人材マネジメントの枠組みに関するメモ
半蔵門オフィス 過去ブログアーカイブ
 



従業員数5人の会社の記事だが、「アナログビジネスの逆襲」を密かに目論んでいる(?)私としては、この記事について今週のうちに(次の日経ビジネスが来る前に)、ざっとでもメモを書いておきたい。

この会社はプラモデルの会社である。アナログにこだわってユニークなポジションを得ている、一目置かれている会社のようで、他のメーカーには権利を与えないスタジオジブリの宮崎駿監督もこの会社にはプラモデル化の権利を与え、スターウォーズの乗り物や登場人物のプラモデル化の権利もこの会社だけに与えられているのだという。

そのこだわりが、徹底した「アナログ」である。

  • 図面コンテンツ―――主力製品は、第2次世界大戦中の戦闘機だが、モデル化の対象を決めると兵器の運用体制や兵士の暮らしまで調査を行い、分かったことを全てプラモデルに詰め込む。つまり、対象は飛行機の図面だけではなくコンテクストを含んでいる。 = プラモデルのことを「情報物」と呼ぶ。
  • 製造―――金型はほとんど内製する。=「金型に感性を入れるために自らの手で作業しなければならない。」「金型は表現するもの。色気のあるパーツを作れ。」
  • その価値の性質。「作る側が少しでも嫌だと思った瞬間、製品はゴミになる。ユーザーはそんなものを買わされたくないから、好きで作ったかどうかはすぐ見抜く。(鈴木代表)」

この対極にあるプラモデル開発の仕方は次のようなものになるだろう。

  • 図面コンテンツ―――三次元CADで取り込んだ飛行機のオリジナル図面を、一定のロジックでプラモデル仕様に落とし込む(スケールダウン、簡素化、パーツ分割方法の決定)。
  • 製造―――三次元成型装置で金型を生成する。
  • この方法によって、「究極の実物縮小版」プラモデルができるかもしれない。それを尊ぶ人もいるだろう。

後者の方法(インクス流?)ではあらゆる「形ある物」はコモディティになる。さて、では、コモディティ化を拒む前者の方法からは、どれだけのビジネスが生まれるだろうか?(その付加価値をいくらでどれくらい売れるだろうか?)

感性を入れるオリジナルの行為が、マスター(原盤=金型)に固定され、それが複製され、複製が重ねられる都度、(アナログの世界では)情報密度は薄れるが、売ることができる数は増える。ファインモールド社はマスターの一次複製でビジネスをしているわけである(=立体版画を売って生きている)。オリジナルの創作行為では1人で生きるのがせいぜいであろうが、この一次複製では5人が生活することができていることに興味が引かれる。これを50人にするためにはどうするか?あるいは、この5人のユニットを増やすためにはどうするか?

 

PS.おぼえがき

近い将来、二次元であると三次元であると、文字情報であると、映像であると、音響であるとを問わず、全ての複製情報は完全なコモディティになるだろう。その次の時代のことを考えたい。そこではオリジナルの価値が問われることになる。ではオリジナルとは何か。

さて、仮に、ここで生のピアノをここで鳴らすというオリジナルの行為を考えよう。鍵盤を下ろすと、ゴオオオン+ポーオオン+キイイーン・・・音要素の限りない広がりが、時間軸の中で干渉しあいながら濃い虹のように、濃い雲のように、立ち現れ、それは人を癒すものであるだろう。しかし、それがデジタルな処理を経た複製品になった時には(CDになったときには)、そのような音の要素は消えてしまい、人はプラスチックな感覚の中に生きることになる。しかし、もう10年もしないうちに録音・録画品質の圧倒的な向上の中で、そのような制約は限りなく消え、世界は、限りなくオリジナルに近いものに囲まれるだろう。

さてそこで、そのオリジナルの源として追い求めていたものも、(市民社会の勃興の中で)複製の要請のためにデジタルな処理がなされたものだったとしたら・・・。実は、(それ以降の音楽がその上に拠って立つ)バッハの音楽がそのようなものとして立ち現れ始めていると思う。20世紀の先鋭的な芸術家の目にとってだけでなく、21世紀の消費者の目にとってもバッハの価値の足元が透けて見え始めている。

音の存在/非存在、音程を記号化し、その組合せで全てを表現したかに見えた時、そこには、「まったり」としたプラスティックな質感が覆いかぶさっていたことに、人々は無意識の中で、気づき始めている。本来シンボル的にも重要であった、「水の轟」に含まれるような、テクスチュアを構成する不規則な要素を除去したところに、音の操作が容易になり、感情/幻想の再生産が容易になり、肥大した音世界が形成されていたことに気づき始めている。

20世紀、預言者としての先鋭的な芸術家達は、

  • 音群の統計的な処理による、きらめき感/ざらつき感の生成(X)
  • ポリリズムの中での、偶然性の錯覚の活用(L)
  • ・・・

・・・によって、「音響本来の感覚」を取り戻そうとしたが、本来の音響感覚を追い求めるセンスが、デジタルワールドの圧倒的な進展の中でかえって、共通のセンスとなりつつある=市民権を得つつあるように思われることに着目している。



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