アメリカでは教育の一環として、
「ディベート」の時間を設け、教室の学生を二つに分け論争させるそうです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
【ディベート】 debate
一定のテーマについて、
賛否二つのグループに分かれて行われる討論。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
きのうかな、
キンコン西野さんのブログを読んでたらこんな記述があった。
~~~~~~~~~~~~~~~~
昔、ロザンの菅さんと呑んでて、
テーマは忘れましたが、ディベートをしていたんですね。
「こう思う」という菅さんの意見に対して、
「それだと、この部分の辻褄が合わなくないですか?」と僕が返して、
「いや、ここは、こういう・・・」という議論が白熱して、
菅さんも僕も、これがメチャクチャ楽しいんです。
だって自分の間違いを指摘されて、
それを改善していくんだから、確実に前に進んでるわけじゃないですか。
でも、これをやっていたら、
同席していた人達に「まぁまぁまぁ」と止められたんです。
「楽しい席だから、喧嘩をするな」と。(笑)
菅さんも僕もビックリして、「いつ、喧嘩した?」となったんです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブログはこのあと、
反対意見を「怒っている」としか捉えられないと、
「折角の成長のチャンスを逃すよ」と続きます。
確かに日本人って、
議論の仕方が下手ですよね。
議論と云うのは、
相手を説得することでもあるから議論が下手という事は、
「説明が下手」と云う事でもある。
昨今のコロナ下、
首相をはじめとする政治家の説明下手が目立ちます。
やってることはそれほど間違ってないのに、
「説明が下手で反発を買う」と云う場面を往々にして見かける。
私が思うにそもそも日本の政治家って、
「忖度」や「空気を読む」ことに長けた人が当選しているのではなかろうか。
それは稲作を主として生きて来た日本人の得意技でもある。
昔の米作りの農作業は、
ある季節に集中し、その時には一致団結して当たらねばならない。
そこで異論を言う者がいても、
それらを一々説得していては時期を逸する。
従って多少の不満があっても、
「ここはともかく」と、経験豊かな年配者に従う方が効率が良い。
そういう農耕生活が、日本で二千年以上も続いて来た結果、
日本の社会では、
気遣いができて思いやりのある人が指導者として立てられ続けた。
結果、現在でも政治家として成功しているのはそう云う人が多い。
最近の政治家の、
演説下手を見ていると、
長きにわたって続いて来た、
日本のそう云う風習が最近のコロナ禍と云う、
緊急事態では、
マイナスに作用してるのかなと、
テレビを見ながら思っている私メなのでありまするよ。