人材マネジメントの枠組みに関するメモ
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82年にマッキンゼーに入社以来戦略コンサルタントを続けてきた、言うなれば日本における戦略コンサルタントの先頭集団の一人と言っていいかもしれない、波頭亮氏による「プロフェッショナル原論」。

これからの企業社会の相当部分は確実に「プロフェッショナル社会」になる。とはいえプロフェッショナルの定義は難しい。プロフェッショナルをどのように定義したらいいか・・・ということをいつも頭のどこかで考えているので、その定義の参考にしようと、書店に積まれてあったこの新書本を購入し、目を通してみた次第。

内容は、理想化された追憶のマッキンゼーのイメージに基づいて「プロフェッショナルの掟」等を体系的に述べているものなのだが、その内容は、ちょっと理想主義的すぎるというか、「そんなことあるわけねーじゃん」「これとこれは矛盾してるじゃん」と言いたくなるところもあるし、エリートの過剰な自意識に反感を持つ人も多いのではないかと思ってしまうのだが、本書の真のメッセージは次のラインにある。

プロフェッショナルは経済合理性至上主義の世の中で、人間とは自由と誇りによって幸せになることができる存在であることを実証する使命をもったエヴァンジェリストなのである。(P.190)

つまり本書は、プロフェッショナルを、クライアント・インタレスト・ファーストひいては公益を使命とするものと定義し、社会から得る尊敬を糧に経済合理性とは一線を画するものであると定義している。そして経済合理性優先の世の中を憂い、精神的価値・非経済的価値が人々の意識から揺らいでしまった社会の中ではプロフェッショナル一人が本分を守ろうと頑張り抜こうとしても根本的に無理があり、真のプロフェッショナルの居場所がなくなりつつある・・・と嘆いている。しかし逆に、経済が支配する社会の暴走を食い止めるのもプロフェッショナルであるとし、プロフェッショナルよ原点に立ち返って頑張れ、と結んでいるのである。

スーパープロフェッショナルが資本主義の矛盾を一身に引き受けるかのごとき本書の論旨には無理がありすぎると思うし、プロフェッショナル職という極めて限られた職業に対してのみそのような使命を期待する提案の有効性は、限定的だと思う。しかしその問題提起は重い。プロフェッショナル職に限らずビジネスマン一人一人が、自分達の仕事を(経済合理性に偏らないバランス感覚をもって)いかに定義すべきか、ということを考える必要がある。

・・・と丁度昨日、波頭氏と立場の似たプロフェッショナル、つまりボストンコンサルティングのパートナーの方(太田直樹氏)も、ブログで次のように指摘していることに興味を引かれた。

哲学や原則を貫くべき、と稲盛さんは何の飾りもてらいなくストレートに主張します。でも、今は原則を貫くには「私」があまりにも不安定です。「私」はいろいろなものとの関係の中で築かれるものだと思いますが、家族との関係、会社との関係、社会との関係・・・そのぞれぞれが揺らいでいる、あるいは崩壊しているのが今の時代だと思います。

ビジネスマン一人一人が自分の再定義をする必要がある、という指摘と言える。ライブドア騒ぎなどを受けて、世の中が同じようなところに差し掛かっているのかもしれない。


経済合理性が社会の矛盾を拡大させる、という問題を把握するフレームワークとしては、少し古くなるが、一世代前の社会学者ダニエル・ベルの「資本主義の文化的矛盾」のフレームワークほど適切なものを知らない。

ダニエル・ベルは、経済、政治、文化の3セクターの間には本質的な矛盾があり、資本主義が進めば進むほど、社会には分裂がもたらされる、と考えるのである。

  • 政治=「公正」(justice)
  • 経済=技術=「効率」(efficiency)
  • 文化=「自己実現」(self-actualization)

社会というのは極めて包括的な概念であるから、家庭やまた個々人の中においても分裂が生じてくることは言うまでもない。(例えば私は、現状の時間配分こそ、政治:経済:文化それぞれに2:95:3くらいだが、自分の本来の姿は、20:40:40だと思っている。大いなる矛盾である!)

この矛盾の中に、富の偏在化問題も、格差問題も、フリーターの問題も、大衆文化の問題も、全て含まれている。この矛盾を感じずに、脳天気に社会に出て、自分も成功者になりたいと焦っている若者がいたら(・・・多いように見えるのだが)、その感性には重大な欠陥があると私などは思う。

この問題に対してどのようなスタンスをとるか、ということを、ビジネスマン一人一人が表明する責任がある。それが、社会に対する責任であるとともに、自分自身に対する責任である。

その責任に照らして、波頭氏は解答を提示しようとしたのである。プロフェッショナル職こそは、効率、公正、自己実現を同時に実現できる職業であり、そのあるべき姿を貫くことによって社会的なバランサーとしても機能せよ・・・と。

プロフェッショナル職にバランサーを委ねるのではなく、あらゆるビジネスマンが、自分なりに解答を持つ必要がある。(社会に対して、家族に対して、そして自分自身に対して。)


ダニエル・ベルの図式を用いて、企業そしてビジネスマンのミッションを再定義することを提案したい。政治、経済、文化の3セクターの間には抜き差しならぬ、本質的な矛盾があるとしても、そのどれかを否定する(テロル)のではなく、和解を図ることができるような、それぞれのあり方を再定義するしかないのだから。

  • 経済(技術)は、政治のために、文化のために、何ができるのか。
  • 政治は、経済のために、文化のために、何ができるのか。
  • 文化は、経済のために、政治のために、何ができるのか。

合わせて3×2=6つの矢印があり、その矢印の内容を検討していく必要があることになるが、ひとまず経済セクターに所属する立場から、例えば次のような要素を、企業ミッション、仕事のミッション、そしてジョブデスクリプションの中に、組み込んでいく必要がある。

  • 経済(効率)は、政治(公正)のために何ができるのか。――― 非強者向けビジネスの創出。経済活動自体の中へのセーフティネットの組み込み。・・・
  • 経済(効率)は、文化(自己実現)のために何ができるのか。――― 文化的マイノリティ(=ロングテール層)への自己実現チャンスの付与。効率性/技術性(=メソドロジー)の見地から、文化的伝統の再構成と成長・成熟の支援。・・・


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