ドトールコーヒー、アデランス、サッポロ・・・外資系ファンドに「ブランド買い」現象が見られるということ、そしてそれはブランドと企業経営との新しい関係を資本市場が求めているからではないか、ということを指摘する記事である。
これを、「ブランド見直しを通じて企業の範囲の再定義が迫られている」と読む。
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企業組織の範囲であるとか、従業員数であるとかいったものは、実は極めてあいまい模糊としたものである。例えば、ソニーは16万人の企業グループである、という言い方をするが、この約16万人という人数は、「資本的な支配関係に照らして財務報告を連結すべき範囲の従業員の数」であって、ソニーの経営が管理対象とすべき人的リソースが16万人であるということには全くならない。「資本の論理は短期志向になりがちだが、人的資産の形成の論理は長期志向が大切である」とよく指摘されるように、財務上の連結範囲が、人的リソース管理の連結範囲と一致すべき理由はない。
ソニーを支える様々な雇用形態の従業員、合弁先、アウトソース先、サプライヤー、販売店、そしてコアな顧客コミュニティ・・・ソニー製品を市場に送り出すための人のネットワークは16万人の範囲よりもはるかに広いだろう。携帯電話のソニーエリクソンや液晶ディスプレイのソニーLCDといった合弁会社は技術的・戦略的に超重要であっても連結対象に入っていないのである。あるいは逆に、16万人全員を管理対象にすることは全くナンセンスかもしれない。ソニー(株)自体の従業員数は1万6千人とグループの10分の1にすぎないのである。ソニーの経営の対象範囲をどう考えたらよいだろうか?どの範囲に、どのような仕方で、経営のリーチを及ぼすべきであろうか?
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しかも、そもそもあいまいな企業の範囲は、取引先や顧客と直につながるデジタル化/ネット化によって、ますますあいまいになっているのである。例えば、東京の真ん中にオフィスを構える大手IT企業であっても、実際にオフィスで働いている社員は社員の数分の一にすぎず、残りの社員は全国や海外のプロジェクトに散らばってオフィスに来ることはほとんどなく、中には自宅で作業をしている人間もいる。顧客のネットワークに入ることができるメンバーもいる。社員とアウトソーサーが机を隣り合わせている。仕事の一部分は、日本の従業員数にカウントされていない上海の拠点がまるごと引き受けていたり、上海と東京の間の直接の行き来はほとんどないが、その代わりにイントラネットでバーチャルにつながっていたりする。
組織図というものも死語になっていたりする。グローバル企業になるとその運営の実態は組織図ではとうてい表せず、詳細な組織図を持たない会社も多い。地域別、事業別、顧客産業別、商品別・・・様々なレポートラインの網の目が張り巡らされてはいるが、従業員にとっても、組織全体の姿は、自分が日常関わる範囲内でしか見えないほどだ。
デジタル/ネットの中ではそもそも境界が存在しない場合もある。たとえばIBMを初めとするIT会社は近年、オープンソースOSのリナックスに積極に関与して、リナックスの開発コミュニティに人を派遣しているが、リナックス開発コミュニティに入ったとたん、そこにはもう組織の境界線はない。世界の誰もが開発に参画できる場なのである。あるいは、アマゾン・ドット・コムの組織の境界は?アマゾンでは商品レビューが販促に大きな役割を果たす。当初はアマゾン社員が書いていた商品レビューだが、今では顧客レビューの比重が質・量とも圧倒的に高くなっており、アマゾンにレビューを書く顧客はアマゾンという組織の一員ではないという理由はない。自分のウェブサイト内にアマゾンへのリンクを貼ることでアマゾンの出店を増殖させるアフィリエイト会員についても同じことが言える。
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そしてその結果、企業の範囲について、顧客からの見え方/従業員からの見え方/資本市場からの見え方の間に食い違いが生じ、それが企業価値を損なっている可能性が高くなっている。ソニーの例でいえば、グローバル化した資本市場からの見え方と、品川を本拠にする従業員からの見え方との間に大きなギャップがあったことは指摘されている。逆に言えば、顧客/資本市場/従業員からの企業の見え方を統合し、明確化することで、ステークホルダー間の信頼関係を強め、リソースを効果的に投入するとともに、投入の効果を上げることができるようになる可能性が高い。
例えば、製品を融合した新しいサービスが生まれる華々しい将来ヴィジョンをマーケットに発信するとする。ヴィジョン発信とともにグループの資本関係や組織運営の仕方も見直さなければ、次のようになってしまう。
- 資本市場は最初こそ大歓迎して株価は高騰するが、間もなく、旧態依然とした業績報告内容に失望売りとなる。
- 消費者は、店頭の製品は旧世代の製品だと思って買い控える。新製品が出たら出たで、以前と変わらないことにかえって失望する。
- 従業員は白けるか、自分は取り残されていると感じて疎外感を感じる。自分の帰属対象意識/アイデンティティがばらばらになり始め、組織運営に齟齬をきたす。
だから、製品融合ヴィジョンを打ち出すとともに、次のように、資本市場、顧客、従業員(組織)に対して手を打つ必要がある。
- 製品を融合して新しい価値を生み出すビジネスモデルに直接寄与しない、単品売りにしかならない事業は連結対象から外してしまう。
- 顧客や取引先には、新しい製品群の活用イメージやビジネスモデルを啓蒙しながら、実現に向けてのロードマップを示す。
- 製品を融合させるためのグループ内横断組織を設置し、そのリーダーを明確にする。
そして、その統合手段はブランド以外にはない。かつてのように、名札をつけ、あるいはスーツを着て名刺を持って歩く従業員、その従業員が働く店舗や事業所・・・これらが企業を代表していた時には、企業の境界線はこれらによって示された。しかしながら、情報が全方向にどこまでも流れるネットの中では、企業の境界線は、コンテンツ自体とそれを示すシンボル=ブランドにしか求めることはできない。だからこそ、ブランドを持つ企業に価値があるのである。
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さて、以上のような観点から、本記事に紹介されている事例を読んでみると、ブラザー工業や東急グループの例が興味深い。どちらも環境変化による深刻な業績不振から立ち直った企業であり、その過程において、ブランドが担うべきメッセージを明確にし、グループを再編し、従業員を巻き込み、コミュニケーションに意を砕き、顧客/従業員/資本市場の理解を束ね、その理解をブランドに統合して求心力を高めてきたことがわかる。一方、トヨタのレクサスの場合には、顧客層をトヨタとは別に設定しながら、設計や技術の線引きはあいまい、資本は同一、と、ちぐはぐな印象をどうしても払拭できない。