ニューヨークのアートマーケットの活況を知らせるビッグニュースが飛び込んできました。サイトなどでご覧になった方も多いでしょう。ニューヨークの競売商クリスティーズのオークションに、ピカソ「ヌード、観葉植物と胸像」で、愛人マリーテレーズ・ワルテルを描いた1932年の作品。日本円にして101億で落札されました。落札主は公開されていません。ピカソは生涯7人とも8人とも言われる夫人、愛人の間を行き来したことは有名で、新しい愛人に触発され作品も変貌していったのです。この作品の2年前からマリーテレーズとの関係は始まっていて、前妻オルガとの二重関係で苦しんだ時期。マリーテレーズのイメージを豊かな丸みを帯びたゆったりとした曲線で描いたピカソ。新たなインスピレーションの源となった恋人の官能性?に満ちたヌード。
いきなり夏日で、猫もぐったりの暑さかな、ということで、またペットネタですか?と思われるかもしれませんが、早くも国内美術館コレクションのお気に入りの絵画を取り上げる2回目。ぐったりと連休疲れの方もいるかもしれません。そういうときは安らぎのミレー作品はいかがでしょう。近現代美術コレクションでも定評のあるニューオータニ美術館から、ジャン=フランソワ・ミレーのパステル画「田園に沈む夕陽」(1865-67年)。荘重な趣の中に刻々と変化していく光の変幻をとらえた逸品。印象派の画家たちに影響を与えたミレーならではの大地と空の永遠性をみつめます。
このタイトルはシリーズで、私のお気に入りの作品を紹介。第1回は、東郷青児美術館の東郷の1959年の作品「望郷」。二科会の創立メンバーとして果敢に前衛運動の旗手として立ち上がり、キュビスムや構成主義的展開ののちに、ロマンチシズム溢れる女性美へと到達した。グレーのトーンの諧調がリリシズムを誘う1点。
GWに東京国際フォーラム(有楽町)で開催されているクラシックの祭典「ラ・フォルジュネ・ォ・ジャポン」の今年はショパン生誕200年を記念して、ショパン三昧。1日に世界的な一流演奏家のショパンのコンサートを同会場で梯子できるなんて、なんと贅沢。でも物凄い人出。何十万人もクラシックファンが押し寄せるのです。言わずと知れたロマン派のピア二ストでもあったショパンは、繊細華麗な装飾的音階のタッチでそれまでにない近代性を切り開いたのです。同時代に生きたロマン派の画家、ドラクロワとも親交があり、ドラクロワが描いたショパンの肖像画がルーヴル美術館に残されています。印象派が近代美術の扉を開いたことは有名ですが、その序章としてロマン派の活躍がありました。たとえば『赤と黒』のスタンダールは美の形式に自由を主張しました。19世紀初頭、文学や音楽とも呼応して、美術においてもそれまでの古典主義的美学の規定的な枠をはずして、芸術家の個性に根ざした美の創出をつくりだそうとする機運が生まれてきました。ロマン派は感受性を重視し、色彩に、筆のタッチに自己の感情を投影しました。その動的なドラマチックな要素が絵画のスタイルに登場してきたのです。主観、個性の表現ですね。イギリスでは風景画家、嵐の劇的な海の景色を描いたターナーが新しい時代を築いていきます。
猫に続いて犬?なんて思われているでしょうが、我が家には、もう一人の女盛りの癒し系女子のチワワ、ノアがいるのです。まだまだ出てくるの?なんて、もうペットはこれでおしまいです。カリカリと原稿を私が書いているときは、遠目で「しっかりやってね」と励まし、ちょっと休憩のときは、「私と遊んで」とお気に入りのマスコットを持ってきたりします。
外出して帰宅したときは、「お帰りのラブコール」今日はやめとこ、なんて人間たちは結構ありますが。犬と名画となると本当に長い歴史があり、西洋美術史では古くから宮廷の肖像画や歴史画に登場してきました。ベラスケスやルーベンスなど宮廷画家も王侯貴族の愛玩犬を写実技を生かしてその愛らしさを讃えたのです。ルネサンス後期のヴェネツィアのティツィアーノの「ダナエ」や「横たわるヴィーナス」など裸婦像の傍には従順を寓意する犬が描かれています。美女と愛らしい子犬のような従順さ、男性の永遠の理想像かも。
外出して帰宅したときは、「お帰りのラブコール」今日はやめとこ、なんて人間たちは結構ありますが。犬と名画となると本当に長い歴史があり、西洋美術史では古くから宮廷の肖像画や歴史画に登場してきました。ベラスケスやルーベンスなど宮廷画家も王侯貴族の愛玩犬を写実技を生かしてその愛らしさを讃えたのです。ルネサンス後期のヴェネツィアのティツィアーノの「ダナエ」や「横たわるヴィーナス」など裸婦像の傍には従順を寓意する犬が描かれています。美女と愛らしい子犬のような従順さ、男性の永遠の理想像かも。
