漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

カウラの桜

2017年09月25日 | 歴史
いよいよ桜祭りのはじまり、・・・、
と云っても、

もちろん、日本の話ではなく、
南半球はオーストラリアの町、カウラでのはなし。

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毎年桜が見頃のこの時期に行われるサクラ祭り、
会場では日本の伝統文化が上演され、日本食の屋台も並びました。

日中の気温が30度を超えるなか、
訪れたおよそ3000人の花見見物客らは、思い思いに祭りを楽しんでいました。

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日本からはるかに離れた田舎町、
カウラで「サクラまつり」が始まったについては悲しい物語があります。

第二次大戦下の1944年、
敗戦の一年前ですね。

当時、カウラにあった捕虜収容所から、

日本兵千人ほど脱走し、
その内231人が死亡、と云う事件が発生しました。

事件後捕まった首謀者の一人は軍事法廷でこう述べています。

「私たちに対する扱いに、少しも不満などありませんでした。
 ではなぜ脱走したのかと問われれば、
 日本人としての魂がそうさせたのだとしか答えようがありません」

当時の兵は、
「生きて虜囚の辱めを受けず」と教え込まれていた時代。

捕虜になったとわかれば、
ふるさとの家族が「恥じさらしの一族」と辱められる、と信じていたのです。

彼は語っています。

「捕虜となることは天皇陛下および両親への不忠義そのものです。
 捕虜の屈辱と罪を拭い去る方法は、死ぬこと以外にはありません」

事件から七十三年、
カウラの市長さんはこう言ってます。

「“サクラマツリ”は、お花見の時期に開かれる特別なものですが、同時に新時代の始まりの象徴として重要な行事です」。







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