ある日の新聞に [名前とは 親が子に贈る詩]という言葉がある・・・・の記事
名前は 数文字1~3文字にすぎない詩 でもその中の文字には 長文のような願いがこめられていると
生まれたばかりのわが子を 見つめ 触れながら
親たちは その与えられた命だけに
与える名前を 思案する
親が子を 子が親をと 連日のように 索漠とした記事が
その時 その一瞬でも わが名前に込められた詩を 思い出してほしい・・・・と
もうすぐ 何度目かの誕生日 私の名前には どんな詩があるのだろうか? と
ふと 今頃になって思う 朝の静かな時の流れのせい?
「名づけられた葉」 新川和江(詩人)
にんげんの歴史の幹から 分かれた小枝に
不安げに しがみついた
おさない葉っぱに すぎないけれど
わたしは 呼ばれる
わたしだけの 名で 朝に夕に
名づけられた葉なのだから
名前は 数文字1~3文字にすぎない詩 でもその中の文字には 長文のような願いがこめられていると
生まれたばかりのわが子を 見つめ 触れながら
親たちは その与えられた命だけに
与える名前を 思案する
親が子を 子が親をと 連日のように 索漠とした記事が
その時 その一瞬でも わが名前に込められた詩を 思い出してほしい・・・・と
もうすぐ 何度目かの誕生日 私の名前には どんな詩があるのだろうか? と
ふと 今頃になって思う 朝の静かな時の流れのせい?
「名づけられた葉」 新川和江(詩人)
にんげんの歴史の幹から 分かれた小枝に
不安げに しがみついた
おさない葉っぱに すぎないけれど
わたしは 呼ばれる
わたしだけの 名で 朝に夕に
名づけられた葉なのだから
なんとなく自分の名前と思っていましたが、
この詩を見せてもらい、親がどんなことを願って、付けてくれたのか、感慨深いものがあります。
産まれる前は、五体満足に生まれて欲しいと願い、産まれてからは、元気に育って欲しいと願うものです。
元気でさえあれば、貧乏しようが、何とか生きていけますからね。
親は、子供に対して、無償の愛を分け与えますが、子供は” 親の思い子 知らず ”で、親が亡くなってから、初めてそれが解かってくるものなのでしょう。
小生も、そうでしたが、親の生きているうちに、親に感謝して、親孝行をすればよいものを、なかなか、それが足りず、亡くなって初めて、親の有難いことに、気がつくことになるのです。
畑 すすんでいますか?
今日は、いい天気・・・つくりものには、丁度、いいのでは・・・
小生、だいたい終わりました。
あと少し、まわりの草むしりが残っています。
ホウレンソウ、チンゲン菜、ダイコンなど
芽がでてきています。
もらったモミ殻を肥料の替わりに、畑にまいています。