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雇用融解―これが新しい「日本型雇用」なのか
風間 直樹
東洋経済新報社

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アマゾンの書評に書かれているように、東洋経済の若手記者による先駆的な業績。ここで扱われている中心的な問題は偽装請負の問題であり、偽装請負が、雇用契約とそこにおける労働者保護を迂回し、その土台を侵食するものであるがゆえに、それを「雇用融解」と表現していることは適切であると思われる。

しかしながら、そもそも、

  • 雇用に関わる規制を逃れるためには、個人事業主と請負契約を結べばよい。
  • マクドナルド店長のような管理職を経営者だと言うためには、各店に法人格を与えてしまえばいい。
  • それらにおいて、契約対象は仕事の成果物であって決して労働の提供ではない、と言うためには、成果を定義するとともに成果を生み出すプロセスも書き出して契約の条件に組み込めばよい。

ことほどさように、雇用という概念には限界がある。雇用という概念は、最初から融解している概念であると考えた方がよい。BtoBの取引手法が進化したことにより、すなわち管理手法・ツールの進展により、成果のモジュール化が進み、リソース調達先を探すことが容易になり、法人設立も容易になった中で、そのことがますます顕在化しているにすぎない。

「偽装請負」「偽装雇用」・・・これらは、後から評価して初めてそう名付けられるものであって、言わば後出しジャンケンである。当事者にとっては、最初は単なる「請負」である。「偽装請負」という呼称には悪意がある。まさに、偽装請負(という言葉)を生み出しているのは誰か、その帰結として何が狙われているのか、再度検証する必要がある。

そして、何よりも、雇用、請負、下請・・・これらを統合して扱うことのできる労働ルールが考えられなければなければならない。厚生労働省と経済産業省/中小企業庁が分かれて議論しているような場では効果的なルール設定は望めないだろう。


ルール設定にあたり、契約自由の原則が最初に来るべきことはもちろんである。そして、対等の契約であれば契約内容を第三者が問題にすべき言われはない。(不測のリスクによる人権侵害が生じやすい場合には、様々な保険がカバーすることになるだろう。)

しかし、言うまでもなく実際には、労働に関わる契約が行われる場合には当事者の力関係が対等ではないことが多い。だから歴史的にも労働者の保護が問題になってきた。しかし現在に至るまでに労働の性質も大きく変化してきた。

現在、労働に関わる契約が対等の当事者間の契約であるためには何が必要か。それは、一にも二にも「情報の対称性の確保」であることには異論はない。三がありうるとしても。(参照:「脱格差と活力をもたらす労働市場へ~労働法制の抜本的見直しを~」平成19 年5月21 日規制改革会議再チャレンジワーキンググループ労働タスクフォース)


労働に関わる契約にあたって開示されるべき情報とは何だろうか?それは必ずしも、米国の古典的ジョブデスクリプションの考え方のように仕事の内容の詳細や起こりうることを予め全て決めておくことではない。むしろ次が重要である。

  • 求められる成果
  • 使用者側で想定しているみなし労働時間
  • 拘束時間の実際 (統計値)
  • 拘束時間内の仕事の密度の実際 (定性情報)
  • 仕事に必要な能力形成責任は会社側にあるか、個人側にあるか
  • 従業員に対する意識調査結果
  • 離職率の状況

契約の際に開示されるべき情報の範囲に関して、社会的な合意を形成するとともに、開示を妨げることにつながるような規制はかえって取り払っていかなければならないだろう。例えば、労働時間規制があるために使用者側が時間に関する情報を開示しなくなってしまうことはありうる。そして、労働時間規制があるからといって労働時間が短くなることは決してないのである。

たとえば、

  • 「月に450時間働くことはできますか?」
  • 「仕事に必要な勉強をしたり、本やPCを購入したりするのは、もちろん自己責任です。業務ではありません。(つまり月450時間の労働に加えて、それらも求められることになります。)」

と採用面接で言われるコンサルティング会社を見たことがあるが、それ自体はコンサルティング業界にはめずらしいことでも何でもないし、わかって入社する分には問題ない。しかし、使用者側が「労基署に通報されたら大変」と、そのようなことを採用面接の際に一切言わなくなってしまったら、それは働く側にとって大問題である。しかも、多くの従業員にとって「月450時間・・・」が成果を出すために必要であるとしても、働く時間帯や拘束時間がフレキシブルであるならば、「月450時間・・・」が本当に必要であることを従業員側が立証することは極めて難しい。コンサルティングであるとか、プログラミングであるとか、そういった仕事は人によって、10倍、100倍、1000倍とかの生産性の差がありうるのであるし。。。様々な観点から実情を開示してもらうことが一番重要なのである。

(なお、「みなし時間」を労働契約の内容にする必要があるかどうかについてだが、人によって生産性の桁が違いうるコンサルティングであるとかプログラミングとかいった職種であっても、アウトプットの価格設定の方法として時間積算以外のものが発明されていない現状では、労働契約の内容から「みなし労働時間」を取り払う意味はない。つまり、ホワイトカラー・エグゼンプション制度には意味がない。時間単価を前提に組み立てられている現行の労働法制に別のロジックを加え、制度を複雑にしてコンプライアンスコストを上昇させるよりも、現行の労働法制の管理職の範囲や裁量労働制の適用範囲の拡大によってカバーされるべきと考える。)


以上のような考え方のもと、情報が十分に開示されていたとした場合、本書に扱われている痛ましいケースはどのように解釈されるか、ということを順繰りに考えていくのがよさそうである。本書のメインとなっている偽装雇用とされる製造請負にしても、次のように端的に情報公開がなされているのならば、問題はないのではないだろうか?隠されていた情報の公開でも何でもない、ほとんど自明な内容の公開であるが、契約の際に説明することに意味がある。

  • 当社は製造請負を事業としています。中国ではなく日本で働くことができることが当社の最大のメリットです。特別な技術や設備は何も持たず、機動的で安価な労働力による生産を強みとしています。日本に立地しながら中国企業と競争するために、当社の社員には低賃金での長時間労働が求められます。将来的な雇用の保証も賃金水準の保障もありません。ハンディを負ったサバイバルゲームにチャレンジしませんか!


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