制約から来ていたものであろう。しかし、コミュニケーションコストが下がるにつれ、人と人が一対一でつながるようになり、経営トップが従業員に直接語りかけたり、部門横断チームを形成する手段も増えている。リーダーシップの主体とマネジメントの主体を分離することが容易になりつつある。

リーダーシップとマネジメントの分離を、組織構造として実現する方法としては、次のようなものになるだろう。

  • クロスファンクショナルチーム
  • マトリクス組織運営
  • マネジメントチームを、マネジメント型とリーダーシップ型の組み合わせで構成する。(どちらがサブリーダーになることもありうる。)

そこにおいては、リーダーシップの担い手が管理職ではなく専門職であることもありうる。若手には専門職指向が強まっていると言われるが、彼らの理想像はそのような、「組織横断的にリーダーシップを発揮できるような専門職」ではないか。若者は、リーダーシップの担い手が変わってきていることを察知しているのではないか。


なお、私が観察する限りでは、やることが増え、しかもリスクが増えれば増えるほど、中間管理職は「防衛」に向かう。成果主義の掛け声は、人の先に立つことよりもむしろ、リスクの回避、自己防衛へと中間管理職を向かわせている。その結果リーダーシップがますます組織の中から枯渇していく。それを打破するためには、何としても、リーダーシップとマネジメントとを仕分け、リーダーからは余計な負担を減らすとともに、セーフティネットを作る必要がある。

なお、本特集では、管理職のあるべき像を再定義する試みの事例として、業績好調な日本ゼオンが取材されている。日本ゼオンでは、中野克彦会長自ら、管理職に求める定義を定め、それを能力要件にブレークダウンし、会長自ら管理職研修で叩き込むことを始めているという。その定義は、「目標とする成果を達成するために、部下の積極的な協力や参加を引き出すこと。」・・・つまりリーダーシップに焦点が当てられたものになっている。企業トップに求められるのはリーダーシップ、トップが求めるのは自らの分身、だから管理職への期待もリーダーシップになるのは当然であると思われるが、管理職に求められるものは必ずしもリーダーシップであるとは限らないので、その点はかえって明確にしておいた方がいいと思う。



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