正月の企業基礎論の読書として伊丹教授の書籍をもう一つ、「場のマネジメント」(1999) という本を読んでいる。(その新版にあたる「場の論理とマネジメント」(2003) を読んだ方がいいのかもしれないが、手元にあるのが旧版だったのでひとまずこちら。少々旧いのかもしれないが、書いてあることは基本原理に関することだし、伊丹教授の提唱されることはその後もブレることなく、変化していないようなので、まずは議論の立脚点としてこちらでよいのではないかと。)
「場のマネジメント」も、「人本主義企業」と同じく、「日本的経営」の特徴の中から、普遍性(経済合理性)がありかつ将来重要性が増すと考えられる要素を抽出し、新経営パラダイムとして提示するものとなっている。
狙いとアプローチは、ピーター・センゲの「The Fifth Discipline」(1990)(邦訳名は「最強組織の法則」)と似ているように思える。なお、このピーター・センゲの本は、「学習する組織(ラーニング・オーガニゼーション)」の概念を提唱したものとして有名になり、ロングセラーになってきた本である。・・・というわけで、ピーター・センゲの本も一緒に並べて読むことにする。
どちらも、20世紀の工業社会(旧い言葉!)における組織原理である階層構造(ヒエラルキー)の原理に代わる、新しい組織原理を打ち出そうとしている。
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伊丹教授は、新しい組織原理を、従来の「ヒエラルキーパラダイム」に代わる「場のパラダイム」と呼び、場の要素として次を列挙している。
- アジェンダ(情報は何に関するものか) ・・・(P)
- 解釈コード(情報はどう解釈すべきか) ・・・(C)
- 情報のキャリア(情報を伝えている媒体) ・・・(C)
- 連帯欲求 ・・・(W)
ピーター・センゲは、新しい組織原理を、「学習する組織」と呼び、その要素として次を列挙している。
- 共有ビジョン ・・・(P)
- メンタル・モデルの克服 ・・・(C)
- システム思考 ・・・(C)
- チーム学習 ・・・(W)
- 自己マスタリー ・・・(W)
以上に列挙された要素は、よく見ると実は、いずれもチェスター・I・バーナードが(本ブログで何度か引用している)「経営者の役割」で提示した組織の要素と同じである。バーナード流では組織の要素は次の3つであるが、伊丹教授の「場」も、センゲの「学習組織」も、この言い換えであると考えることができる。先に列挙した要素の横の(P) (C) (W) というのが対応を示す。
- 共通目的(Purpose) ・・・(P)
- コミュニケーション(Communication) ・・・(C)
- 貢献意欲(Willingness) ・・・(W)
バーナードはそもそも、企業組織を「協働の体系」として描いており、ヒエラルキーの組織構造も「コミュニケーション」の手段として位置づけているにすぎない。伊丹教授の論はバーナードの論から外に出ているわけでは全くなく、むしろ、要素を比較すると、ほとんど同じである。
というわけで、新しい時代の組織原理として提唱されているものが、実は1938年に書かれた古典に立ち戻っていることに気づくのであるが、単に立ち戻っているだけではなく、「協働」という現象の基本要素に遡ってその内容を吟味し、再定義し、新しい手段を与える必要に迫られている、ということを考える必要がある。
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新しい組織原理はどのような必要性に応えなければならないのか?
それは、(バーナード流に表現すると、)組織力すなわち、組織の効果(組織目的の達成力)と効率(協働意欲の生成力)とを、これまで以上に高めることである。世界レベルで競合他社よりも組織の効果・効率を高めることである。不確実な状況の中でも組織の効果・効率を維持することである。物質的豊かさという産業社会の自明の目的の意味が薄れ、別の目的が台頭してきている中にあっても、組織の効果・効率を維持することである。
そのために、メンバーの間で有意味にやりとりされる情報の量とスピードを徹底的に高めることができるような組織運営原理が、「場」の論理であり、「学習する組織」の論理なのである。いずれも、「ヒエラルキーモデル」になかった「コミュニケーションの双方向性」の可能性を様々に開くことによって、有意味な情報流の量とスピードを高めることを狙ったものになっている。ここで、情報流、すなわちコミュニケーションの内容、量、およびスピードをいかに記述するか、ということが問題になっている。
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(ここからは伊丹教授の論の進め方に焦点を当てながら。)伊丹教授は、「構造論」と「プロセス論」とを対比しており、従来の組織論が、図式的・定量的に記述しやすい「構造論」にとどまりがちだったことを指摘し、たとえ記述が難しくても今後は「プロセス論」に踏み出すべき、としている。そのために、生命論や生物学の比喩、オーケストラの比喩、あるいは、流体をかきまぜる操作の比喩を用いている。(所謂「ホロニックな」論を志向している。)
ここまできたところで、コンサルタントの我々は伊丹教授とお別れして、別の道を歩む必要がある。「ホロニック」な記述は比喩にしかなりえないのだから。「生命」を認識してもそれは人為的に再構成してみせることができないのだから。施策を構成し、展開し、(繰り返しや検証が可能な)制度として設計するためには、構造で記述するしかないのである。あくまでも我々は構造によって組織のプロセスを記述していかなければならない。(ひらたく言えば、現場で「生命」とか「脳モデル」とか口にしてはいけない。)
それは実はそれほど難しいことではない。組織構造はヒエラルキーだけではない。ヒエラルキー以外の構造モデル、コミュニケーションモデルを様々に組み合わせて用いながら、コミュニケーションプロセスの実態やあるべき姿に迫ることができるのだから。例えば次のように。
- 上下の情報連鎖の強化 ・・・ヒエラルキーを上から下の情報流としてだけではなく、下から上への情報流としても設計する。そのすりあわせ方を定義しておく。 ・・・これはドラッカーがはじめて目標管理を提唱した際に狙ったもの
- 水平の情報連鎖の強化 ・・・プロセス内の情報受渡し内容と方法を厳密に定義することにより、プロセス内で起こっていることはプロセス全体で共有し、把握できるようにする。 ・・・これはトヨタ生産方式方式
- 組織全体から等距離の参照点の設置 ・・・共有するヴィジョン、共有する設計図、その記述方式や修正ルールの定義。 ・・・これはオープンソース方式
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