1980年代には超エクセレントカンパニーとしてIBMと並び称されたが、オープンシステム化の潮流の中で急速に凋落し、結局コンパックに買収された旧DECの企業文化についてのルポである。
ルポと言っては悪いのであって、本書は学術書であって、「現代米国ハイテク企業の人類学的研究」ということになる。それは人類学の方法論が注意深く適用されたものであり、MITでの博士論文にさらに推敲が重ねられて出版に至ったものである。それはアメリカ社会学会の賞を受賞し、今や組織エスノグラフィー(民族誌学)という分野の代表的文献であるという。そのあたりの背景について、やはりMITで(組織文化の研究で有名な)エドガー・シャインの元で学んだ神戸大学の金井先生が詳細な解説をつけている。
・・・しかしやはり、ビジネス書として読むと、単なるよくできたルポにすぎない。少し文句を述べさせていただくと、
- 原題はEngineering Culture (企業文化をエンジニアリングする)という魅力的なものなのだが、企業文化操作マニュアルとして使えるような体裁にはなっていない。
- DECにおいては、本書の研究がなされた時点で既に企業文化操作のための各種プログラム(マニュアルや教育研修)があったが、それらの中に既に示されていた企業文化認識を本書が超えることができたのか、それらのプログラムの改善に対して本書の研究が有益なインプットになったのかということも明らかになっていない。
- DECにおける企業文化操作がどのような成果を上げたのか/上げなかったのかということも明らかになっていない。組織としてのパフォーマンスに関する情報やデータは一切出てこないし、結局DECは消滅してしまったわけだが、DECの企業文化とDECの消滅との関係も全く明らかにならない。
この3番目、企業業績への関心の欠如が、本書を、ビジネス書としては致命的な欠陥のある本にしてしまっている。人類学者は企業組織の業績という側面には関心を持たないらしい。社会が定常状態を維持している前近代社会と違って、現代社会においては組織業績の如何が組織の存続や組織メンバーの意欲にとって決定的であることは、近代組織論の基礎となったバーナードの「経営者の役割」においても最重要命題の一つとして示されているのだが、この人類学者はバーナードを引用しているにも関わらず、そのことには無頓着である。
本書の凄さについて誰かに教えていただきたいものである。米国ハイテク企業の企業文化や社員の生態について考える参考書としてならば、私だったらむしろDilbertの方を選ぶ。
◆
せめて、本書を企業文化操作マニュアルとして使えないかと、見出しだけ抜き出してみたので、以下シェアします。この見出しが目次に含まれていないので、実用本としては不便なことこの上ない。逆に、こうやって見出しを眺めてみると、企業文化強化プログラムを企画する上での格好のマニュアルになりうるかもしれない。(そのように読まれたくないから目次に含めていないのかもしれない。)
第1章 文化と組織
1) テック文化―経営の視点
2) 文化と統制
3) 統制の結果
4) 結論:文化の文化を研究する
第2章 環境
1) 組織
アドプロド技術部門
システム&コンポーネント開発グループ
2) 社会的カテゴリー
エンジニア
マネジャー
賃金クラス2
臨時雇用者
労働環境
3) 結論
第3章 イデオロギー ― 目に見えるテック文化の経典
1) 経営陣―リーダーシップの声
公式ステートメント
経営幹部が語る
経営陣の視点
2) スタッフ―専門家の声
専門家の声
3) テックウォッチャー―客観的な声
学術研究
一般経営書
ジャーナリズム
外部の視点の社内での見え方
4) 結論―解読された文化
第4章 呈示儀礼 ― イデオロギーを語る
1) 下に語る―経営陣の講演
塹壕で
カフェテリアの文化
ディスカッション―下に向かって語る
2) 横断的に語る―研修ワークショップ
ブートキャンプ―文化を学ぶ
キャリアセミナー―文化を実践する
ディスカッション―横断的に語る
3) 周囲に語る―作業グループミーティング
チームミーティング
インターグループミーティング
タイムアウトミーティング
ディスカッション―周囲に語る
4) 結論―儀礼と規範的統制
第5章 自己と組織 ― 「黄金の雄牛」の陰で
1) 正規の従業員
組織的自己を管理する
2) 自己を語る
成功した自己―抑制された表出
失敗した自己―燃え尽き
3) 周縁の従業員
賃金クラス2―傍観者として
アウトサイダー―「文化の圏外」
4) 結論―不安定な自己
第6章 結論
1) 文化の管理
2) 文化と成員
3) 文化と企業の力