市場か組織か。資源や所得の配分に関するこの二つの思想の対立が20世紀の大きなテーマであった。市場を重視する立場は、市場の力によってのみ効率的な資源配分が実現されると考える。一方、組織を重視する立場は、市場がもたらす格差を憂慮し、誰かが責任を持って資源配分を行うべき、と考える。
そしてこの論点は、国家のあり方はもとより、企業組織のあり方を考える上でも大きな影響を及ぼしてきた。市場原理を信奉すると、できるだけ小さな組織に分けて分権化するマネジメント方針になりやすいし、組織の力を信奉すると、遠大な理想を掲げて集権化するマネジメント方針になりやすい。
しかしながら、人為的資源配分を突き詰めた共産主義国家の破綻とともに、市場の調整能力を信じる市場原理主義が優勢となった。このように、世界は徐々に市場優勢になっていったようにも思われるが、そのようなことはない。歴史は繰り返すのである。例えば、20世紀初頭の米国は小企業ネットワークが大企業に統合されていった時代であり、経営戦略論の始祖であり「組織は戦略に従う」という有名な言葉を残したアルフレッド・チャンドラーは、市場の諸力の「見えざる手」に近代企業におけるマネジメントの「目に見える手」が取って変わっていく姿を明らかにしようとしたのだった。
この2つの思想の対立は21世紀にはどうなるだろうか。
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実は、市場と組織の垣根は消失している。「市場の組織化」と、「組織の市場化」の両方が進行しているのだ。市場と組織の関係は裏返しにすらなっていることを指摘したい。市場であると思われていた組織と外部との関係が、逆に組織の特徴を帯びるようになり、これまでは組織内部としての密な一体性を持つと思われていたものが、逆に市場の特徴を帯びるようになっている。裏返しに成功した企業、すなわち市場を組織化し、組織を市場化することに成功した企業が成功しているとすら言える。
1)市場の組織化
- 市場は変質しつつあり、市場での取引が組織的意思決定の特徴を帯びつつある。例えば、自動車新製品のサプライチェーンを構成する企業群は、密な情報連携のもとにあり、一つのグループ企業のように取引している。消費者もブランドを通じたメッセージのやり取りを経た購買活動の中で、そのブランドの「コミュニティ」に属しているかのようである。ブランドによって、顧客との関係は商品限りのものではなく継続的なものになる。
- というのも、市場メカニズムは「価格」情報を中心とするが、先進国においては商品の脱コモディティ化に伴い、価格情報以外の情報の比重が重くなるからである。いわゆるイノベーション属性やデザイン属性の比重が重くなり、商品はコーディネートされて初めて価値が出るからである。
- そのような商品においては、作り手、売り手、買い手の間に予め共通の目的や価値が共有されており、信頼関係ができあがっており、そして、その商品の文脈が共有されていて初めて取引が成立するのである。市場の中で相対していても、商品によって目的を達成するために売り手と買い手は協働する。そこには一時的に組織が出来上がっている。
2)組織の市場化
- 逆に、組織も市場的な様相を帯びつつある。組織の階層構造に拠らず、360度全方位に、距離を意識せずに情報連携できるようになったことから、様々な機会が組織メンバー全員に対して開かれ、最も適したメンバーが仕事や資源を獲得できる社内市場が生まれている。
- あるいはアウトソース化の進展。労働力、部品、材料の市場調達が進んでいる。できるだけ標準化、コモディティ化し、市場を用いることにより、コストを削減し、変化への対応力を増そうとする。社内組織も異質なものはできる限りモジュール化し、インターフェースを明確にし、市場と比較できるようにしておき、必要であれば組織ごと切り出してアウトソーサーにしてしまう。
外部を組織に、内部を市場に・・・このように、従来の内部と外部とをを裏返しにするほど、売価は高く、調達価格は安く・・・すなわち高い業績を期待することができるのである。
それをITが支援する。市場原理に基いて必要な能力やリソースを求めて組織を全方向にオープン化しつつ、いざとなったら組織的介入もできるような、情報リッチなインターフェースを用意しておく。あるいは組織的にリソースを調達・配分しながら、いざとなったら市場的調達もできるようにインターフェースを標準化しておく。
ここにおいて、資源や所得の配分は何によって導かれるのか?それはリソースをユニークな形で統合する方向性を与えるブランドであり、商品やサービスの全体アーキテクチャである。