この日記の著者は、
夏の朝、
夜来の警防勤務で疲れた体を休め、ぼんやりと庭を眺めていた。
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さらに強い光がすうすうと二度つづけざまに光った。
黒い日影が全くなくなり、
庭の隅々、石灯籠の中までが明るくなった。
マグネシウム・フラッシュか、
電車のスパークか、はておかしいーーーー
薄暗い闇を通して
斜に傾いた柱がぬっと眼の前に現れた。
私は思わず飛び起きて逃げ出しつつあったのだ。
その柱の下をくぐった。
我武者羅の脱出だ。
通りつけた廊下をかけ出していた。
パンツが無い、私はとじろうた。
シャツもない。素裸だ。
「八重子、八重子」と家内の名を連呼した。
自分の体をみなおした。
右半身疵だらけだ。
太股につきたった棒切れを引きぬいた。
頭から口へ生温かいものを覚えた。
手で顔をさすった、血だ。
頬に穴があき下唇が二つに割れて片方がぶらさがっているように思えた。
国の右側が圧えつけられたようで動きにくい。
大きな硝子が手にふれた。
地が胸を伝う。
思わず首の硝子を引きぬいた。
血が吹き出してきた。
「頚動脈か、しまった」と私はもう駄目と観念した。
私は五百キロ爆弾だと叫んだ。
左手で右肘をささえた家内が蒼白な顔をして走り出た。
私は反射的に「お前は助かる、すぐ逃げよう」といって縁から庭へ飛び降りた。
無言の家内は私の後につづいtくぁ。
崩れ落ちた瓦や板の間をくぐっていたら隣の門へ出た。
道に出た途端、人の頭につまづいた。
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1945年、8月6日、広島に原爆が落ちた時の描写。
以後、医師であった著者は、
死屍累々たる上に猛火、地獄のような街を逃げることになる。
蜂谷道彦著、「ヒロシマ日記」は、世界中で読まれた貴重な記録。
日記文学として優秀であるとともに、第一級の歴史資料でもある。
しかし、
ヒロシマ日記は、悲惨な記録と云うだけではない、
被爆から一ヶ月余、
窓ガラスが一枚もない吹きッさらしの病院にも、
やっと灯りのつく日が来た。
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佐伯の婆ばさんが
先生さん、手紙がつきましたノ
ご覧になりましたか
といってはいってきた。
電燈ががつきますよ
今夜から
電球がはまりましたからノ
あれ御覧
といって病室寄りの廊下へ案内して
今夜から明かるくなりますゼ、ほほ
と笑って婆ばさん、嬉しそに電燈を眺めた。
(中略)
夜、電燈が廊下の隅に一個ともった。
小さい電球ではあるが明るい。
廊下の隅々まで見え電燈の有難さをひしひしと覚えた。
(中略)
(みんな帰って)話し相手がないので
佐伯の婆ばさんと二人で、夜おそくまで電燈を賛美した。
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かくも悲惨な中でさえも、
人間は希望を見出すことができるのだ、
と云うことも、この日記は教えてくれる。