漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

四十七人目の行方不明者

2021年12月14日 | 歴史

本日、十二月十四日は、
忠臣蔵でおなじみ赤穂義士討ち入りの日。

深夜に四十七士が討ち入り
首尾よく吉良上野介の首級をあげ、さて引き上げとなったのですが、

この時の人数が四十六人。

アレアレ一人足りない、
と云う分けでこの時の行方不明者・寺坂吉右衛門には、

途中で怖くなり逃げたと云う逃亡説や、
いや大石に命じられ、亡き主君の弟君や奥方への連絡のため抜けたのだ、

などなど、様々な説があります。

私個人としては、
抜けた理由は分からないが、逃亡はないだろうと思っています。

そもそもその夜の戦いぶりを云えば、

吉良方の死者十七人、負傷者二十三人、
それに対し赤穂方の被害はと云えば、たった二人の負傷者だけ、

つまり、圧倒的な「勝ち戦」、

いくら足軽とは云え、
自分の意志で討ち入りに参加するほどの者が、

戦い途中で怖くなって逃げたとは考えにくい。

なんにしても、
寺坂が切腹をまぬがれたのは事実で、

事件の二十年後には江戸に舞い戻り寺男をし、
その後、武士にとり立てられ82歳まで生きたと云う記録があります。

まぁ、はるか昔のことでもあり、
足軽と云う「身分軽き者」の事でもあり、真実は「藪の中」ですが、

後に有名となった物語、
忠臣蔵の中では四十七士となっているので御本人は満足してるかな。 (笑)

 


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