人材マネジメントの枠組みに関するメモ
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建設市場が縮小する中、公共事業の談合の根絶を受けて、建設業界は、価格のたたき合いから下請けへの皺寄せへの地獄の苦しみを味わっているという。そして、大ゼネコンから地方の建設事業者まで等しく「工事請負業」であった、従来の建設業ビジネスモデルからの脱却を少しずつ図りつつあるという。将来の建設業のモデルとして、川上(企画)と川下(運営)に事業領域を広げることによってサービス産業化していった欧州の建設業の例などが紹介されている。


私自身、自分の住むマンションの活動に少し携わっていることもあり、マンションの立替えや、区画が細分化されてしまった街区の整備は、将来一大社会問題になると感じているので、不動産/建設業はこれから大きく変わるし、また変わってもらわないと困ると思っている。

国富が保たれている今後数十年の間に(私などが生きている間に)、もう一度都市を全部作り直すくらいのことをしてもらわないと困る。これからの企業の国民的なミッションである、①生活文化の洗練、②環境対応、③金融資産からの価値創出、という3つの課題の中心に、不動産/建設業は位置づけられるのである。


土地の継続的値上がりを背景に土地本位制であった前世紀までの日本経済では、不動産事業/建設事業とはつまるところ、その上で中長期的に価値を生み出すというよりも「土地を取得して転売する」ためのものであり、都市づくり、街づくりには誰も責任を持たないまま、マンション販売による土地の所有権の細分化や相続による土地の細分化もあいまって、首都圏の景観の醜悪化は行き着くところまで行ってしまった。

そして日本という国が成熟期、そして衰退期を迎えつつあるかもしれないというのに、今後の数百年に備えることのできる社会資本を未だ持つことができていないままなのである。むしろスラムが生まれる可能性が高い。そして建設業も、職人を束ねてできるだけ安価に上物を作るだけの存在になってしまい、存在意義が根底から問われている。

土地が値上がりする時代は終わり、「土地を取得し、転売する」という行為自体の意味がなくなったのだから、不動産事業/建設業のあり方は、長期的に付加価値を生み出す産業へと、抜本的に見直される筈なのである。

ここのところ東京の都心では、森ビルや三菱地所を初めとする大手不動産事業者を中心に、建物建設のみならず街作りにも焦点を当てた建設事業が進んできたが、都心だけではなく郊外や地方も含めて、今後膨大な立替需要、リノベーション(再生)需要がある筈なのである。そして、今度整備されるものこそは、100年、200年、300年持つような社会資本でないと困るのである。


そして、そこにおける建設のテーマは、建設技術というよりも、思いっきり住民の合意形成の問題であり、事業組織形成の問題であり、ファイナンス(資金調達)の問題であり、そこに人を集める問題であり、運営維持管理の問題であり、ルールを与える制度の問題であり、すなわち、「マネジメント」の問題である。プロジェクトマネジメント、ファシリティマネジメント、タウンマネジメント等々を組み合わせたマネジメントである。建設業がその担い手でなくして何であろうか?現在そうではないのは何故だろうか?何がボトルネックなのだろうか?

(なお、建設技術そのものも大きく変わって当然であり、実際、大きく変わるのだろう。今時の都心のビル建設ではコンクリートを一切流さずにクレーンを駆使して、外壁を含めた躯体をすごいスピードで作り上げていってしまうことに驚くが、コンクリートを少しずつ流し込みながらゆっくりと固めて積み上げていく従来の工法との違いにも驚く。純技術的見地からは、住宅にしても、マンション建設にしても、今すぐにでも思いきり工法を変えることができるのだろう。工場で建物を作るのに近いこともだってできるだろう。それは建設業の産業アーキテクチャをも変えるのだろう。)


私は、建設業のあるべき姿に向けてのボトルネックが、建設に係る組織形成にある可能性は大きいと考えている。建設業は、専門技能者(職人)とそれを束ねるゼネコン、という組織構造になっており、だから、職種も、役割も、能力基準も、そのようになっている。そして、本社にいるのも技術屋で、ゼネコンの本社のショールームを見ても、建築の本のコーナーを見ても、物理的な工法の話ばかりだ。

建設業は、「ものづくり」を目的に、物理的な技術や技能に応じてモジュール化された産業だったわけだが、技術的な困難度が解消された今では、「社会資本形成」「不動産からの長期的価値創出」という、より高い次元に立った組織アーキテクチャ設計とモジュール化が必要とされていると考えるべきではないか。(モジュール化が進んでいたことが、逆に構造変化への対応を難しくしたケースかもしれない。)


対象物の物理的な性質(ビル/橋/土木・・・)ではなく、社会的/経済的性質に照らして事業ドメインが分けられ、

  • 都心再生
  • 商業地再生
  • 住宅地再生
  • インフラ整備

建物を構成する技能的な専門性ではなく、マネジメントすべき社会的/経済的な関係に照らしてコンピテンシー/プロフェッショナル分野が編成されているべきではないか。

  • 地域社会
  • 販売と組織化
  • 事業アーキテクチャ
  • ファイナンス
  • 資材サプライチェーン
  • 建物のスケルトン(躯体)
  • 建物のインフィル(中身)
  • 管理・メンテナンス


ソフトウェア産業の経緯は、きっと参照されるべきものになると思う。長い間、プログラマかSEかしかいない構築請負業者/派遣業者だったソフトウェア業界が、「ITスキル標準」等によって、意図的にITプロフェッショナルの類型(ITアーキテクト、プロジェクトマネジメント、ITスペシャリスト、アプリケーションスペシャリスト等々)が定義されたことで、プロフェッショナル化の自覚、高度サービス産業化の自覚が生まれてきたと言われるように、不動産/建設業においても、価値創造のプロセスとそこにおけるコンピテンシー分野を意図的に明確化し、プロフェッショナル分野化/人材育成単位化していくことで、変わっていくと思う。逆に言えば、そのような「構築の意思」がない限り、ソフトウェア産業が長い間そうだったように、変わらないのではないか。

(たまたま以前仕事の際に参照したものが手元にあるのだが)10年前の「建設産業政策大綱」や、それを受けた「建設産業の新たな人材開発ビジョン」などは、あくまでも「ものづくり」の世界にとどまっており、その後それが改訂されているという話は聞かない。「大綱」は2010年に向けたものなので、まだ生きているのだろう。

どうしても建設業が従来の大綱の発想から抜け出せないのであれば、ビジネスの現実としては、たとえば鹿島建設も三菱地所も最早同じようなことを目指しているのであるから、そしてプロセスとして連続したことをやっているのであるから(おそらくコンカレントに進めているだろう)、鹿島建設と三菱地所とを束ねてプロセスを描いてみることにより、新しい建設業のプロセス、組織、人材像(プロフェッショナル類型)が見えてくるのではないか。



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