漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

世の中に まじらぬとには あらねども

2010年03月21日 | ものがたり
一瞬の春風と共に、
ふわりとサファリハットが舞い上がり、草むらに落ちた。

「あ、」と思いながら目で追う先には、

道ばたに広がる若草色と、
その上に散った花びら、そして薄いベージュ色の帽子が乗っている。

思わず空を見上げると、
頼りなげなやせた木には不似合いなほどの桜色が広がっていて、
花びらがちらほらと風に舞っている。

帽子をひろいながら「もう春ね」とつぶやき、

声に出したことに驚きながら、
「もうすぐ四月なのよ、当たり前じゃないの」と、一人で否定する。

もう一度 桜の木を見上げ、
今年は花見に行こうと云う誘いも来ないなと思った。

去年までなら同僚の誰かが声をかけた。

それまでは煩(わずら)わしかったはずのその誘いが、
今年はないとなると、今の自分の境遇を見せつけられるようで、わびしい。

もう、会社を辞めて二週間過ぎた、
とうに五十を過ぎた身には まともな就職先など見つかりそうもない。

世間の不況と自分の年齢を考えれば、
つなぎつなぎの仕事で、
その日その日を送るよりないのだろうなと、すでに覚悟はできている。

失業保険で暮らす身なのに、
美弥が焦らないのは、あと数年で年金が出ると云う安心もある。

年相応の貯金もあるし、ささやかながらマンションも持った、
質素に暮らす自分の生活レベルなら、これからのことも何とかなるだろう、

そう思って、自分を落ちつかせる。

去年、女手一つで育ててくれた母が逝って、係累はいない。

もともと淋しい家庭に育った美弥は恋愛にも臆病で、
まじめそうな誘いを幾度か受け、
交際らしきものをした経験もあるが、どれも自分の方から遠ざかり、そのまま途絶えた。

心配した母が、
あちこちに声を掛けたことで見合いの話も来たが、いずれも気乗りはしなかった。

そうこうしているうちに四十を過ぎ、
母もあきらめたか、それまではあった話も途絶えると、

私は一人で生きるのだからと自分を納得させた。

この帽子の色のようだなとふと思う。

いつも控えめで自己主張と云うものが無い色。
物静かで邪魔にもならぬが頼りにされることもない、まるで自分のような色。

目立つことが嫌いで、
いつも誰かの後ろから、肩越しに世の中を眺めてきた自分。

ふと「もういいかな」と思う。

美弥には昔から、
古代の歌人、西行のような漂白の旅に出たいと云う漠然とした憧れがある。

以前までそれは、
現実逃避の空想に過ぎないと自分を戒めていたのだが、
「もういいのかな、そんなことを実現させても」、と思った。

夢みる乙女のような話だが、もう、それを諌(いさ)める人も居ない。

「何をしてもいい、自由なんだ」と気がつくと、
にわかに動悸が高まり胸が苦しくなって、そのあとからじわじわと喜びが湧いて来た。

今までは、自分で自分を抑えていたが、
これからは、好きなことをしていいのだ、と思う。

そうだ、スケッチブックとカメラを持って、宛てもない旅に出よう。

宿も予定も行く先も決めず旅に出る、
ああ、なんと素敵で伸び伸びとしたことか、

急いで帽子をかぶりなおすと、
今すぐ出発しようと決意し、クルリと振り向き歩き出した。

もう、あしたから、とか、
計画を練ってから、とか、
そんな今までの自分のような つまらない考えは捨てよう。

真っ直ぐに前を見つめて歩きながら、
「もしかしたら、
 旅先が気に入って住み着くかもしれないわ。」と口に出して言い、

「それでもいい、それもすてきじゃないの」と思う。

足どりがどんどん軽くなる。

だけど、美弥には、本当のことがわかっている、
「きっと帰って来るに違いない、」と云うそのことが、

だって、
「地味だが堅実」、それこそが美弥らしい生き方なのであり、

それ以外の生き方など・・・ないのだから。






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