漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

右でも左でもない「近代史の本」

2016年09月30日 | 歴史
え~と、
知ってる人は知ってるけど、知らない人も多いかもしれない話。

第一次世界大戦は兵器の飛躍的な発達により、
参戦したヨーロッパ各国は、その勝ち負けにかかわらず、

それまでの戦争では想像もできなかったほどの悲惨な戦禍を被りました。

人もたくさん死んだし、建物も徹底的に破壊された、
何よりも戦場が遠く離れた植民地ではなく、自分たちの暮らす地域での戦闘でしたから悲惨。

戦後、「もう戦争はいやだ」、
「これからは戦争をしてはいけない」と思った首脳たちが集まり、

「パリ不戦条約」を結ぶのですが、その第一条、

「締約国は、
国際紛争解決のために戦争に訴えることを非難し、

かつ、国家政策の手段としての
戦争を放棄することを、その各々の人民の名において宣言する。」


こうして、高らかに宣言された戦争放棄の思想は、
それ以前の時代、ヨーロッパの列強が進めていた植民地の拡大と云う、

「戦争を国家の権利とする思想」から大転換する画期的なものでした。

処がここに、
第一次世界大戦ではほとんど戦闘をせず

故に「戦禍」もこうむらず、

ヨーロッパの敗戦国が持っていた、
アジアの植民地の権利を手に入れる、と云うタナボタで、

漁夫の利を得て「戦果」を手にした国、日本が、

パリ不戦条約とは、

欧州列強が、
自分たちの持つ巨大な植民地の権益を固定するためのものだ」、と考え、

この条文を軽視して、近隣諸国への武力侵入を繰り返します。

この、日本やドイツ、イタリアなどの行動により、
またもや世界戦争が始まり、第一次の世界戦争より、

さらに悲惨な結果となったのは、皆さまご存知の通り。

処で、このパリ不戦条約の第一条、なんだか聞き覚えはありませんか。

特に、
「国家の手段として、戦争を放棄することを宣言する。」

などと云う文言は、我が日本の憲法にそっくり。

いまの憲法は、たしかに、
占領国アメリカが、

日本の軍事力を抑え込もうとして作らせたものだと思うのですが、

この憲法を、アメリカの統治者も驚くほど、
「熱狂的に受け入れた」のが、ほかならぬ日本国民。

なぜなら、原爆や大都市への空襲、沖縄戦などによる
無差別殺戮や壊滅的な国土の荒廃に打ちのめされ、、

「戦争はイヤだ」、
「もう戦争をしてはならない」と肝に銘じた日本国民は、

新憲法にある「戦争放棄」の文言に飛びついたのです。

処でもし、日本人が、
第一次世界大戦の時点で、それなりの悲惨な戦禍を被っていたなら、

軍部が先走りし、政治家がそれに従い、
新聞が部数を伸ばすためにあおり立て、国民が熱望し

ついに始まったアジア太平洋戦争はなかったかもしれない。

細谷雄一著、「歴史認識とはなにか」を読みながらそんなことを思った。

この本、思想的には、
右でも左でもなく、世界史や日本史といった垣根も取り払った、

とてもいい本だと私は思いました。

学校で近代史を“習いそこなった”若い人などにもおススメです。






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