五十年ほど前かな、
世界中で学生運動が過激化し、
デモやストライキ、
反戦運動などが燃え上がった時代がありました。
フランスでは、
五月革命と呼ばれたゼネスト、
アメリカではベトナム反戦運動、
我が日本では全共闘の活動や東大紛争の混乱などなど。
そのころデモ隊の中には、
チェ・ゲバラや毛沢東のプラカードを掲げる者が多かった。
その頃の中国は、
毛沢東の主導する「文化大革命」が進行中。
いま、ウィキペディアで、
「文化大革命」を見ると、
“毛沢東主導による
文化改革運動を装った毛沢東の奪権運動、政治闘争である”
つまり、単なる権力闘争、
日本のインテリたちはその実態を知らず、
ただ革命家だからと云う理由で毛沢東を持ち上げていた分けです。
ではなぜ毛沢東は権力を奪い返す必要があったのか。
当時の日本人は誰も知らなかったが、
じつはそれ以前に、毛沢東主導の経済政策は大失敗していたのです。
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毛沢東は、
「イギリスを15年以内に追い越す」ことを目標として、
1958年に大躍進政策を発動。
大量の鉄増産のため、
農村で、
原始的な製鉄法に依る人海戦術を採用、
量のみを追い質は全く度外視したため、
使い物にならない鉄くずが大量に生産された。
地方の村では「人民公社」が組織されたが、
(勤勉な者にも怠け者にも均等に生産物を分け与えたため)
農民の勤労意欲を奪い生産は激減、
無理無謀な生産目標に対して
数字だけを合わせた水増し報告書が横行する結果となった。
こういったことから大躍進政策は大失敗、
2千万人から5千万人以上とも云われる
大量の餓死者を出す結果となった。
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日本の都市部に住むインテリたちが、
せっせと日本の左翼政治家に投票していたこのころ、
地方に住み、
農業を主体に暮らしていた庶民たちは自民党に投票した。
あのころテレビで活躍する、
大橋巨泉氏や前田武彦氏と云った人気司会者たちは、
農民を無知頑迷と嘆いていたものだが、
本当に無知だった者は誰で、
日本の政治を守った者は誰かと、
今となっては、分かる気がするのですよ。