米国IBMが、スキル軸でグローバルに人材を把握し、ロケーションに関係なく、グローバルに必要な時に必要な人材を調達する、所謂「人材サプライチェーン」を本格的に構築・運用しようとしている、という記事。記事に曰く、
個々の仕事について、各地の拠点から誰を使うべきかを判断する数式まで作り上げた。人のスキルを表す標準規格と個々の従業員を最大限有効活用する算出方法を開発したのだ。この成果は「プロフェッショナルマーケットプレース」として実践された。コンサルタントらが社内7万人の履歴からチームを選抜する道具だ。
・・・すなわち、スキル標準/人材データベース/マッチングシステム、といったところだろう。実は私の本業に近いところでもあり、私自身、顧客からスキル/コンピテンシー基準とマッチングの仕組みを作ってくれ、と言われたら、いくらでも作りはするけれども・・・
さて、しかし、この壮大な構想が実効性を持つためには、課題は沢山あるだろう。すなわち、
- 仕事や人材の規格化(スペック化)は必ずしも容易ではない。
- 特定の人材が規格に合っているかどうか、測定のプロセスが難しい。
- 規格化したところで、規格に合わせて一朝一夕に人材を生産できるわけではない。
- そして何よりも、規格化した瞬間にコモディティ(汎用品)になってしまう!!!(例えば経産省のITスキル標準がIT技術者の単価を下げる方向にしか働いていない、という話もある。)
何よりもポイントはこの4番目だと思うのである。人材の規格化、ということには、困難な点だけではなく、何かしら、価値創造に逆行するものがあるのだ。だから、例えば、「自らのスキルを登録せよ」と言われても、拒む人が絶対に出てくる。米IBMにおいても改革を拒む人も多い、という。記事によれば、「グローバリゼーション計画について3日間の会議を開いた時、参加を求めた450人の10%以上が欠席した」という。人材をグローバルに調達する話(=端的に言えばインドに持っていくという話)なので、米国人スタッフの利害に反するのだから当然でもあるだろうが。
さて、人材の規格化とグローバル調達への抵抗は、ラッダイト運動(産業革命時の機械打ち壊し運動=無駄な抵抗)なのだろうか?それとも、何かしらオーソドクスな判断、合理性を含んでいるだろうか?
結論から言うと、私の予想では、人材の規格化/データベース化/マッチングシステム化、それを用いた人材のグローバル調達、ということは、人材活用の本流にはならないと思う。なぜなら、人材の側で、規格化に乗る(自らのスキルを登録する)インセンティブがない。かえって、規格化に乗らない(自らを、規格にはまらないレア人材として位置づける)インセンティブの方が働く。インセンティブがないものは、本流にはならないのである。
さて、では、規格化に乗らない人はどうするのだろうか?人材サプライチェーンの網の目から取り残されてしまうのではないだろうか?次のようにすればよい。
- 人と人のネットワークを活用する。(7人の知人の7人知人の・・・7の5乗では・・・世界の狭さを信じる。)
- データベースに登録するのではなく、非定型情報による情報発信をする。(簡単に言えばGoogleにひっかかるようにする。)
- 自らカテゴリーを作りだす。
そして、人事部門は、人材データベースを作るよりも、人と人のネットワークを形成させるための支援をする方が早いだろう。ただ、この場合にも、共通言語が必要になる。よく定義され、標準化された言葉を使う人達の間にこそ、有効な信頼関係、ネットワークが生まれるのだから。
人材の規格化の動きと規格化から意図的に外れようとする動き・・・このせめぎあいの世界は続いていくのだろう。そして、人材サプライチェーンに多大な費用をかけても、それ自体からは、思ったほどの効果は生まれないだろう。