今日がGWの交通渋滞のピークとか。桜前線を求めて東北に向かう方もいるでしょう。日本人の桜に寄せる思いは特別ですよね。〈さまざまの 事思ひ出す さくらかな〉芭蕉の晩年の有名な句ですが。また西行の歌では〈吉野山 花の散りにし 木の下に 留めし心は われを待つらん〉が好きですね。日本的詩情というか、余韻がある・・・。近代にはいって高浜虚子は客観写生の道を説き、虚心をもって実に迫る。主観的、個人的主張を排除していくことですよね。これは日本画の花鳥画、写生の心に通じることなのです。無心にして一木一草に心傾ける。ここには万物融合の奥義がある。この写生観は、西洋的な細かく説明的に描くのではなく、余白の美しさ、余白を生かす(間と言ってもいいかもしれません)ことで象徴性をもたせる。東洋的美意識ですね。俳壇の重鎮、深見けん二の〈蝶に会ひ人に会ひ又蝶に会ふ〉という句は、師である虚子の客観写生の地を継ぐものでしょう。蝶と人、ここでは同じ次元に立っている。まさしく風雅の境地にですね。
我が家には娘ざかりのミクという猫がいるのです。猫をモチーフに描いた画家と言えば、レオナール藤田や加山又造の名品も浮かびますよね。北斎漫画の猫百態なんか思い浮かべた方、なかなか通ですよ。そんなことは皆様ご存じですからここでは省いて、うちのミクのこと。光ものが好きなこの子は(家主に似てるといわれてますが)、一夜にしてピンナップしていたポスターやきれいなチラシを止めていたインテリアの一部の、ピンを壁から外してレイアウトを変更、これは取って、これは残して置こうなんて考えていないと思うけど、「私、この絵は好き」なん猫心で思ってくれたらステキ。
室内を自分の好きなアートで飾る、これは誰もが望むことだが、マティス、ピカソの版画、リトグラフといってもやはりある程度高額になる。そこで私が提案するのは、アメリカ戦後に活躍するポロック以後の抽象表現主義の画家たちのポスターだ。瞑想的な色彩派のマーク・ロスコ、、色彩のフィールドを開いたバーネット・ニューマンなど、固定的な抽象作品ではない自由な多様さが開放感を呼び起こしてくれる。そこから系列的にポストカードをインテリアに加えたりとちょっとした自分なりのギャラリー空間をつくってみるのをお勧めしたい。1点豪華主義もいいけど、そういったショップを歩きながら買い足してみるのも楽しみの一つだ。『Art Journal』(アートジャーナル社)で、〈戦後現代美術の流れ〉の連載をしていますので、それも参考にして頂きたい。つぎは、ニュー・ペインティングのサンドロ・キアを取り上げる予定。ところで今では各美術館のショップも充実しているので、そこで自分だけのお気に入りの1点を見つけることができるかも。
企業のメセナ活動の一環として、若手作家の活動支援や新人発掘のコンクール展が勃発した時期があった。バブル崩壊の前でその部門の担当者に取材しシリーズで記事をまとめたことがある。キリンビールの幅広いメディアを扱った大賞展やシャチハタは発表の場を支援する活動、メルセデス・ベンツはフランスで滞在し制作するアーティスト・インレジデンスの支援であった。それはほんの一部であるが、現在まで続行し若手アーティストの登竜門的存在になっているコンクールもある。現在私が注目しているのは、企業の美術コレクションを基盤とした縦横な企画展の展開、積極的に文化力としてアートを活用しようとする企業のビジョンである。印象派、エミール・ガレ、ティファニーのコレクションで知られるポーラ・ホールディングスヤ三井文化財団、資生堂ギャラリーの活動は言うまでもなく、今春オープンした三菱一号館美術館はロートレックのコレクションを基軸に、明治当時の建物を復元することで、新たなアート戦略に踏み込んでいる。文化支援に各企業それぞれが潤沢な予算を組んでいるわけではない。厳しい経済状況の中で日本のトップ企業が次代に向けてアートによる活力を生み出そうとする視点が興味深い。スイスのある企業の財団コレクションの展覧会が数年前に森美術館で開催されたが、企業内美術教育にも一役買っているということだ。ヨーロッパ的循環型の価値基準がアートの面でも日本に新たな光を見出していけるのか、今後の取材テーマとして取り組んでいきたいと思っている。
「アートで生き生き」というタイトルは、『月刊美術』の長期連載となっている日野原重明氏の好評エッセイから拝借したものだ。日野原先生の日々の人との出会いや美術や音楽にお詳しい先生ならではの、いかに豊かに人生を生きていくかというメッセージが含まれている。優しい語り口調にそれだけで癒されるが、ここには現代が抱え込む心の闇、経済効率優先の時代にあっていかに芸術が心のゆとり、支えとなっているか、感性が大切なことを語りかけてくれる。最近では有名美術評論家の現代アートで女性磨きなどという軽いタッチの本もでているが(内容は詳しく拝読していません)、美術は今はやりの脳トレには、鑑賞する側、表現する側の垣根をこえて効果絶大と考えている。日常空間からスリップして古代ローマの彫像の作品群に触れるも良し、バロックの歪んだ構成に首をひねって見るのも良し、「これ作品なの?」と思わせる、内藤礼さんのひそやかな、身近な素材を使って既成概念をずらしてみせる空間に浸るのも良し、1500円ほどの鑑賞券で時間制限のないアート食べ放題。本当の贅沢な時間だと思いませんか・・・。