稲盛和夫さんの本、『生き方』を読んでいて改めて目に留まった箇所があります。
それはそうと、この本は読むたびに感想が変わるのです。すごく勇気づけられることもあれば、反発したくなるときもある。今はどちらかと言えば後者でしょうか。
哲学や原則を貫くべき、と稲盛さんは何の飾りもてらいなくストレートに主張します。でも、今は原則を貫くには「私」があまりにも不安定です。「私」はいろいろなものとの関係の中で築かれるものだと思いますが、家族との関係、会社との関係、社会との関係・・・そのぞれぞれが揺らいでいる、あるいは崩壊しているのが今の時代だと思います。
ですから、稲盛さんのまさに「生き方」のように、家庭を顧みずに仕事に没頭できるのか? 会社に一生をささげて「手の切れるような」製品を作るような社員がどれだけいるのか? DDIを「国民、社会のため」に作ったと言ってもケータイで社会が安定しているのか? などと、いろいろ思ってしまいます。これは、自分がなかなか原則を貫ききれない言い訳だとは分かってはいるのですが・・・
「IT世間」が日本人をダメにする!?
http://blog.goo.ne.jp/kozatori7/e/27b24f8c2ae0afb08c066ba338160b48
国も企業も個人も、原則がなく、ますます機会的(Opportunistic)になっていきます。
話を元に戻すと、稲盛さんが書いているのは、日本は40年ごとに歴史の転換点を迎えてきたということです。順に書くと、
①1868年 明治維新 富国強兵の近代国家の基礎ができる
②1905年 日露戦争に勝利 国際的地位が向上し、以降、強兵に傾斜する
③1945年 第二次世界大戦に敗戦 富国に舵を切る
④1985年 プラザ合意 経済大国のピークを向え、以降、富国も下り坂になる
それで、このままでは2025年に日本はどうなっているか分からない、と書いています。今は40年期で考えるとちょうど折り返し地点ですが、安倍首相のもと中途半端な強兵が論じられ、富国も何が柱か見えませんね。
「富」ということはどういうことなのかを、わたしたちはしっかり考える必要があるのでしょう。そして、また世界の中で日本が存在感を持つものを示す必要があるでしょう。それは、以前書いた「有徳」であるかもしれません。
富国有徳とは
http://blog.goo.ne.jp/kozatori7/e/420f633bc3da1364917706b0af7cb54c
明治維新の青写真を書いた人物
http://blog.goo.ne.jp/kozatori7/e/b48cf57c68c3d30eb650b81137928f9e
ちょっと残念なのは、2025年に転換期があるとしても私は60代にさしかかっているということです。まあ、不摂生がたたってもっと早くにいなくなるかもしれませんけれど。いま書いている本は、2025年に向けた第一歩にしたいなあ、とふと思いました(ああ、風呂敷が広がっていく・・・)
そして、わたしの子供達は、20代でちょうど家から旅立っていくころだなあ、と思いました。その行く先が明るい世界であるようにしたいですね。
それはそうと、この本は読むたびに感想が変わるのです。すごく勇気づけられることもあれば、反発したくなるときもある。今はどちらかと言えば後者でしょうか。
哲学や原則を貫くべき、と稲盛さんは何の飾りもてらいなくストレートに主張します。でも、今は原則を貫くには「私」があまりにも不安定です。「私」はいろいろなものとの関係の中で築かれるものだと思いますが、家族との関係、会社との関係、社会との関係・・・そのぞれぞれが揺らいでいる、あるいは崩壊しているのが今の時代だと思います。
ですから、稲盛さんのまさに「生き方」のように、家庭を顧みずに仕事に没頭できるのか? 会社に一生をささげて「手の切れるような」製品を作るような社員がどれだけいるのか? DDIを「国民、社会のため」に作ったと言ってもケータイで社会が安定しているのか? などと、いろいろ思ってしまいます。これは、自分がなかなか原則を貫ききれない言い訳だとは分かってはいるのですが・・・
「IT世間」が日本人をダメにする!?
http://blog.goo.ne.jp/kozatori7/e/27b24f8c2ae0afb08c066ba338160b48
国も企業も個人も、原則がなく、ますます機会的(Opportunistic)になっていきます。
話を元に戻すと、稲盛さんが書いているのは、日本は40年ごとに歴史の転換点を迎えてきたということです。順に書くと、
①1868年 明治維新 富国強兵の近代国家の基礎ができる
②1905年 日露戦争に勝利 国際的地位が向上し、以降、強兵に傾斜する
③1945年 第二次世界大戦に敗戦 富国に舵を切る
④1985年 プラザ合意 経済大国のピークを向え、以降、富国も下り坂になる
それで、このままでは2025年に日本はどうなっているか分からない、と書いています。今は40年期で考えるとちょうど折り返し地点ですが、安倍首相のもと中途半端な強兵が論じられ、富国も何が柱か見えませんね。
「富」ということはどういうことなのかを、わたしたちはしっかり考える必要があるのでしょう。そして、また世界の中で日本が存在感を持つものを示す必要があるでしょう。それは、以前書いた「有徳」であるかもしれません。
富国有徳とは
http://blog.goo.ne.jp/kozatori7/e/420f633bc3da1364917706b0af7cb54c
明治維新の青写真を書いた人物
http://blog.goo.ne.jp/kozatori7/e/b48cf57c68c3d30eb650b81137928f9e
ちょっと残念なのは、2025年に転換期があるとしても私は60代にさしかかっているということです。まあ、不摂生がたたってもっと早くにいなくなるかもしれませんけれど。いま書いている本は、2025年に向けた第一歩にしたいなあ、とふと思いました(ああ、風呂敷が広がっていく・・・)
そして、わたしの子供達は、20代でちょうど家から旅立っていくころだなあ、と思いました。その行く先が明るい世界であるようにしたいですね。
やはり危機感あふれる波頭亮さんのプロフェッショナル原論を読んでコメントを書いていたら、太田さんのブログが目に入ったので、トラックバックさせていただきました。
本質論のところがコンサルティングプロジェクトでも問われるようになるといいですね。
さて、私は波頭さんの本は未読なのですが、「スーパープロフェッショナル」なるものが、資本主義の矛盾を正すのかどうかは、正直よく分からないです。
実感がないというか。それは、私の覚悟が足りないのかもしれません。
いま時間を使っているのは、「草の根」的なアプローチです。草の根から社会イノベーションが起こるプロセスを探っています。
これもなかなか難しいのですが・・・