脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

「個別的自営権」。

2015年06月28日 15時11分34秒 | 今日のたわ言
アメリカの連邦最高裁が全ての州での同性婚を認めるという判決を出した。
同性婚はオランダやフランス、スペイン、ベルギー等ヨーロッパや中南米
の国々でも既に認められているが、アメリカが同性婚を認めたという影響
は、同性愛・同性婚の容認については、今後世界的な潮流となるだろう。

日本では憲法の規定が「婚姻は両性の合意」に基づくということになって
いるが、「両性」を男女と限定せず、男男、女女でも両性であると解釈改
憲すれば、同性婚も可能であると思うが、現段階では、日本で同性婚を認
めることは憲法違反なのであろうか。

安全保障の集団的自衛権は違憲だが、個別的自衛権は自然権的なものであ
り憲法の範囲内であると、私も思う。ならば、「個別的自営権」とでもい
うような、自ら自由に生活を営む権利でも想定したらどうか。

つまり、個々人が個別に異性と結婚しようが同性としようが、自由な権利
があるという考えである。どこからどこまで「自由」な「個別的自営」を
生活に認めるかは、今後の世の中の推移と、裁判所の判例の積み重ね等が
必要である。

勿論「個別的自営権」はダジャレだが、国家ばかりではなく、国民個人に
も生活を自己決定して営む権利として「自営権」がある、そんな方向から
も憲法論議を考えて良いのではなかろうか。それゆえに他国の戦争に加担
するかのような、現今の安保法制には反対であり、反対する権利が国民の
個々人には存する(賛成したいヒトには賛成する権利も当然ある)という意
味でもある。

憲法は権力の恣意を縛るためのものである。国民の意思を絶対的に拘束す
るための最高規範ではないと思う。国民こそが、憲法の主役である。国家
意思よりも国民意思で貫かれた憲法の運営が何より尊ばれるべきである。


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